家主さんと居候



「ふぅん、それで? わたしというものがありながら、エヴァちゃんとデートしてきたから、帰りが遅くなったんだ? へぇ、それはそれは。お楽しみでしたね~~」

「嫌味な言い方するのやめろよ……申し訳なくなってきちゃうだろ」


 家に帰ると(無論、俺の家にではなく、斑雪の家ではあるので、帰るという言葉はあまり適切でないかもしれないが)、ムスッとした斑雪に出迎えられた。

 腕を組んだ仁王立ちである。


 最近は、ドラマや映画にも出演することが多くなってきたせいか、中々に堂に入っていて、迫力がある。

 何だか飲み会で帰りが遅くなった旦那さんが、奥さんに怒られてるみたいな図だなあと思った。


 実際は、居候が家主にキレられてるだけの図であるのだが。グレードが低すぎる……。

 こうなってくると、最早俺には頭を下げることしか出来ない。


 というのも、思いの外エヴァとの反省会が盛り上がり過ぎてしまったせいで、斑雪への連絡を失念してしまっていたのだ。

 なので、先に一人で帰った斑雪は、必要もないのに二人分の食事を作り、風呂まで沸かし、待っていたという。


 これは流石に俺が悪いというか、俺にしか非がないとしか言えないだろう。

 ぺこぺこと平謝りしていれば、ピッ! と人差し指を向けられる。


「そもそも、こんな時間まで未成年を連れ回してるのも問題だと思うし」

「本当に耳が痛い話が出てきたな……」

「エヴァちゃんに友達が出来ない理由の、七割は君が原因だって噂だし」

「本当に初めて聞いた話が出てきたな……」


 しかも全然脈絡がない話だった。俺にダメージを与える為なら手段は選ばないスタイルの斑雪だった。

 これは思ったよりもお怒りかもしれない、と背筋を正す。


 そしてそのまま、ごく自然な動きで床に膝を付けた。


「言っておくけど、ビジネス土下座は受け付けないからね」

「おい、俺の最終手段を先読みして潰すな、どうすんだこの膝。もうついちゃってんだぞ」

「何でも土下座で何とかしようとするの、君の悪い癖だよ……ま、言うほど怒ってはないんだけどね」


 そもそもわたしの我儘みたいなものだし──と、先程回した俺の思考と、似たようなことを小さく呟く斑雪だった。

 まあ、全く以てその通りだし、この点をゴリ押しすれば、何とか有耶無耶に出来そうなものではあったが、それは人としてどうなのかと思う。


 冷静になってもみれば、まあ、助けられたと言えなくもないのだし……。

 少なくとも、泥酔して爆睡しているところを、出社してきた他の社員に発見されるとかいう、最悪のシナリオだけは避けられた訳だしな。


 そういう風に考えると、恩人とギリギリ言えなくもないのかもしれなかった。


「でも、ちょっとくらいは怒ってるかな」

「はぁ……何だ? 金か? 幾らで許される?」

「何でもお金で解決しようとする悪い大人だ!?」

「まあ芸能界の人間だしな」

「芸能界エアプみたいな台詞だ……」


 呆れたように笑う斑雪と、同じく浅く笑う俺だった。

 お金は大体の場合で万能ではあるが、何でも金で解決するほど、世の中って甘くないからな。


 例えばほら、今みたいにな?


「そうじゃなくって、示す誠意ってものがあるでしょ? だから、はいっ」

「はいって言われてもな……」


 両腕をパッとこちらに向けるように広げ、期待を表情にアリアリと乗せる斑雪だった。

 言うまでもなく、ハグ待ちである。


「考えてもみれば、愛する人が出迎えてくれたんだから、ハグしてチューは基本じゃないかなって、わたしは思うんだけどなー?」

「まあ、概ね同意だな。問題は俺とお前は愛し合ってないってことなんだが……」


 何なら愛の一方通行なまであるのだが……。


 斑雪は言っても聞かないというか、都合の悪い部分は耳に入れないスタイルらしかった。

 俺の台詞など無かったかのように、百点満点の笑顔を見せたまま、ハグを要求している。


 意識せずに、ため息を一つ吐く──別に、もう裏切りでも何でもないというのに、どうしても湧き上がってくる、元カノへの罪悪感が、重い吐息となって零れ落ちた。

 それは本当に、全く感じる必要のない罪悪感なのだけれども、しかしそれは、俺が何より大切にしていた誠意でもある。


 そう簡単には捨てられない──フラれた側なのだから、なおさらだ。

 意外と俺は、根に持つというか、普通に引きずるタイプだった。


 何なら夢に出てくるからね、元カノ。

 ……言ってて情けなくなってきた。


「……終わった恋愛を引きずることほど、非生産的なこともないんじゃない?」

「うわっ、いきなり分かったようなこと言うなよ。ビックリしちゃうだろ」

「分かったような、じゃなくて。分かってるんだよ。だって、好きな人のことなんだもん、ね?」

「理由になってるようでなってないだろ、それは……」


 普通におかしくない? と食い下がろうとしたが、これ以上の問答は許さないとばかりに「んっ」としか言わなくなる斑雪だった。

 少しの──いや、結構な逡巡の後に、今度は意図して長く息を吐く。


 そのまま小さく歩み寄って、斑雪を抱き寄せた。

 ふわりと女の子らしい、柔らかな香りがして、華奢なのに確かな温もりが肌を伝う。


「あー……俺、マネージャー失格だ……」

「んふふっ、そうしたらマネくん辞めて、わたしの旦那さんになっておく?」

「それも悪くないって思いそうになったから、失格だって言ってんだよ……」

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