マネさんの事情
本気で結婚まで考えていた彼女を、突然見知らぬ男に奪われた挙句、怒ることすら出来ずに泣いて逃げるという、負け犬も真っ青な負け男ムーブをかましていたところを、同僚の女性に押し倒されて、何でか同棲することになってしまった──と、ここ最近で起きた、俺的ビッグイベントを一言で説明するとこうなってしまうのだが、なるほど改めて言葉にすると、創作かよと笑ってしまいたい展開の連続である。
他人の口から聞けば、酒の肴になること間違いなしではあるが、実体験者である俺からしてみれば、これ全部夢オチだったことにならねぇかな……というのが素直なところである。
何が問題って、ここまで俺の意思が一切介在していないのが問題なんだよね。
何だか流されるがままに、此処まで行きついてしまったような感覚だ。
いや、まあ、流れが激流すぎるので、然もありなんといったところではあるが。
そうは言っても、やはり現役アイドルであり、担当でもある
もちろん、自ら誰かに告げるようなことはないし、斑雪も香耶さんもそうだろうが、しかしこういった秘密というのは、どこから漏れるのか分かったものでは無い。
正直言って、毎日が戦々恐々である──特に、この事務所は利用する社員が多いから、猶更だ。
というか、常駐している社員は少ないが、一時的に利用する社員が多いというべきだろうか──香耶さんが常駐しており、俺と斑雪もほとんど常駐しているようなこの事務所は、うちの会社の女子寮がすぐそこにあった。しかも駅チカ。
つまるところ、うちの会社が抱えているアイドルだったり、配信者が仕事の合間の休憩やスケジュールの確認、打ち合わせに使うにはピッタリな立地なのであった。
先日のように、三人しかいないような日はかなり珍しい。
いつもなら、他に一人か二人くらいはいるもんだ……と言っても、現在進行形で事務所にいるのが俺だけな時点で、説得力はかなり低めであるのだが。
斑雪は雑誌の撮影で、香耶さんはその付き添いだった。
本来であれば付き添うのは俺であるべきなのだが、香耶さんが息抜きをしたいと言うのでお任せした次第である。
こういったことは、意外と良くあることだ……もちろん、香耶さんへの信頼ありきではあるが。
あまり褒められたことではないが、正直大いに助かっているので、文句は言えない──というのも、俺は斑雪のマネージャーではあるが、専属ではないからだ。
というよりは、斑雪も含めてマネジメントしている、と言うべきか。
まあ何だ。
要するに、俺は──
「やっほー、マネさーん。相変わらず、死人みたいな顔で仕事してますねぇ。社会人として、恥ずかしくないんですか?」
「いや言い過ぎ言い過ぎ、恥ずかしいに決まってるだろ」
「恥ずかしくはあるんだ……」
──斑雪の他にもアイドルを、かけもちで担当しているのだった。
しかも、斑雪以外のメンバーの内、一人はは御覧の通り、セミロングな髪を金色に染めている、クソ生意気な現役女子高生である。
「それで、マネさんが彼女さんにフラれたって話はホントなんですか?」
「は? おいちょっと待て。何でその話が流出してる訳?」
「あっ、その反応ってことは、やっぱりホントなんですねぇ。アハハッ、道理でいつもより陰のオーラが凄い訳だっ」
「陰のオーラって何だよ……」
もうシンプルにただの悪口だった。
こいつは俺を傷つけないと発言できないのか? と勘繰りたくなるくらいではあるのだが、これがこいつ──紫藤荏碆の平常運転でもある。
急に難読漢字が出てきたんだけど……と思われたかもしれないが。実は名前であり、これで「エヴァ」と読む。紫藤エヴァちゃん、という訳だな。
今時チラホラと見る、当て字タイプのキラキラネームというやつだ。
ご両親はどちらも高校教師で、ガッチガチに厳しい感じの雰囲気なんだけどな……。
まあ、普段から律してる感じの人ほど、重要な時に変に緩まっちゃうのかもしれない。
娘としては溜まったものじゃないだろうが、エヴァ自身はあまり気にしていない様子だった。
というか、エヴァという名前の響き自体は、かなり気に入ってる節まである。
まあ可愛くはあるよな。
「ま、元気出してくださいよぉ。マネさんならほら、すぐに良い相手見つかりますって」
「そういう根拠のない励ましが、今一番いらないんだが……いや、ていうか何で知ってる訳?」
「うわ、面倒臭い男だ……情報源についてはヒ・ミ・ツです♡」
チュッと投げキッスをしてくるエヴァだった。すげぇ腹立つな……。
俺じゃなかったらグーで殴ってたからな、この小娘が……。
静かに握りしめた拳を、俺は静かに解く。
「でもぉ、そーなるとマネさんって今、フリーってことですよね?」
「…………まあ、そうだな」
思わずかなりの間を開けてしまったのは、フローと言って良いのか、微妙に分からなかったからである。
一応は、斑雪の家に転がり込んでる訳だからな……。
フリーであると言っても、フリーではないと言っても、嘘になりそうだった。
「……もしかして、もう次の相手がいたりしますか?」
「んっ、んんっ、何を言ってるのかさっぱり分からないなぁ!?」
「滅茶苦茶図星の顔してるじゃないですか!? うわー、マネさんサイテー!」
「勝手に人の顔を読み取って、そういうこと叫ぶのやめない? 俺の風聞が滅茶苦茶になっちゃうだろ」
うん、そうなんだよね。
御覧の通りと言うか、察してはいたかもしれないが、何かしらを隠し通したり、嘘を吐くのが死ぬほど苦手な俺だった。
昔から「蒼くんは何でも顔に書いてあるねぇ」と言われて育ってきた俺である。
大人になっても中々改善しない、厄介な性質だった──とはいえ、本当に全くそのままな訳でもないが。
「ま、冗談はさておき」
「本当に冗談でした? いや、冗談じゃなかったら、幾ら何でも斑雪さんが可哀想なんですが……」
「冗談はさておき! ……ちょっと待って? 何でそこで斑雪が出てくる訳?」
もうこいつ、全部事情知ってんじゃないの? ってくらいスムーズな斑雪の名前の出方だった。
香耶さんの件もあったし、もう俺だけが勝手に秘密だと思っている可能性がある。
つぅ……と冷や汗を流し始めると、「えぇ……?」という顔で、心底呆れたようにエヴァが言う。
「何でも何も、斑雪さんはマネさん超ラブじゃないですか。知らなかったとか、気付いてなかったとは言わせ……いや、マネさんは気付かないか。鈍感って言うか、そういうセンサー死んでますもんね」
「死んでたんじゃなくて、意図的に動かしてなかったんだよ……」
想定の十倍くらい小さくなった声で、そう返す俺だった。
そのくらいの衝撃だったというか、周知の事実だったのかよという気持ちが強い。
「折角、フリーになったんですから、斑雪さんのこと、ちゃんと見てあげてくださいね。うちらだって、アイドルとは言っても、その前に一人の女の子なんですから」
「余計なお世話だな……つーか、俺としては──」
一人の女の子である前に、アイドルとしてあってほしい。そう言おうとして、飲み込んだ。
我が事ながら、ビジネス的な物の見方をしすぎている……。
「俺としては、なんですか?」
「いや、一人の女の子なのは良いけど、もし付き合うような人が出来たら、俺くらいには教えて欲しいなと思ってな」
「なるほど、マネさんは束縛系でしたか……」
「リスク管理の話をしてんだよ……!」
馬鹿かお前はとため息を吐くのと、エヴァが声を上げて笑うのは同時だった。
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