非日常→→→日常


 今更なことを言ってしまうのだが、俺が斑雪と一晩、あるいは二晩共に過ごすということ自体は、それほど珍しいことではない。

 これでも互いに忙しくしている方であり、その「忙しい」というのも、ほとんどがお互い共通することだからである。


 だから、二人で事務所で寝泊まりというのも、言うほど頻繁にある訳でもないが、経験したことがないという訳でもなかったし、言うまでもなく、緊張するほどのものではない──


「──はず、だったんだけどなあ」


 ぼんやりと呟いた一言は、浴槽内で静々と反響した。

 無論、銭湯なんかではないし、どこかしらのシャワールームでもない。


 俺は今、斑雪の家の湯船に、ゆったりと全身を浸らせていた。

 女性らしいシャンプーやらトリートメントなんかが並んでいると、余計にそれらを意識する。


 いや、正確に言うのであれば、男性用のものが並んでいないから、と言うべきだろうか。

 これでも同棲してたからな。


 見慣れていないということはない。けれども、人によって使用しているものは違って当たり前で、少し新鮮に映った。

 ……いや、何かこういう言い方をすると、自分はモテてる人間で、これまでも色んな女の人と付き合ってきましたよというアピールに見えて嫌だな……。


 実際のところは、そんなことはないので、本当にただのイキったアピールになりかねなかった。

 元カノが初めての彼女である──だからこそ、余計に引きずってしまっているのかもしれないが。


 こういう時の切り替え方とかも、授業で教えてくれれば良かったのにと思う。

 こころのノートとか、今のところ役立った覚えがないんだが?


 出来れば異性との上手な付き合い方とかも教えて欲しいまであった。

 例えば、そう。抵抗の余地なく同棲させられることになった時の、上手な対処方法とかな。何それ対犯罪マニュアルかよ。


 まあ、何だ。

 結局何が言いたいのかと言えば、シンプルに緊張しているということであった。


 一昨日は意識をフッ飛ばしており、昨日はあまりにも色々あり過ぎた衝撃や疲労で、考える間もなく落ちてしまったが、今日は違う。

 いつも通りの日常が半分以上、非日常に移り変わっているのが、より鮮明に意識できてしまう。


 これから先、この非日常が日常にすり替わっていくのが、手に取るように分かる感触に、思わず息を吐いた。

 いや、もちろん、すり替わらないよう努力はしないといけないのだが。


 それが言葉通り、そのように出来たら苦労しないという話である。

 事実、全く嬉しくないという訳ではない。


 だからこそ、困りどころであり、緊張するというものであった。


「蒼くーん? 湯加減どう? ちょうど良い?」


 今日だけでもう、何度吐いたか分からない溜息を、また吐こうとしたところで、扉越しに声がとんできた。

 思わず飲み込んでしまって、むぐっと喉が詰まる。


「んっ、んんっ、大丈夫、ちょうど良い。だから絶対に……絶対にその扉を開けるなよ。分かったな? 身のためだぞ、俺の」

「何で田舎のお爺ちゃんが、近所の神社に近づくなよのテンション感で言うのかな……言われなくても開けないってば。タオル、置いとくからね?」

「あ、悪い。それは普通に助かる、ありがとう」

「いえいえ、どういたしまして。あっ、背中とか流す?」

「馬鹿ッ、呪うぞ!」

「現代人がして良い脅しじゃなさすぎない?」


 時代が二百は前だよ……と呆れたように言う斑雪だった。俺もそう思う。

 とはいえ、ここまで来たらスピリチュアルに頼ってしまうというのも、仕方ないというものだろう。


 普通にフィクションじみてるんだよ、現状が。

 とてもではないが、ノンフィクションとは思えない。


「でも、アレだねぇ。君とわたしが同じ匂いさせて出社したら、すぐにバレちゃうかもだねぇ」

「まあ、それはそれで良いかなみたいな声音に聞こえるんだけど、俺の気のせいってことで良いか?」

「それは蒼くん次第かなあ」


 明らかに弾んだ声音が耳朶を叩く。明日、絶対に自分用のシャンプー等を買ってくることを誓う俺だった。

 普通にエヴァ辺りには看破されそうだしな。あいつ、普通に斑雪と仲が良い……というか、尊敬している先輩枠だし。


 大体、同じシャンプーやらを使っている時点で、何かどっかしらの感覚が麻痺っていたことを自覚する俺だった。


「だけど、きみがわたしと同じ匂いしてるってこと自体は、ちょっと嬉しいかな」

「嬉しいのか……」

「うん──だって、まるできみが、わたしのモノになったみたいじゃない?」

「人をモノ扱いするんじゃないよ……」


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