お忍びデート。あるいはただのお説教。④



 ──自分も他人も信頼するな。信頼するのは、金だけで良い。

 なんて、どうにも厭世的で、身も蓋も無いような言葉を口癖にしていたのは、俺の親父だった。


 四年ほど前に天寿を全う為された、我が親父の、死ぬまで変わらなかった口癖である。

 俺を男手一つでここまで育て上げてくれた、言ってみれば、たった一人の肉親の口癖──だ。


 だなんて言い方をすると、どうにも重い話になってしまいそうで、些か躊躇われるのだが、しかしまあ、一度語り始めた以上、中途半端にやめるのも無粋というものだろう。

 それに、こうして口にして、言葉にしてしまえば、案外重くはならないかもしれない……そんな希望的観測を込めた上で、あえて初めに言っておくとすれば、我が親父殿は正しくその言葉通り、あるいは信条通りの人生を歩んできた、ということである。


一度も他人を信用することはなかった──だから、親友はもちろん、友人の一人もいたことはなかったし、そもそも知人と言えるほどの縁を紡ぐことすら、滅多にないことだった。

だから、言ってしまえば親父にとって唯一縁が繋がっていると、胸を張って言えるのは世界中を探してみても、息子である俺くらいなもので、強いて次点を見出すのならば、俺にとっての母親──つまり、親父にとっての元妻になってしまうだろう。


と、ここまで語ってしまえば、言うまでもなく分かってしまうだろうが、俺こと羽染蒼の両親は離婚している。ちょうど、俺が小学三年生の頃だ。


その理由は残念ながら知らない──もちろん、他人どころか自分自身すら信じるなと言ってのけるような男が、どうしてまた、ある種の信頼関係の極致ともいえる、結婚をしたのかは気になるところではあったし、今でも気にならないことはないとは言えないのだが、ついぞ聞くことはできなかった。


それほど興味があるわけではなかった、という訳ではない。むしろ興味や好奇心からの気持ちは、それなり以上にあった方だろう──だから、そんな感情も飲み込んでしまったのは、やはり土足で踏み込むような話でもないと思った、というのが大きい。


子供である俺に聞く権利がなかった訳がないけれど、それでも親だって他人だ。

他人と他人の関係というのは──男と女の関係というのは、第三者には触れ難い、センシティブな話共言えるだろうから。


だから、俺は待つことにしたのだ。親父が語ってくれる時を。その末に、分からないままでも良いと、そう思って。

親父はどのようなことであっても、必要なことであれば語るし、必要なければ黙している人だったから、それもなおさらだ。


安易に口を開くような真似はしない人だった。まるで金庫の如き口と心を閉ざす人だったと言えるだろう。

正しく、親父は親父の口癖通りの人だった──けれども、親父がそういう人間になった理由だけは、俺は知っている。


なんてことはない、親父の親父。つまり俺にとっての祖父にあたる人が、親友の借金の保証人となり、結果的に莫大な借金を背負うことになったからである。

ついでに言えば、その直後に詐欺に遭って、借金は丸々と膨れ上がったのだと言う。


で、そうして祖父は、それらを支払いきれず、祖母と共に首を吊って亡くなった──親父を置いて。

親父は学生にして、親無しデカ借金とかいう、デスペナルティを抱えることとなった訳である。そりゃ人格の形成に歪みが出るに決まってるだろ。


とはいえ、そこで親父が折れることはなかったというのが、この話の肝である──親父は最悪のスタートでありながら、デカい会社に入り、借金を返済し、一度は奥さんももらい、俺という子供を作り、普通に普通な人並みの生活を送って見せたのだから、何か普通に傑物だった。

お恥ずかしいことに、借金をしていただなんて話を、俺は長らく知らなかったくらいである──それくらい、親父は出来る人間だった。


そういった面では、純粋に尊敬できる人間であったし、実を言ってしまえば、親父のようになりたいと思っていた時期はあった。というか、親父のような人になりたいと、ずっと思っていた。

