二人のルール


「ルールを幾つか決めよっか」

「ルール?」


 激動の朝を終え、ようやく迎えた昼の頃合い。

 結局、強引に出ていく訳にもいかなくなり、渋々と居座ることになった俺に、斑雪はお手々を合わせてそう言った。


「そう、ルール。君がここでわたしと暮らすにあたって、守るべきルールを作ろうかなって」

「いや、でもお前、それって……」


 最終的に画像をばらまくぞと言われたら、どんなルールでも俺が泣いて謝り全てに従うしかないんだけど……。

 アレ、俺への強制命令執行権だからな。


 部屋で過ごす時は常に全裸で逆立ちしてろと言われても従うしかないわけである。

 恐ろしくって涙が出てきたな。


 もちろん、それは斑雪にとっても自爆行為ではあるが、諸々事情があって俺よりダメージが少ない。

 俺とかアレだからね? 普通に無職一直線だから。


 騒動を起こした以上、同じ業界に戻るのは無理だろうし、帰る実家が存在しないので頼れるところがない。

 考え直してみると、結構マジな詰みに陥ってる俺だった。借りてる家(つまり元カノと暮らしていた部屋)すら、今戻ったら多分吐くからな。ストレスで。


「……せめて、俺の人権だけは守ってくれても良いか?」

「長考の末に出てきた台詞がそれ!? わたしへの信頼が薄すぎるでしょ……」

「強制同棲にまで持ち込んできたやつに言われてもなぁ」


 悪いが説得力は皆無を超えて、絶無である。


 この類の話に関しては、お前の信頼は既にゼロぶち超えてマイナスだ馬鹿。

 何ならもう、今からどうルールの隙間を突くかしか考えてないまであるレベル。


「任せろ、法に触れないギリのラインまでなら、妥協できるから」

「絶対に妥協しちゃいけないところだよ、それは……」


 覚悟を決めた俺に、呆れたように小言を零す斑雪。

 彼女はそのまま、「ていうか」と言葉を続けた。


「わたしがそんなことを要求する訳ないでしょう? だって、君との同棲がわたしにとってはもう、ゴールみたいなものだったんだもん。これ以上、理不尽なこと言わないよ~」

「本当か? この部屋から出ることを禁ずるとか言わない?」

「もし言ったとしたら、それは余裕で法に触れちゃってるじゃん……」


 超軟禁だよ、それ……。と小さく笑う斑雪だった。

 どうやら俺が従う図はかなり見えているらしい。

 

 それから「コホン」と、斑雪は息を吐く。


「ルールって言うのはね、例えばご飯の当番はどうするとか、お皿洗いはどっちがするとか、お掃除や洗濯の担当はどうするかっていう、そういうルールだよ」

「ああ、そういう……盲点だったな」

「盲点だったんだ!?」


 言われてもみれば、なるほどなと納得できてしまう、これ以上ないほど真っ当なルールだったのだが、それ故に見落としていたと言えるのかもしれない。

 ついでに、そういえばうちにも、そういうルールがあったなあと思い出す。


 元カノは、仕事的に家にいることが多かったから、家事の類をお任せすることが多かった。

 ……もしかしたら、そういうところが悪かったのかなあ。


「ていっても、わたしたちって基本的に帰ってくるのは一緒になると思うから、曜日で担当決めるくらいで良いと思うんだけどね」

「ま、そうだな。休みもある程度は一緒だし」


 何ならこいつの送り迎えのドライバーが、普段は俺なまであった。

 スケジュール管理してるのも俺だし、あまり細かく決める必要はないだろう。


「だから、まず決めなきゃいけないのは、一緒にお風呂に入るかどうか、一緒のベッドで寝るかどうか、だよね……」

「そんな深刻そうな顔で言うことだった? 悩む余地がゼロすぎるだろ」

「やっぱり、一緒にお風呂はまだ早いよねぇ」

「一緒に寝るのもまだ早いって言うか、この先も有り得ちゃいけないんだけど……」

「でももう寝ちゃったじゃん」

「……ぐう」


 あまりの正論に、本当にぐうの音しか出なかった。

 酒が入っていた──というのは、言い訳にならない。


 残念ながら、これでも大人だからな。

 自分のやったことは、自分で責任を持つ必要がある。


「それに、そもそもうちはベッド、一つしかないし」

「いいよ、床で寝るよ……慣れてるし」

「絶対慣れてて良いことないよ、それ……」

「何なら冷水シャワーでも耐えられるぞ」

「蒼くん、一体過去に何があったの……!?」


 完全に、人には言えない類の過去を持ってる男だと思われる俺だった。

 一応言っておくのだが、特にそんなことはない……はずである。


「ん-、それじゃあ分かった。一緒に寝るのは決定ね、玄関で寝られても困るし」

「いや、流石に俺も玄関では……あるけど」

「あるんだ!? 益々ベッドで! 絶対! 寝るからね!?」


 




「それじゃ、明日からお願いねっ」


 言いながら、斑雪がするりと台所に入ってく。

 その後ろ姿を眺めながら、少しだけ感じる疲労感に身を委ねつつ、ソファへと背を預けた。


 あれから、例に上がっていたような、各家事の担当だったりを決めていれば、すっかり時間が経っていた。

 お昼は話し合いながら、あったものを適当にいただいたが(と言っても、起きたのがほとんど昼だったので、軽食だったが)、夕飯は見ての通り、斑雪のお手製である。


 隔日で担当になったという訳だ──明日は普通に仕事だから、今の内から献立でも考えるかなとまで考えたところで、ふと気付く。

 仕事……そう、仕事なんだよなあ。


 個人的には、世界がひっくり返るような衝撃に遭ったというのに、日常はいつも通り回るのである。

 ままならないものだなあ、とコップを傾ける。


 ──彼女は今頃、何をしてるだろうか。


 視線は斑雪を捉えているのに、暇が出来るとそんな思考が湧いてきてしまうのは、少し不誠実かもしれないと思った。

 本当は全く、そんなことを思う必要はないのに。


 好きだった人を、すぐに嫌うことは難しい。

 人の感情というのもまた、ままならないものだ。

 

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