嵐の後の日々①


 翌日。

 平日なので、当然ながら、俺は会社へと向かった。

 

 駅前から少しだけ離れたところに位置している、特段古すぎる訳でもなく、新築という訳でもない。

 かといって、わざわざ大きいと言うほどでもなく、しかしながら、小さいと言うほどでもない。


 実に普通に普通なビルの、きっかり五階──ワンフロアを丸々借りている、我が社の事務所へと。

 まあ、考えてもみれば、大層なビルではないとはいえ、ワンフロアを丸ごと借りることが出来るのだから、我が社は俺が思っているよりは、些か立派な会社なのかもしれない──最近は、斑雪を筆頭に活躍するアイドルや女優も増えてきたことだし、その内このビルも、丸ごと借りられる日が来るかもしれないくらいだ。


 まあ、仮にそうなったとしたら、今では考えられないほどの人数がこのビルを行き来するのは明白なので、個人的には来て欲しくない未来である。

 あんまり人が多いのは得意じゃない──いや、もちろん、仕事なのだから、そんな情けないことは言ってられないのは確かなのだが。


 それでも嫌だなあと思うくらいは許して欲しいものである。

 人が苦手って言うか、人目が苦手なんだよな──しかも今は、斑雪とか言う特大の爆発物が横にぶら下がっているようなもんなのであるし。


 ところ構わず手を繋ごうとかするのやめてほしい。

 付き合いたての高校生カップルじゃないんだぞ。


 ビル内と言っても、誰がどこで、何をどう見ているのかなんて、さっぱり分からない世の中である。

 何だかんだと言って、みんなスキャンダルが大好きだからなあ。


 俺だって、他人事であるのならば、ちょっと気になってしまうくらいだ。


「それにしたって、蒼くんは気にしすぎだと思うんだけどなあ。うちのフロアまで来たら、そんなに怯える必要ないんじゃない?」


 早めに出社したお陰で、誰にも合うことなく辿り着いたオフィス。

 香耶さんはまだ来ていないようで、一番乗りらしく、のんべんだらりと互いに席に座れば、そんなことを呆れたように、斑雪が言った。


「いやお前な、何だかシレッと俺たちの関係性が、会社的には公認みたいに思っている節があるけれど、全然そんなことないからな? 普通に超秘密だから。未だにお偉いさんとかにバレたら、余裕でド級の怒られが発生するから。俺のクビがうっかり飛んじゃったらどうするんだ」


 何なら知っている人と言っても、香耶さんくらいなものである──エヴァは、まあ、察してはいるかもしれないが……。

 それでもまさか、同棲しているとまでは読めていないだろう。というか、そこまで察せられていたら、流石にビビる。


 俺の顔には本当に、誰でも見て取れるように、内心が貼り付けられているんじゃないかと、不安になってしまうくらいだ。


「だから、無職になったら養ってあげるってば」

「何だ、斑雪。俺以外にマネジメントされたいって言うのか?」

「そ、それは……ちょっと──いや結構……かなり、とっても嫌かも……ごめん、蒼くん」

「いや、そんなに真剣に考慮した上で謝られると、こっちも反応に困るんだけど……」


 嬉しくはあるのだが、こいつ俺が何かしらの事情で、暫く休むことになったら、どうするつもりなんだろうか……。

 引継ぎ先のマネージャーさんが気の毒なばかりである。


 斑雪は俺は顔に出やすいと言うが、斑雪だって、一度不機嫌になったら結構顔に出るタイプである。

 何度それで察して、ご機嫌取りをしたか分からないくらいだ。ま、マネージャーは担当のメンタルケアも仕事だからな。


 時には自腹でケーキやらを買うことも、必要なことである──ここだけ切り取ると、本当に俺が哀れな会社員過ぎるなと思いました。


「まあ、俺も斑雪のマネジメントが出来ないのは、ちょっとばかし困るから、お互い様ではあるんだろうけどな」

「ふぅ~ん? えへへ、蒼くんはそんなに私の世話を焼きたいんだ?」

「マネジメントな、マネジメント……まあ、何て言うか、ほら。斑雪は俺からしてみれば、初めての担当だからさ、特別じゃないって言えば、嘘になるよな」


 特別な人──というよりは、特別な商品とかって言うべきだろうか?