だからまあ、学生時代の俺はと言えば、普通に嫌なやつだったこと間違いなしだろう。


親父の思想をそのまま受け継いでいた訳ではないし、そのように振る舞えていたとはとてもでは言えないが、それでも『自分も他人も信用するな』なんて宣う男をモデルケースに生きていたガキである。

嫌だろ、普通に……。

そりゃ友達が作れない訳である、俺に全面的に非がありすぎだった。


しかしまあ、であればどうして、今の俺はどっかで偽物と入れ替わったのか? と思われるような、信頼第一! とかほざくタイプの人間になったのかと言えば、それは親父が倒れたことに起因する。

俺がちょうど、大学に入った頃の出来事だ──若い頃からの無茶の反動でも来たのか、親父は病を患って、一度倒れてからは入院生活となり、やがて余命を宣告された。


毎日毎日、目に見えて弱っていく親父を──しかし、見舞いに来る人は、たったの一人もいなかった。

そう、一人もだ──この世界で親父を知っているのは、本当に俺以外いないんじゃないかと、そう思えてくるほどに、親父は誰とも縁を結んでいなかった。


とはいえ、親父の沽券の為に一応言っておくのだが、親父はそれを、悲しんではいなかったし、後悔してもいなかった。

ある意味では臨んだ通りだと、そう口にしていた──だから、俺もそれを憐れむようなことはしなかった。

代わりに……という訳ではないが、寂しいと思った──ただただ寂しいと、恐ろしいと、そう思った。

俺はこの時になって──親父の死に行く様を見つめて、知って、初めてその在り方に恐怖を抱いたのだ。


俺は親父のようにはなれないし、親父のようには在れないと、はっきりと自覚できてしまった。俺は一人では生きていけないと、心底から分からされてしまった。

最後の最後まで一人であることに、俺はきっと耐えられないということを、理解させられた。

何故なら俺は、親父を亡くして一人になることをもう、どうしようもなく恐ろしいと感じてしまったのだから。


人が本当に死ぬ時は、誰からも忘れられた時だ──なんて言葉があるけれど、であれば、そもそも誰も知らない人間は、誰とも知りえない人間は、生きていると言えるのだろうか。

果たしてそれは、死んでいないと言えるのだろうか。


きっと、言えないだろう──それが俺は、恐ろしい。

親父のように覚悟も決まっていなければ、傑物でもない、あまりにも普通な俺には耐えられない。

だったらどうするか──その答えは最初から分かっていた。


人を信頼することなく最期を迎えた親父にはなれないと思うのであれば、人を信頼することでしか、変わることはできないだろう。



「だからまあ、うーちゃんに告白したのは──告白できたのは、その契機でもあったって訳だな」


 いや、まあ、だからこそこんなにダメージ受けたんですけどね? 人生初の信頼で人生一番の裏切りだから。

 ちょっと計り知れないダメージに白目をむいて、そのまま家を飛び出したのも、止む無しと言ったところである。


 うっかり暗黒面に落ちて、二度と人間を信用できない獣になるところだった。危なかった……。


「……なるほど。だから蒼くんって、年齢の割にコミュ力が年相応じゃないんだね。何だか変だと思っていたけれど、そういうことかあ」

「う~ん、かなり嫌な解釈のされ方をしているな……」


 確かにコミュ障なところはあるけれど……あるけれども! コミュニケーション能力が身体の成長に追いついていない自覚はあるけれども!

 言い方が直截的過ぎるでしょう? 傷ついちゃうから、結構中々治らないタイプの傷がついちゃうから。


「ああ、いや、コミュ力が低いって言いたい訳じゃなくって……ていうか、むしろ蒼くんは結構高い方だよ。エヴァちゃんとも仲良くやれてるし、お客さんともそうでしょ?」

「エヴァはまあ……置いておくにしても、仕事は仕事だからな。先方とのやり取りでコミュ障発揮してるやつ、普通に嫌だろ……」

「うんうん、だからまあ、何て言うか……幼いなーとは思ってたって話だよ」

「幼い……?」


 幼い? 俺が? もう24歳……これから25歳になろうって男に言う台詞か?

 一ミリも幼くねぇよ……! と内心拳を握れば、


「あはは、そういうところとかも、よっぽど子供らしいよ──でもね、それだけじゃなくって。ほら、要するに蒼くんの信頼って言うのは、他人と一緒にいる為に必要なものだったんだなって思ったから」


 宥めるように笑いながら、斑雪は言葉を続ける。

 蒼くんは、普通の人と逆なんだよ──と。


「信頼しているから、他人と一緒にいる──じゃなくて、他人と一緒にいる為に、信頼しなくちゃいけないと思ってるんだ、蒼くんは。あるいは、信頼しないと傍にいることが怖い……なのかもしれないけれど」


 だから、逆。順番が前後しているのだと、斑雪は言った。

 たくさんの友達を作るより、親しい友達を一人でも良いから作りなさい──なんて言葉は良く聞くけれど、つまり俺は、その逆をしているのだと。


 信頼という行為そのものを、他人の傍にいる理由にしている。

 信頼という行為そのもので、他人に傍にいてもらう理由にしている。

 

過程から結果を生じさせているのではなく、結果を先に立てる為に、過程を無理に作っている。


 信頼という言葉を、信頼する意味を理解することなく使っている──振りかざしている。

 自身の恐れを誤魔化す為に、相手の信頼を無碍にしてでも、自身の信頼を押し通している。

 

 だから──信頼の中に、芯がない。

 だから──幼いのだと。

 

「まあ、わたしはそれが、悪いことだとも思わないけどね。だって、寂しいことが怖いのは、誰だって一緒だと思うから。わたしだって、蒼くんがいなくなるなんて考えたら、寂しくて、怖くてどうしようもないもん」


 大体、信頼すること自体、悪いことでは無い訳だしね。とふわりと笑みを浮かべて斑雪は言う。

 幼いことは、愚かであっても、悪ではない。


 なにせ、素直に一から十まで、人を信じることは難しい──それはきっと、大人になればなるほど、そうなるものなのだろう。

 どれだけ親しい間柄であっても、金を貸す時はくれてやるつもりでいろとは、良く言ったものである。


 だけど、そうだとしても。

 あまりに幼い行為だったとしても──芯がなく、愚かな行為だったとしても。


 それでも、他人を信じなければ、縁は紡がれないものだと思うから。

 そこに価値はあるのだと、何とかそう思いたいから。


「でも、うん。そうだね。それならやっぱり、蒼くんは反省しないとだね」

「……あれ!? 今の俺が反省する流れだったか!? 色々共感とか、納得してくれるところじゃないの!?」

「蒼くんが学生だったらしてたかもしれないけれど、君もわたしも、もう大人だからなあ……共感も納得もするけど、それだけじゃないよね」


 浮かべた微笑みに似合わない、大分シビアなことを言う斑雪に、苦笑いが出る。

 まあ──言ってもみれば、恋愛に関してだって、俺は初心者過ぎて、幼いと言われても仕方のないところではあるのだ。


「だから、情状酌量の余地はあるけれど、蒼くん悪いってところかな」

「俺?」

「うん、蒼くんも──神渡さんも。初めに言った通り、どっちもどっちかな」


 ──究極的なことを言えば、どちらかだけが悪いってことはないと思いますよ~。

 ふと、先日香耶さんから貰った、そんな一言が脳裏をよぎる。


 恋愛感情というのは、システマチックなものではない。

 人の感情というのは、常に合理的に動くようにはできていない。


 信頼というのはある種の生き物で、一度したからと言って、崩れないということはない。

 裏切るという訳ではなくても、移ろうことはあるだろう──だから、どちらも悪い。


 悪いというのなら、やはり謝らなければならないだろう。

 そしてその順番は、やっぱり最初に間違えた方──つまりは、俺からすべきなのだと思う。


「ふー……何だろう、土下座以外の謝り方って知ってるか? 斑雪」

「だから何で持ち札が土下座だけなのよ、きみは……」

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