お忍びデート。あるいはただのお説教。③


「いや、ある訳なくない!? 俺のどこが女癖の悪い男に見えるってんだよ……!?」

「今みたいに、付き合ってもない女の子にサラッと好きとか言えるところだと、わたしは思うけどなー?」

「…………ぐぅ」


 議論するまでもなく論破されてしまい、一撃でぐうの音が出る俺だった。

 なるほど、確かにそこを切り抜かれてしまえば、俺に反論の余地はない。


 とはいえ、である。

 好き嫌いには種類があるのも事実ではないだろうか?


 例えば、焼き肉が好きだという人がいるとして、その人を"焼肉のことを性的に愛せる人"と見る人というのは、恐らくというか、ほぼ絶対的にいないだろう。

 極端な例えになったが、つまりはそういうことだ──好きにも嫌いにも、色々な意味がある。


 そういった意味合いを含めて、好きか嫌いかを問われた場合、俺が斑雪のことを嫌いな訳がないというのは、言うまでもなく、当たり前のことではないだろうか。

 そもそも嫌いだったらマネージャーとかやってないしな。


 好きこそ物の上手になれ──という訳ではないが、斑雪のことが好きだから、応援したいから、この仕事を頑張れたという点は多分にある。

 その辺も加味してもらえたら、何とか情状酌量の余地はあるのではないだろうか?


「そんな顔してもダーメっ。だって、わたしたちはただのアイドルとマネージャーじゃないでしょ? 同じ家で暮らしている、パートナーだよ。それも、わたしは君のことが好きなんだから──公言してるんだから。そんな子に、軽々しく好きなんて、本当に言っちゃダメなんだよ?」

「……そうは言っても、好きなものは好きだし、嫌いなもの嫌いだろ。勘違いされないのであれば、好意は的確に伝えるべきだと、俺は思う」

「言葉にしたからと言って、気持ちは的確に伝わるものじゃないよ──言葉はそんなに万能じゃないし、感情に真摯じゃない。そして言葉は、向けられた人だけが、受け取るものでもないじゃない?」


 同じ言葉でも、受け取り方一つで意味は変わるものだ。

 同じ言葉でも、人や立ち位置に寄って、重みは変わるものだ。


 それは分かる──しかし、だからこそ、信頼というものがあるのではないだろうか?

 彼は、あるいは彼女は浮気をしないだろう、自身のことを裏切ることはないだろう──そういう、信頼。


 互いに自由にすればするほど、信頼というのは重みを増すし、その分大切にされるべきものだ。


「だから、そこが蒼くんの良くない点と言うか、ズルい点なんだけどなあ」

「ズルい……? むしろ、俺としては公正な方だと思うんだけれども……」

「んーん、ズルいよ──だってそれは、自分は君のことを好きにさせるんだから、僕も自由にさせてもらうよ──っていうことなんだから」


 それは互いに結び合うものじゃなくって、ただ押し付けているだけに過ぎないじゃないのかな──と、斑雪はそう言った。

 信頼とは、信じ頼るということは、互いがあってこそ成り立つものである。


 片方だけが重くてはならない。片方だけが軽くてはならない。

 互いが互いに、同程度の尺度をもって、同程度の重みを持つべきだ──それも、俺だって分かっているつもりだった。


 いや、いいや。

 あるいはそれは、本当にただの「つもり」に過ぎなかったのかもしれないのだが。


「ちょうどあの日──蒼くんがお家に来た日」

「うん、まあ、来たんじゃなくて連れてこられたんだけどな。というか、ほとんど誘拐だったんだけどな?」

「蒼くんが! お家に来た日!」

「過去の捏造に熱を入れ過ぎだろ……」


 危うく俺の記憶が間違っているんじゃないかと、不安になってしまう熱量だった。

 こいつ、自分のことを棚に上げまくっている……。


「語ってくれたでしょ? 浮気の定義は──ってやつ」

「ああ、あれな……」


 浮気をどこから浮気とするのかは、人よって変わってくると思う──というやつである。

 必ずしもこれ! という、明確かつ共通のルールはなく、人の数だけ定義があるという話のことだ。


 そして、それを踏まえた上で、他の男に抱かれたというのはどう考えてもアウトだボケがという話でもあった──はずだ。多分。

 まあ、それも嘘だったらしいんですけどね? しかも、嘘を吐いた動機は今のところ不明ときた。


 更に言えば、その不明とされている動機を、教えてくれなかった理由が、こんな下らなくも恐ろしい嘘を吐く理由でもあったというのだ。

 やれやれ全く、難解な話だなと思う──とはいえ、そう思っているのは、俺だけな感じがしなくもないのだが。


 うーちゃんは言わずもがな、斑雪と香耶さんも分かっているような雰囲気である。

 女性同士、分かり合うものがあるのかもしれない。


「蒼くんは、ほとんどのことなら許してあげられる……って言っていたと思うけど、うん、やっぱりね。それは、寛大とは言えないと思うな」

「いや、そりゃ俺だって、寛大は流石に過言かなと思うけれど、それでも別に、悪いことではないだろう? 許せる範囲は、広ければ広いほど良い……とは言わないけれど、極端に狭いよりはずっと良いんじゃないか?」

