お忍びデート。あるいはただのお説教。⑥
結局、その後はどこに行くこともなく、かといって奇々怪々なイベントに遭遇することも無く、いそいそと車へと戻った──その間、会話らしい会話があったのかと言われれば難しいところである。
何だか互いに気恥ずかしくなってしまい、ポツポツと断続的に言葉を投げ合ったくらいなものだ。
だから、夜と呼んでも良い時間が来たのは幸いだった。流石に気温がぐっと下がって、外にはいられないくらいだったから──そのせいか、繋がれた手はギリギリまで離れることはなかったけれど。
名残惜し気に離れ、それからはいつもの距離感で、互いに車内へと収まった。
ドライバーは俺で、助手席には斑雪。
走り出した車の中で、いつもと違うことと言えば、そりゃもちろん、説教後のしんみりとした雰囲気──とはまた違うけれども、微妙に普段とは差異のある雰囲気に、車内が満たされているということくらいだ。
言ってしまえば、互いに立場の忘れた男女の雰囲気である。それってそのままじゃねぇか。
全然取り繕うことが出来ていなかった。
いやね、俺だって何とか平静になろうとはしてるんだよ!
ただ、その……いつも通りに振舞おうとすること自体がもう、いつも通りではないというか……。
端的に言って、俺は今、バチバチに斑雪を意識していた。当たり前だろ。
大体、外見に関しては文句の一つもつけられようもない斑雪である。
唯一にして最大の欠点であった中身も、こうなってくると可愛く見えて仕方がない。
これまでアイドルだから、マネージャーだからと理由をつけて、一線どころか十線くらい引き、フィルターを幾つもかけることで、友人のような距離感を保ってきたというのに……。
それを軽々踏み越えられてしまっては、俺にはもう、抵抗のしようがないだろう──斑雪が俺のことを意識するのは勝手だが、それで俺が斑雪のことを意識してしまったのだから、本当にどうしようもない。
ドギマギするというものである。初めての恋愛か? ってくらいのドキドキ具合だ。
もしかしたら、いい年こいた大人が何を言ってるんだと思われるかもしれないし、実際のところ、俺もそう思わなくもないのだが、事実としてこんなザマなのだから、「仕方ねーだろ、こうなっちゃったんだから」と拗ねたように言うしかない。
歳なんて関係ないんだよ。二十代なんてまだまだガキだと言っていた、上司のことを思い出す。
こっちはもう酒だって飲めるんだぞ、なんて当時は思ったものだが、いやはや今になって、その言葉の正当性に気付かされるとはな。
大人大人とは言うが、結局のところ、ただ図体がデカくなっただけのガキなのかもしれない──いや、いいや。
少なくとも俺に限って言えば、ガキらしくて仕方ないだろう。
幼い──だなんてことを、正面切って言われてしまった訳だしな。
けれども──そうだな。
それでも、ガキのままではいられないタイミングも、あるだろう。
「まあそれは絶対に今じゃないんだけどな。だから斑雪、カーナビでホテルを検索するのは今すぐにやめろ! これ俺の車じゃないから! 社用車だから! 社用車でホテルに行くやつは流石にヤバすぎるって! モラルとか常識が一撃で死んでるから! 頼むから落ち着け!」
「大丈夫、バレなきゃセーフだよ。蒼くん」
「全力で人を誘惑するのもやめろ、コロッと従っちゃったらどうするんだ」
つーか全然バレるから。
やましいことほど暴かれるのは世の常であるつったろ。
仮にこれが、俺の私有車なら問題はなかったが(もちろん、移動手段としては、という意味合いである。問題自体は他にも腐るほどあった。担当を抱いて良い訳あるか)、社用車をほとんど自分用に乗り回してるだけだからな。
香耶さんがああいう感じだったり、あの事務所を主に利用しているのが俺くらいでなければ、普通に許されないだろう。特別措置も良いところである。
「むぅ……お固いなあ。さっきまでは、あんなに情熱的だったのに」
「独自解釈で事実を歪めるのはやめろ……え? 歪められてるよね? 結構すぐ離れたよね?」
「えー? 一生こんな時間が続くのかなって思うくらい情緒に溢れてたし、いっぱい求められてると思ったけどなあ」
「……ハッズ」
顔に血が上ってきて、頬が紅潮し始めたのが分かる。
もうこのまましゃがみ込んで顔を隠したいところなのだが、残念ながら運転中の俺にそれは許されなかった。
事故っちゃうからね、マジで。
ハンドルを握るということは、命を握ってることに等しいことを忘れさせないで欲しい。
「早速強めの後悔を感じてきたな……あー、痛い痛い。胃が痛い……穴空く……入院しちゃう……」
「かつてないくらい情けないことを言いながら、情けない顔してる……えへへ。でも、悪くないね、そういう顔も」
「もしかして滅茶苦茶Sだったりする感じ?」
あるいは今、俺がこの手で目覚めさせてしまったのだろうか……。思わず軽く怯えてしまうくらいには、堂の入った笑顔だった。
