元カノさんの来襲
「ん、やっと来たね。大体二週間ぶりくらい、かな? あーくん♡」
今日分の撮影が無事終了し、やや急ぎ目で事務所に戻ったところ、開口一番に飛んできたのは、そんな一言だった。
言葉の最後。一音か二音を区切って強調する、独特な喋り方。
随分と聞き慣れた、成人女性の声──軽くパーマをかけたピンクブラウンの髪を揺らしながら、小さく手を振ったのは、やはりというか、
いわゆる元カノであり、正直言って、今でもかなり引きずっている女性である。
ついでに言えば、視界に入れているだけで俺のストレス値を底上げさせてくる相手でもあった。
意識せずにため息が出る。それを止めようとしても、どうしようもなく深い息が出た。
やや不健康的な、けれども綺麗な真っ白い肌。少々小柄で、頭のてっぺんが俺の肩ほどまでしかない。
ガーリー系の服に身を包む姿は、俺の持つ、彼女の記憶と完全に合致していた。
まあ、一週間や二週間で、人の見た目なんて変わるものでもないが。
「お前、何しにここに……ああ、いや、良い。言わなくて良い。絶対に拗れる、一旦外に出よう」
「んー、私は別に
「俺が良くないって話なんだよなあ……つーか、何なら仕事終わりまで、待ってて欲しいくらいだし、もっと言えば黙ったまんま、早急にお引取り願いたいくらいんなんだけど……」
「それは了承しかねる、かな。行方不明のあーくんに会う為だけに、久々に外に出たんだから」
「相変わらずの出不精だな、お前……」
「そうなったもの、あーくんに一因があると思うけれど?」
ああ言えばこう言う彼女に表情を歪める。どちらにせよ、この場で言い合っても負かされるだけになりそうだと、何となく察したからであった。
それに、あまり身内の恥を──と言うには、今となってはあまりにも他人すぎるのだが──を晒すわけにもいくまい。
そう考えると、何故こいつがここにいるのか、甚だ不思議であるのだが、今考えても答えは出ないだろう。
今更、復縁を求めに来たようにも到底思えない。
だから、今できることと言えば、それこそさっさとご退場願うことあるまい。何ならさっきから、背後で黙りこくってる斑雪とか怖くて仕方ないからね?
バシバシ殺気が出てるから。もうちょっと上手く隠してくれないかしら……。
ただでさえ、変に緊張してしまっているのか、今にも吐きそうなコンディションなのだから、不穏の種を増やさないでほしかった。
ハァ……と、再び大きくため息を吐いてから、顎だけで外に出るのを促す。
「……ふふ、何だか少し見なかった間に、随分と傲慢になった、かな?」
「傲慢って……人間、そう簡単に変わらないだろ。ただ、もしそう見えるのなら、原因は百パーセントお前だ」
「んー……? あは、良くない、かな? それ」
そう言って、彼女は一歩寄ってグイッと俺の顎を掴んだ──そのまま彼女の薄く赤い瞳(もちろんカラコンだ。天然物ではない)と、覗き合うように見つめ合わせられる。
暫く俺の後ろで黙っていた斑雪が、小さく息を呑む音が耳朶を叩いた。
「いつから、私のことを”お前”なんて言うようになったのかなー? あーくんは。照れてるのかな?」
「別に、呼び方くらいなんでも良いだろ」
「ダメダメ、良くないよ。ほら、ちゃんといつも通り呼んで欲しい、な。そうじゃないと、ずーっとここに居座っちゃうよ? まあ、私はそれでも一向に構わないんだえけど、ね」
「……悪かったよ、うーちゃん」
「はい、よーくできました」
嬉しそうに──本当に、驚いたことに心底嬉しそうに笑った彼女は、そのまま俺の顔を引き寄せた。
元より至近距離にあった俺達の顔は……正確に言うのであれば、唇は。
そのまま薄く重なり合った。
「──冗談よせよ」
怒気を強めに呟いたつもりだったけれど、意に反して出てきたのは、掠れるような声だった。
それが届いたのかどうかは分からなかったけれど、彼女は笑顔を保ったまま、パチリとウィンクをした。
「罰ゲーム兼サービスってところ、かな」
ああ、後は軽い牽制も込みだけど、ね。と俺を──俺の後ろの斑雪に、静かにうーちゃんは目を向けた。
まさか、俺達の仲に気付いている訳ではないだろうが、しかし、アイドルとマネージャーであるということくらいは、流石にうーちゃんだって知っている。
まあ、だからといって、牽制ってなんだよとは思うところではあるが。
仮に今も、彼女であったのなら納得できなくもないが、今はそうではないのだから。
今はもう、他人でしかないのだから。
「うふふ、難しい顔してる、ね。そういう顔してるあーくん、私は大好き、かな」
「悪趣味も良いところだな、さっきから……とにかく、もう条件は満たしたろ」
「あんまり必死に怒られると、私としてはもっと揶揄いたくなるんだけど──ま、それは後のお楽しみ、かな」
それじゃあ、なるべく早く追ってくるんだよ。と。
一切の悪気を感じさせない、蠱惑的な笑みのまま、うーちゃんは事務所を出ていった。
残されたのは当然俺たちだけであり、一瞬で気まずいを通り越して、個人的には最悪な空気のまま目が合った。
数瞬の沈黙。吐き出すように俺は項垂れた。
「ッスー……何だろう、とりあえず土下座とかした方が良いですかね?」
「何でもかんでも土下座でなんとかしようとしてる!? それは悪い癖すぎるよ、蒼くん!?」
しかもしっかり敬語になってる! と叫ぶ斑雪だった。
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