お忍びデート。あるいはただのお説教。⑤
「例えばの話なんだけどさ、ある男が自分を振った(振ってない)と思っていたら、実はそんなことはなくて、未だに付き合っているつもりというか、好いてくれているらしい女性に、一先ず一言謝りたい時ってどう連絡するのが正解だと思う? 因みにその男は既に別の女と同棲しているものとする」
「前提条件が足りてなくない? その男は同棲している女性にゾッコンです。ともつけないと」
「シレッと虚偽の情報を乗せるんじゃないよ……」
質問に欺瞞を混ぜるのは出題者として一番やっちゃいけないことだろうが……!
ついでに回答じゃなくて、質問の方にちょっかいをかけるんじゃない。
出題者と回答者で立場が入れ替わっちゃうだろうが。
「ていうか、そこまでわたしに聞いちゃうのは、色々と減点だと思うんだけどなー?」
「おいおい、今更か? 既に得点なんて0を超えてマイナスに突入してるもんだと思っていたぜ。何せ説教までされちゃったからな」
「お説教にしたのは蒼くんなんだけどねぇ……」
わたしだって、こんな役回り本当は向いてないんだよ? と不満そうに唇を尖らせたのは、言うまでもなく、斑雪れんかであった。
時刻は夕方ごろで、未だに俺たちは海岸線沿いにいた。
車内に戻っている訳でもなく、ぼんやりと二人並んで砂浜と海を眺めている形である──流石に肌寒くなってきたので、斑雪には一枚上着を貸しているが。
お陰で俺が普通に寒かった。都会人を嘗めるなよ、暑さに弱く、寒さにも弱いんだからな。
何なら気温差で軽く風邪をひけるまである。
社畜時代の頑強な肉体は既に手離している俺だった。
しかし、まあ、言われてもみればその通りではある。
斑雪がうーちゃんのことを──言ってみれば(自らこうして口にするのは、こっぱずかしいどころか、自尊心が凄まじい人のように思えて、どうにも平常心ではいられないのだが)、恋敵をフォローするような、庇うような真似をする理由は、特段ないわけである。
どころか、このまま俺が謝ろうと思うことも無く、裏切られたという事実にだけ目を向け、うーちゃんと向き合うことすら無かった方が、斑雪にとっては都合が良いことだろう。
何せ、別れたと聞いたその日の内に、俺を押し倒したような女である。
元恋人(あるいは、まだ現恋人と言っても良いのかもしれないが)とすれ違うのであれば、すれ違ったままの方が、斑雪からしてみればスムーズに事が進む。
何なら俺だって、荷が一つ降りると言っても過言では無い。
こんな──そう、言ってしまえば、お節介を焼く必要はどこにも見当たらないのだ。
「そう考えればまあ、斑雪も斑雪で、変なやつだよな……」
「急に失礼!? 蒼くんにだけは絶対に貼られたくないレッテルだよ、それ……大体、わたしは変なことはしてないもん」
「いや、別に俺だってしてないんだけど……し、してないよね?」
基本的には常識的な言動をモットーとしているつもりである。
ここ最近はそうじゃないかもしれないが……まあ、事情を鑑みて致し方なしとしてほしい。
「……別に、蒼くんの為って訳じゃないから」
「おぉ……今の凄いツンデレっぽかったな。もう一回頼めるか?」
「あーおーくんー?」
「いひゃいいひゃい、ごめんなひゃいってば」
頬を全力で引っ張られる俺だった。これは俺が全面的に悪い。
コホン、と小さく斑雪が咳払いをする。
「本当に、蒼くんの為って訳じゃないんだよ──強いて言うなら、ほんのちょっとくらいは神渡さんの為って側面は無きにしも非ずかもだけど……」
「むしろそこはあるのかよ。え? 初対面だったよね?」
「あはは、そこはほら、同じ男に惚れちゃった者同士、分かっちゃう部分があるというか何と言うか、ね……」
まるで俺が問題のある人間みたいな言い方をする斑雪だったが、このような状況に陥っている時点で反論は出来なさそうだったので、無言でスルーすることにした。
まあ、苦労をさせている自覚はある──ご存知の通り、コミュ力が微妙な俺だから。
「でも、本命は自分の為。実はね、わたしは蒼くんが、過去の女を引きずるのが嫌で嫌で仕方なかった、意地の悪い子なんだ。だから──」
「──だから、さっさと清算させてやろうってことね、なるほど……」
なるほど、確かに道理の通った理屈である。
俺が聞いても、軽く頷けてしまう──あまりにも分かりやすくて、笑ってしまうくらいだ。
「斑雪はちょっと、お人好し過ぎるな」
「お人好しじゃないよ、わたしは君が好きなの。だから、強いて言うならお蒼好し……?」
「流石にそれは無理やりすぎるだろ……」
日本語の限界に挑戦しようとして見事に失敗する斑雪だった。お蒼好しってなんだよ。
漢字変換するのも一苦労である。
「まあでも、ありがとう。色々助かってる──助かった」
「ん、どういたしまして……ねぇ、蒼くん」
「うん?」
呼びかけられてから、間が二拍ほど置かれた。
すぐに二の句が繋がれないことに、疑問符を一つ浮かばせながら隣を見れば、
「ううん、やっぱり何でもない」
目の合った班雪がそう言って、ついと視線を海の方へそらした。
それに再度疑問符を重ねたが、口にすることは躊躇われて、結局呑み込んでしまう。俺の経験上、こういった時は何をどうしたって、答えは聞けないものだ。
そもそもにして、無理に聞くものじゃないのだろう──こっちが忘れてしまうか、相手が話してくれるのを待つのが正解だ。
まあ、聞けなくたって、流石に言いたいことくらいは分かるしな。
俺とうーちゃんの関係は結局保留状態になっているし、斑雪との関係性だって、実に曖昧な物だから。
どちらに転んでもおかしくはない──他人事のように言ってはいるが、他人事にしてはならない、大切なことだ。
そのままにしておくのは、あまりにも不義理だと思うから──それはもちろん、斑雪に対しても、うーちゃんに対しても。
答えを出す必要がある。
だから、「そうか」とだけ返して、やはり班雪の横顔を見た。
綺麗な横顔だ──こうして夕焼けを背景にしていると、まるで一枚の絵画のように絵になっている。
吹かれて揺れる真っ白な髪が、夕陽に透けて溶けてしまいそうだ。
全く、良い女だよな。
本当に、俺みたいなやつには勿体ないくらいで、今隣にいることすら、嘘のように思えてくる。
こうしてずっと見つめていないと、ふとした瞬間にいなくなってしまいそうな気すらして、目を離せないでいると、不意に指先に温もりを感じた。
そこからスルリと這うように、手と手が重なり合って、どちらともなく指先を絡め合った。
夕日が緩やかに沈んでいくのに合わせるように、俺たちの間で交わされる言葉は少なくなって、代わりに距離が縮まるようだった。
肩と肩が触れ合って、互いの体温を感じ取る。
何度か離れては、繰り返すように視線が絡み合う。
気付けば波の音は聞こえなくなっていて、潮風を感じることは無くなっていて、ただ、お互いの熱が密やかに交わされていた。
熱っぽい眼差しが、言葉を不要としていた。
互いの熱が、心を溶かしていくようだった。
日が沈んで、辺りが暗く包まれる。
僅かに距離が縮まる。斑雪の端正な顔立ちが近づく。
口元に、柔く温かい感触が伝った。
それが、言葉にされなかった問いへの、言葉にならない返答だった。
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