元カノさんのお気持ち
「んー、ふふっ。それはダメ。私が許さない、よ。あーくん」
「ダメとか許さないとかあるシステムなんだこれ」
恋愛関係ってそういうものだったっけ? と思ったが、俺の恋愛経験と言えば、それこそうーちゃんくらいなものである。
強いて言うのであれば、斑雪も経験としては入れても良いのかもしれないが、あれはどちらかと言えば、俺が救われてるような形だからな……。
完全な受け身の恋愛である。
経験としては、貧弱も良いところだろう。
スライムほどの経験値も入るわけがないぜ。
「だいたい、詳しい話も良く聞かずに、逃げ出したあーくんが悪いんだと、私は思うんだけど、ね」
「別に、詳しく聞くまでもないだろ──」
──付き合っていた恋人が、他の男と寝た。
それは、あるいは許せる人間も、世の中にはいるのかもしれないが、少なくとも俺には難しいことだった。
ただでさえ、日頃から信頼というものを大切にしている俺である。
それを裏切られて、平然としていられるほど、俺の器は大きくはなかった──あるいは、人はそれを大人と言うのかもしれないが。
それなら俺は、子供でも良いと思う。
自分の大切にしているものを、蔑ろにはまだしたくない。
「俺が信頼を大切にしてるってことくらい、うーちゃんは分かってるだろ。その上で浮気したんなら、それはもう、別れるしかないって」
「んー、ふふっ。信頼、ね──ねぇ、あーくんの言う信頼ってどういうものなの、かな」
「どういうもの、って──」
いつであったか、エヴァに言われた台詞とデジャヴュって、少しだけ考える。
信頼の形──それは、目には見えないものだし、あるいは証明できないものとも言える。
だから、人それぞれの定義が必要となるのだろう──であれば、俺の定義する信頼とは。
俺の思う信頼とは、一体どういうものなのだろうか。
エヴァはそれを、期待だと言った。
それに対して俺は──俺、は。
「あーくんは昔から、信頼って口にするし──私には、そうなった理由も分かっているけれどもね。それでも、あーくんの言う信頼は、口にするにはあまりにもいい加減すぎると思う、かな」
「いい加減って……」
「だって、あーくん。自分の信頼がどういうものかって、自分で説明できなかったでしょう? それがあーくんの答え、だよ」
──要するに、あーくんの信頼には、芯がないんだよ。
と、うーちゃんは困ったように笑った。
それは本当に、俺を困らすのではなく、うーちゃん自身が心底困ったような笑みで、何も言えなくなってしまう。
返せる言葉がなくなってしまったということは、それは言うまでもなく、図星であったということになる──なってしまうだろう。
そんな俺を見て、それでもうーちゃんは、子供を見るように笑った。
呆れるでも、興味が冷めるでもなく、ただ小さな子供をあやすような、和らぐ笑みを浮かべる。
「そういうところだよ、あーくん。あーくんの……うん、唯一と言っても良いくらいの悪いところ、かな」
「……悪いところがあったなら、言ってくれれば良かっただけだろ」
「それだと意味がないと、私は思っていたから。まあ、だからこそ、こんな下らない嘘を吐くことになったのかもしれないのだけれども、ね」
「下らない嘘……?」
何のことだろう、と思うと同時に、もしかしたらという可能性に思考が結びつく。
それから、そんな訳がないと自身を否定すればうーちゃんが、
「あのね、あーくん」
と言って、俺の思考に牽制を入れた。
ゆるりと笑みを浮かべて、目を合わせる。
「幼い頃からずっと好きで、ずっと想い続けていたあーくん以外の男に、本当にこの私が抱かれるとでも思ったの? そうだとしたら、私を甘く見すぎなんじゃあないの、かな」
「……は?」
「だから、他の男に抱かれたなんて嘘だって言っているんだよ──」
──まさか、こんなにも効果があるとは思ってもいなかったけれども、ね。と、うーちゃんは小さくウィンクをして、そう言った。
まるで稲妻が落ちて来たみたいに、思考がスパークする。
頭の中がまっさらになって、目を丸くした俺を、しかしうーちゃんは、浅く笑った。
「でも、そんなことも分からないままなら、あーくんにはまだ早かったのかもしれない、ね。それが分かるまで……あーくんの信頼に芯が宿るまでは、一緒に住むのはお預け、かな──ああ、でも」
鞄を持って、席を立ったうーちゃんが、不意に俺の頬に手を当てた。
そのまま柔らかい感触と小さな温もりが、唇を伝う。
「それまで浮気はメッ、だよ。あーくん。だってきみは、私のモノなんだもんっ」
それじゃあご馳走様でした、また来るね、あーくん♡と。
僅かに弾んだ足取りのまま、うーちゃんは去っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます