元カノさんとの話し合い。
一言謝るにしたって、ラインやメールで済ませるのは些か以上に不義理なのではないか、という話になったので、一報入れてから、久方ぶりに我が家に足を運ぶことにした──もちろん、我が家と言っても、何も実家のことではない。
俺が班雪の家で暮らすようになるまで、暮らしていた家──つまり、俺とうーちゃんが同棲をしていた部屋である。
精々、一か月二か月程度しか離れていなかったはずだが、こうして改めて目にすると、何だか随分と久々な気がしてならない。
キーケースに封じられたままの、部屋の鍵を探しながら妙な感慨深さに指先を浸らせる。
うーちゃんは今、この部屋に一人で住んでいるんだよな……。
もちろん、おれの口座からちゃんと家賃は半分ずつ落とされているだろうが、それでもその事実自体には、多少なりとも思うところはあった。
いや、まあ、浮気が本当のことでは無かったと、直接聞かされるまでは普通に浮気相手を呼んで、ちゃっかり同棲なりしているんだろうと思っていたのだが。
俺が荷物やらを取りに行くという大義名分があってなお、死ぬほど行きたくなかった理由がそれである──だから、こうしてまた足を運ぶことが出来て良かった。
いや、いいや。
あるいはそれは、そういう気持ちが俺の中から薄れているだけとも言えるのかもしれないのだが。
時間だけが癒してくれる傷というものが、人には必ずあって。
他人だけが癒すことのできる傷というものも、やはり人には必ずあるのだから。
しかしまあ、家を出て行ってから頑なに話を聞こうという姿勢を取ることはなく、メッセージの類なんかも全部ブロックしていたことについては、ややこちらにも非があると思わなくもない。
だから、これに関しては痛み分けということで……という、だいぶ日和った気持ちを抱えながらも、我が家の扉を開け……ようとして、いや、まずはインターフォンか? と思い直した。
確かに我が家ではあるが、微妙に我が家と胸を張って言って良いのか、ちょっと分からないところだしな……。
帰宅じゃなくて、来訪って感じだし。
コホンと一息吐いて、少し跳ねがちだった心臓を落ち着かせる。
一、二回の深呼吸を挟んであから、そっとインターフォンを鳴らすと、意外にも扉はすぐに開いた。
「いらっしゃい──と言うのは少し違う、かな。おかえりなさい、あーくん」
「ん──まあ、ただいま」
出迎えてくれたのは、当然ながらうーちゃんであった──神渡うらら。俺の初恋の人であり、初めての彼女であり、元カノと言える人。
軽いパーマのかかったピンクブラウンの髪がふわふわと揺れていて、やはり可愛いなと思う──どうしたって、俺はうーちゃんのことを嫌いにはなれないらしい。
しかしまあ、それも仕方のないことだと思って欲しいところである。
感情というのは、そう簡単に語れるものではないのだから。
何をされても、嫌いになれない人というのは存在するだろう。他者への好悪は、合理的じゃないことの方が多い。
ただでさえ、うーちゃんは家族にも近しいような人だった──幼馴染というのは、厄介なものである。
「ふぅん? ただいま、かあ。そう言えるくらいには、あーくんも色々整理できた……ってこと、かな?」
「まあ、それなりには。こうしてまた、家に帰って来れるくらいには、落ち着いたつもりだよ」
もちろん、斑雪がいてくれたからこそ、落ち着くことが出来たし、整理できたのだが。
それは、態々言う必要もないことだろう──うーちゃんからしてみれば、誰それ? って感じだろうしな。
精々が、俺が担当してるアイドルってことを知ってるくらいだ。そのくらいの情報共有はしている。
もちろん、うーちゃんが覚えていればの話になるけれども。
「でもこれはちょっと想定してなかったかなあ……」
視界に広がったのは、当然ながら玄関から繋がる廊下なのだが、それがもう本当にこれ廊下? 何だろう、窃盗団とかが入って滅茶苦茶にしていったのかな? みたいな散らかり具合だったからである。
いや、確かにうーちゃんは掃除が苦手というか、壊滅的な人間ではあるのだが……何ならそれが、唯一の欠点とも言えるような美女であるのだが……。
まさかこれほどとはね、と生唾を呑み込む。
ちゃんと片付けようとしたら、余裕で一週間はかかるだろう。
「あーくんがいないから、こうなっちゃった☆」
「こうなっちゃった☆じゃねぇよ、何ウィンク飛ばしてるんだ……」
反省の色が見えなさすぎるうーちゃんだった。まあ、実際のところ、同棲していた時のルールとして、片付けは俺が担当だったので、言いがかりというほどではないのだが。
これ、後で俺が片付けないといけないのかな……と思いつつも、歩ける場所を選んで居間へと踏み入る。
「あれ? 意外と居間はそのままなんだ」
「まあ、ほとんど使わなかったからね。元々そうだったと思うけど、あーくんがいなくなってから、益々部屋から出てくることはなかったから、ね」
「あぁ……まあ、そうなるか」
うーちゃんは自炊は全然できるが、自分の為にはあまりしないタイプである。
最近では配達してくれるサービスもあるし、それに頼り切った生活だったのだろう──そう考えれば、やたらと廊下にゴミ袋が転がっていたのも納得だ。
ついでに言えば、肌の青白さが増しているのにも納得である。
不健康な生活過ぎる……とまで言ってしまうと、まるでうーちゃんが完全なる社会不適合者であり、親の仕送り生活しているような、引きこもりニートであるかのように見えてしまうので、ここらで一つ訂正しておくのだが、そんなことはない。
ていうか、普通に俺の倍以上稼いでるしな、うーちゃん……。
以前にも言った通り、家で作業の出来る仕事なのである──まあ、何というか、アレだ。
「配信の頻度、上がってたもんな。動画も良く上がってたし」
うーちゃんは──神渡うららは、Vtuberというやつだった。
アバターを一つ用意して、それを用いて配信したり、動画を上げたりするアレである。
登録者は俺が家を出て行くちょっと前に100万を超えていた。
普通にトップ層の一人である。
個人ではなく企業に所属しているので、会社勤めと言っても過言ではない。
「あは、見てたんだ? ちょっと照れちゃう、な」
「何を今更──ていうか、見ない訳ないだろ……」
同棲していた時は、配信はリアルタイムで追うようにしていたし、動画も網羅していた俺である。
普通に習慣になっていたので、スマホを開けば無意識的に動画を再生するところまで指が動いていた。
だいたい、意識しないようにしても、どうしたって気になるものだしな。
これって呪いって言うんじゃないのかな、と最近は思っているところである。
「悪いけど、別に感想とかは出てこないからな。普通に見てると吐きそうだったし……」
「メンタルがよわよわで可愛い、ね?」
「喧しすぎる……誰のせいだと思ってんだよ……」
100%どころか、2000%こいつのせいだった。
俺のメンタルが弱いのではなく、うーちゃんがボコボコに叩きのめして瀕死にまで持っていったと言って欲しい。
「ま、今はそこそこ、普通に見れるけどな」
「……それは、あんまり嬉しくないかもだね。それとも、この前の話の続きに来たってことで良いの、かな?」
「うん、まあ、そうだよ。この前の、続きに来た──だから、まずは最初に言っておくべきことがある」
その一言だけで、その場の空気がピリッと緊張したのが分かった。
うーちゃんの柔和な表情が、少しだけ固くなるのが分かって、小さく数回呼吸をした。
それから、頭を下げる。
「ごめん、うーちゃん。俺、自分のことばっかりで、押し付けてばっかりで、うーちゃんの気持ちを全然考えていなかった」
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