これでいて、妖しさのある──言ってしまえば、誘うような表情なのだから恐ろしい。
意図しているのか、あるいは無意識なのかは定かではないが、出来れば前者であってほしいと願うばかりである。
「そんなに警戒しなくても良いのに。わたしは、蒼くんの色んな面が見たいし、見れて嬉しいってだけのことだよ」
「含みのある言い方だな……とにかく、寄り道はしない方向で。大体な──」
同棲しているんだから、この状況下でわざわざホテルに出向く旨味はそこまでないだろ──とまで言いかけて、流石に口を噤んだ。
あ、あっぶねー。とんでもないことを口にしかけたぞ、今。
発言としては最悪級である──それが、仮に斑雪の望む言葉であったとしも。
「──大体、俺に今、そんな余裕がある訳ないだろう。見ろ、今の有様を。キャパシティーなんて既に全力でオーバーしてるからね? 脳とかショートしがちなまであるから」
「だから、そういうことは堂々と言うことじゃないってば……もうっ。据え膳食わぬは男の恥なんだよ?」
「何だ、知らないのか? 男の子にはな、時には恥をかいても守らなきゃいけないものがあるんだよ」
「ふぅん……? 例えば?」
「それはほら、アレだよアレ。愛とか友情とか、努力とか?」
「じゃあ愛を取ってくれれば良いんじゃ……」
「後はほら! 誠実さとかな、色々あるんじゃないかなぁ!?」
何だか例えが裏目に出た気がしたので、一先ずデカい声を出して誤魔化すことにした俺だった。
ジト目をガンガンぶつけられている気がするが、気のせいってことにしておこう。
「それにもう、家に着いたわけだしな。残念でした、また今度──ってやつだ」
「また今度、かあ……」
何だか考え込むように呟いた斑雪をそのままに、車を停めて、そそくさと車を出る。
冷えた空気が肺いっぱいに広がって、多少は思考がクリアになった気がした。
何度か深呼吸をして、同じくパタンと扉を閉めた斑雪と共に、エレベーターでグッと地面から離れ、端の部屋へと戻る。
流石にもう見慣れてきた部屋のスイッチをパチンと押して、部屋に明かりを灯せば、
「──それじゃ、これがその”今度”だね」
そんな言葉が耳朶を叩いた。
叩くと同時に、俺の体勢を崩すように人ひとり分の体重がかけられた──斑雪が、しなだれかかるように身体を寄せてきた。
尻もちをついて、斑雪を受け止める。そうすれば、自然と抱き合うような形になった。
斑雪の吐息が、耳元にかかる。
「いわば第二ラウンドだよ、あーおくんっ」
「いや、斑雪、お前な──」
苦言を呈そうとして、けれどもそれは出来なかった。
否、出来なかった訳ではない──ただ、苦言がそのまま、斑雪に飲み込まれたと言うべきだろう。
マウストゥマウスで言葉は溶け込んでいく。
つぅ……と繋がった銀の橋が切れて、斑雪は妖しくも獣のような笑みを浮かべて見せた。
「今度も冗談じゃないし──今度こそは、お酒に逃げさせないよ」
「いや、だから……はぁ。俺だって、別に逃げたくって”今度”なんて言った訳じゃないよ」
つーか、酒に逃げるのはあの日が最初で最後だっつーの。
それまでは、プライベートで飲む方が珍しいくらいだったのだから、当たり前である。
人間、喉元過ぎれば熱さを忘れるなんて言うが、この熱さは当分は喉元にいそうだから安心して欲しい。
何なら心の傷が疼く度にボゥッと再燃すること間違いなしだ。ついでに言えば、その逆もまた然りである。
「だけどまあ、そうだな。こういう風に見られるってのもあるし、逃避癖は治さないとだよなあ……」
何だかんだと、のらりくらりと生きてきた自覚がある分、申し訳なさを感じながらも、一言吐き出した。
悪い癖だ、分かっている。現実逃避が、いつからかすっかり得意になってしまっていることは。
良い機会だ、この際直してしまおう──もちろん、すぐに直せるとは思っていないけれど。
人はそう簡単には変わらないものだ。けれども、変わらずにいようとしても、どうしても変わってしまうものである。
であるのならば、変わる方向をそれとなく誘導することくらいは、俺にだってできるだろう。
その為にも、一歩目くらいは手早く踏み出してしまうのが、きっと良い。
「俺も好き好んで恥をかきたい訳じゃないからな……っと」
「ひゃっ、ちょ、蒼くん!?」
「据え膳なんだろ? それじゃあ、有難くいただこうかなって」
「あっ、蒼くん!? きゅ、急に人が変わったみたいになってるけど大丈夫!?」
「いやお前が誘って来たんでしょうが……」
再三言うが、俺だってもう子供じゃない。
軽く抱き上げた斑雪の目を見て、少し考えてから、一言口にした。
「一先ずは、斑雪から逃げないことから始めてみるよ」
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