「それはまあ、確かに第三者が聞けば、その通りだなあって思うんだけどね」


 斑雪は少しだけ、次の言葉を選ぶように目線を泳がせた。

 それを追いながら、一息つきつつも、考える。


「だけど、やっぱり恋愛って、主観的で感情的なものだから。わたしなんて、君が神渡さんのことを、うーちゃんって呼ぶことすら嫌なくらいなんだよ? それが、例えば付き合ったとして、そういう意味じゃなくっても、蒼くんが自分以外の女の子に"好きだよ"なんて言ってるところを見ちゃったら、知っちゃったら、とてもじゃないけど耐えられないかな」

「──それ、は。だけど、言ってくれれば、話してくれれば、妥協点くらいは見つけられるだろ。大体、俺だって……逆の立場だったとしたら、面白くはない訳だし」

「うんうん、そうだね。わたしもそう思う──だけど、そうシステマチックにはいかないのが、恋愛ってものなんじゃないのかな」


 許されたくない、許したくないというのは、言わば束縛である。

 人を縛り付ける行為、人に制限をかける行為──人から、自由を奪う行為である。


 それらがマイナスに働くことはあれども、プラスに働くことは早々ないと言って良い──だから、そういうことなのだと、斑雪は言った。

 他人と付き合っていくにあたって、極々ごもっともな、短い一言を。


「ごちゃごちゃ言って、嫌われるのは嫌だもん。それが好きであればあるほど──ね?」


 好きだからこそ、耐えられなくなることがある。

 好きだからこそ、恐ろしくなることがある。


 そして、好きだからこそ、人は人を独占したくなる──それはきっと、理性的にどうこうなるものでは無い。

 誰と付き合うにせよ、一抹の不安は付き纏うものだ。


「信頼は、時間をかけて築き上げるものだし、積み上げるものだと思うから。そしてそれは、やっぱりどれだけ一緒にいれたかで、決まるものだと思うよ。だから、わたしは神渡さんのことがちょっとだけ分かるし、ちょっとだけ申し訳ないって思うかな──」


 きみを独占しているのは、わたしだから。と、斑雪は少しだけ目を伏せた。

 大学を出て、この会社に入ってから、確かに俺は仕事にかかりっきりであった──それこそ、これまで語ってきたとおり、家より会社にいた時間の方が、長かったくらいだ。


 それも、アイドルと距離を近くして、共に過ごすような職業である。


 そういえば、同棲を始めた一番大きな理由も、それだった気がする──付き合っているというのに、あまりにも一緒にいられる時間が少ないから、という。

 あまりにも捻りのなく、けれども感情的で、大切な理由。


 いつから俺は、その環境に甘えるようになっていたのだろうか。

 二人で暮らすようになって、無理に休日を作ったり、時間を作ったりすることがなくなってしまった。


 それが、当たり前だと思うようになっていた。

 ただ、信頼しているからと。信用しているからと。


 斑雪には軽く言っていたような”好き”すら伝えられていない期間が、どれほどあっただろうか。


 ──あーくんの信頼には、芯がないんだよ。


 頭の裏で、うーちゃんの言葉がリフレインする。

 なるほど確かに、こんな有様では、信頼も何も無いのかもしれない。


 信頼は、無条件に出来るものでは無い。

 信頼するに足る理由があって、好意があって、思いやりがあって、大切にしたいと思うから、成り立つものだ。


 理由は消耗品だ。

 継続的に供給し合えなければ、いつか尽きるものである。


 であるのならば。

 俺はどれだけ、それだけの理由を与えられていたのだろうか──与え続けることが、出来ていたのだろうか。


 出来なければどうなるかなんてことは、痛いほど知っていたはずなのに。

 俺は──俺、は。


「まあ、それはそれとして、喧嘩両成敗って感じではあるかなって言うのが、わたしの本音だけどね」

「それはまた、何と言うか、俺に甘すぎな判決だな……」

「えへへ、それはほら、惚れた弱味と言うか何と言うか……っていうのもあるけれど、やっぱり蒼くんも、傷ついたのは事実だから」


 それに、君が盲目的に人を信じたい人だっていうのは、知ってるもん──と、斑雪は本当に、攻めるつもりのなさそうな、曖昧な笑みを浮かべた。

 どっちもどっちだよ、なんて言いながら。


「君は悪い男だけれど、悪いだけじゃない。そういうズルい男ってことだねっ」

「いやそれは本当に悪い男が言われるやつじゃない!?」


 大体、盲目的は流石に言い過ぎだろう──と思うものの、実際にその通りなのかもしれないと、ちょっと不安になる俺だった。


「だからね、ふふっ。話しても良いよ? 君が信頼を大切にする理由──大切にするようになった理由。それを聞いたら、情状酌量の余地ありで、君はギリギリ悪くなくなるかも」

「……ははっ、悪くなくなるってことはないだろ」


 悪行は償えても、なくなることはない。

 善業で取り繕うことは出来ても、過去は消えることはない。


 けれども、そうだな。

 聞いてくれるというのなら、話すのも良いだろう──それこそ、まだまだこれからも付き合っていく相手なのだから。


 信頼するべき相手であり、信頼したい相手であるのだから。

 その発端は、やはり語られるべきなのだろう。


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