 どうにも上手な語彙が見つからなくって、微妙に誤解を招きそうなのだが──概ね、そういった方向性の思いが、なくはない。


 誰よりも近い場所で、斑雪がスターダムを駆け上がる姿を見ていたいし、その手助けをしてやりたいと思う。

 同時にもっと多くの人に、斑雪を見て欲しいと思う──みんなに斑雪のことを、好きになって欲しいと思う。


 そういう気持ちは、随分と前からあった。

 だから──特別。


「へ、へぇ~? あ、蒼くんは、わたしのこと、そんな風に思ってたんだ……!?」

「なに動揺してんだよ……斑雪って、普段は強気なくせに、ちょっと押されたらすぐそうだよな」

「むっ、失礼だなあ。蒼くんが押すから、ちょっとフラついちゃうだけですっ」

「それ、別に言い訳になってないんだけど……」


 むしろただの弱点開示だった。

 これで可愛いやつめと思うのだから、俺も相当頭が悪くなっているなと、思わなくもない。


「まあ、つってもそれは、エヴァも同じことなんだけどな。何ならあいつの場合、俺が直でスカウトした訳だし……」

「上げたあと落とさないと気が済まない人!? ほいほい特別な人ばっかり作って、その内二股男とか呼ばれても文句言えないよ!?」

「いや文句は言えるだろ、それはよ……!」


 何なら文句しかないまであった。シンプルに不名誉である。

 浮気とかしたこともなければ、考えたことも無い──考えが足りないことは、まあ、あるのだけれども。


 それだけは、残念ながら、否定しようがないのだけれども。


「だいたい、特別なんて、あればあるほど良いもんだろ。あって損するもんじゃない訳だし」

「あのね、君のそういう思考が、大切な人を不安にさせるんだって、覚えた頃だと思うんだけどなあ~?」

「えぇ……ああ、いやでも、そうなるのか……なるほどな」


 浮気の定義。信頼の定義──というやつだ。

 どこから人は不安になるのか、いつから人は疑心を持つのか。


 それは人によるけれど──相手にもよる。

 関係性というのは、相手がいるからこそ、成り立つものなのだから。


「そうは言っても、エヴァなんかに嫉妬されても困るんだけどな。高校生だぞ? 高校生……そんなのもう、女性の前に子供だろ……。大人が子供に手を出すの、特例を除けば普通に犯罪だからね?」

「でも、エヴァちゃんは可愛いじゃない?」

「まあ、それはな。可愛くなかったら──とびきり可愛いと思わなきゃ、スカウトなんてしないって」


 そもそもスカウトなんて、するつもりもなかったのだから──そういうのは、マネージャーの仕事じゃないしな。

 百歩譲っても、うちのプロデューサーの仕事である。


「そういえば、プロデューサーさんは元気? わたし、最近あんまり会えてないんだよねぇ」

「さてな。斑雪が会ってなかったら、俺が会ってる訳ないだろ──でも、元気にはやってるだろ。年がら年中仕事してるようなモンスターだぞ、あの人。ついでに言えば、性別問わずに、デビューさせる天才だし」

「あはは……それもそっか。でも、ちょっと意外かも。プロデューサーさんと、プライベートで会うことってないの?」

「いや、結構誘われてはいるんだけどな……」


 割と週一くらいで誘われている俺だった。

 いや、ね。ちょっと怖いんだよな、あの人──特に、そろそろプロデューサーやらない? とか持ちかけてくる時とか、超怖い。


 俺をこれ以上社畜にしようとしないで欲しかった。

 どうするんだ、この会社がなくては生きられない身体になってしまったら。


「まあ、確かに。蒼くんがないと生きていけないのは、わたしくらいで良いもんねぇ」

「……? ……っ! おい、シレッと意味不明なこと言うんじゃない! 何かちょっと軽く考えこんじゃっただろうが!」

「考え込むまでもなく、そのままの意味だったんだけどなあ……」


 言いながら、静かに席を立つ斑雪だった──彼女はそのまま、緩やかにこちらに歩み寄ってくる。

 今は朝と言っても、もう少し早い……早朝と言って良い時間だ。


 強めの朝日が、窓を透かして斑雪を照らす。

 影は濃く、長く伸びているのに、真っ白の綺麗な髪だけがキラキラと輝いていて、少しだけ幻想的だ。


 同じ人間とは、とてもじゃないが思えない──そんな斑雪が、俺の顎に手を当てて、クイと上げた。


「君を、わたしの虜にしちゃいたいってことだよ。あーおくん」

「……はぁ、あのな。とっくに虜に決まってるだろ」

「!!?」

「そうやって、予想外の返しをされたら、すーぐに顔が赤くなることも含めて、虜だよ。はーだれ」

「う、うぅ~……蒼くんのくせに生意気だよ!?」

「お前はどっから目線なんだよ……」


 どう考えても生意気なのはお前だ、と呆れた声が口の端から零れ落ちた。


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