年頃の女の子
「全くもう、蒼くんは本当、隙あらば女の子とイチャつき始めるんだから、油断も隙もあったもんじゃないなあ」
「本当にイチャついてるように見えた? 完全に脅迫を受けてたの図だったと思うんだけど」
各種レッスンが終わり、お月様が少しずつ姿を現し始めた頃。
香耶さんが早く上がったことで、俺たち以外がいなくなった事務所で、まったりと事務作業をしていれば、不意に斑雪がジト目を向けてきた。
確かに
最初とかガッツリ俺の首掴んでたからね? 振り払うとか以前に、「俺、これから殺されるんかな?」と思ったまである。
何なら足とかちょっと震えてたから。
しかし、斑雪はそんな俺の気も知らずに、若干以上に不満げな面で俺を見るのだった。
「やっぱり交際を発表して、変な虫が寄り付かないようにするしかないんじゃ……?」
「あんまり不穏なこと言うなよ……いやちょっと待って? 何か自然に交際が始まっちゃってるんだけど。別に付き合ってはないからね?」
「改めて蒼くんにそう言われると、わたしって何だか悪い男に騙されてる純粋無垢な女の子みたいだよね」
「自分で言うなよそんなこと……」
どっちかって言うと悪いのは
彼女の抱かれちゃった宣言から、不幸が連続している気がしてならない。
今も全体的に被害者なのは俺なのに、状況だけ見れば本当に俺しか悪くなさそうなのだから、性質が悪いというものだ。
ていうか、さっき香耶さんに絡まれたのも、原因としてはお前が俺の知らないところで相談したり、報告したりしてるからなのだが……。
そこはちょっと考慮されていないらしかった。
せめて情報共有くらいはしろよ。
「まあ、わたしはセフレでも良いんだけどね。どうせ、順序が変わるくらいの問題だし」
「お前は俺を何だと思ってる訳? 身体だけの関係なんてお父さん許しませんよ!」
「もう、お父さんじゃなくて、彼氏でしょ?」
「だから違うって言ってんだろ」
後はしたないことを言うのはやめなさい。仮にもアイドルなんだから……と口酸っぱく言えば、
「表で言わなきゃ良いと思うけどなあ……っていうか、こんなの年頃の女の子なら全然言うよ~」
とか小生意気な口調で返してくる斑雪だった。
女子の言う、年頃の女の子って具体的に何歳なんだろうな。
確かに斑雪は俺より年下ではあるが、それはそれとして、中学の頃から今日に至るまでずっと聞いてきた気がするぞ。
何なら母ちゃんくらいの世代も言ってるまであるレベル。
「年頃の女の子だってもうちょっと慎み深いだろ……。ていうか、慎み深くあれ」
「……蒼くん、それはちょっと女の子に夢見過ぎじゃない?」
「そりゃお前、相手はアイドルの女の子なんだから、夢くらい見るだろ」
「むっ」
これは一本取られたかも、みたいな顔で、返す言葉を探す斑雪だった。
やれやれ、俺に舌戦で勝とうなんて百万年早いってことを、そろそろ思い出してほしいところだな。
ここ数日は言い包められることが多すぎて、もしかしたらあらゆる場面で敗北を喫している男だと思われていたかもしれないのだが、意外とそんなことはない。
お互いではあるが、良い大人だからな。
学生のころと違って、酸いも甘いも嚙み分けてきた経験がある。
「むむぅ……彼女に裏切られた挙句、別の女の子の家に転がり込んでる癖に……」
「あの、ちょっと? 悪意のある言い回しはやめようね? 俺が悪かったからさぁ……」
味わって来た酸いも甘いも、意味を為さない激辛がこの世にはある。皆にはそのことだけを、覚えて帰って欲しいですね。
そんなことを思いながら、俺は静かに白旗を上げるのだった。
冷静に考えなくても、斑雪に弱みを握られている以上、俺の勝利は有り得ないのだった。
ていうか、言い回しに悪意があるってだけで、別に嘘ではないからな……。
困ったことに、真実である。
改めてそのことを認識すると、この先どうしよう……という不安に駆られる俺だった。
「荷物とか取りに行かないとだよなあ……住所も移さなきゃだし、次借りる家も探さないと……」
「次に借りる家って……出てくつもりなの? あーおくんっ」
「おい、スマホを見せびらかしながら言うのはやめろ……! 分かってる、分かってるから。まだ脅迫には従うつもりだから」
「聞こえが悪い言い方するなあ……っていうのは、お互い様かな?」
えっへっへ、と可愛らしく笑う斑雪だったが、果たしてそれを、純粋に可愛いと思って良いのかは甚だ疑問であった。
悪意100%の笑顔と、善意100%の笑顔は、意外と見分けがつかないのかもしれない。
「つーかな、お前のは悪いも何も、普通にそのまま脅しだ馬鹿……」
「失礼だなあ、善意しかないくらいだよ?」
「善意に私欲が混じってんだよなあ……」
むしろ私欲120%って感じである。善意はほんのおまけとしか思えないくらいだ。
それくらい横暴と言うか、自由に振り回されている。
それが快か不快かはさて置くとして、気分が紛れるという意味では、有難くはあった。
事務所で酒盛りを始めていたことからも分かる通り、俺は一人で落ち込み過ぎると、変な方向に走り出すきらいがあった。
しかしまあ、冷静に考えてもみれば、斑雪も大分冒険をしているなと思う。
この小さな事務所の、唯一の事務員である香耶さんを抱き込んでいるとは言え、俺を家に連れ込み、そのまま強制同棲を決行したその胆力には、舌を巻かざるを得ない。
斑雪だって馬鹿ではない。
現状が、どれほどのリスクを孕んでいるのかくらい、俺に言われなくても分かっているだろうから、猶更だ。
「ま、それに助けられてる時点で、文句を言う資格はないんだろうけど……」
「うわ、出た。蒼くんの勝手に思考を回して、突然意味深な一言を呟くやつ! それ結構不気味だからやめた方が良いと思うな」
「あれ!? 声に出てたか!?」
「一から十まで出てたけど……」
自覚無かったんだ……と呆れたような目をする斑雪だった。
一方俺は、これまで経験してきた、何故か急に距離を取られることがあったことの真意を理解し、軽く意識を飛ばしかけていた。
「で、でもほら! わたしは蒼くんのそういうところ好きだよ? ねっ?」
「苦しいフォローはやめてくれ、余計に傷つく……」
「せ、繊細過ぎる……気付けにチューでもしてあげよっか?」
「飛んだ意識が返ってこなくなるから本当にやめろ」
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