少年A(三)
「嬉しい知らせって?」
沸騰目前で火を止める。ティーバッグを二つ、白いマグカップを二つ。湯を入れティーバッグを深く泳がせた。湯はじんわりと色を出し、白く濁ったかと思えば薄い茶色を見せた。甘い香りが一室に漂い始め、聞くまでもなくミルクティーだとわかった。
「SIGの配属先が仮決定したよ」母から渡されたマグカップを一度そのままテーブルの上に乗せる。
仮決定する、ということが、つまりはアカデミーの卒業を意味していた。正しくは仮決定だが、最後の試験に落ちるものはそうは居ない。〈ポイント〉制度も無い。アビクはマグカップから視線を離し、母の感情を伺った。
「仮決定って……すごいじゃないの!」満足。そのままミルクティーを一口飲んだ。舌に流れる甘く重たいミルクの風味。幸福感に満たされる。極上なひとときとなる気をした。
「それで? どこに決まったの?」喉を過ぎる温かいミルクティーが一瞬で冷ややかに、または刺々しく熱を持ったような。ただの液体が今までに無いほど飲み込みづらく感じた。
アビクはこの質問を若干――若干ではないだろう――恐れていた。
母は地位や権利に固執しない人間だった。何より彼女本人が〈無力者〉であり、その差別を誰よりも感じていたからだ。〈無力者〉は仕事先に制限があり、当時彼女が目指した考古学者という肩書きは産まれた瞬間から無いものだったのだ。学者は真実に基づいた結果を出す。そして〈無力〉はこの世の中に存在する真実に含まれないのだ。存在してはいけないもの。無用な力。
だからこそアビクは、母が無風の如く波の無い生活を望むと知っていた。平和一番。汚いものには蓋をし、危うきには遠ざかる。ならばアビクが決まった部署はどうだろうか。彼は思った。反対される。反対され、説得され、果てには部署移動どころかSIGに所属することさえも否定されかねない。しかし彼は今日、本題に持ってきたのは部署の説明だ。言わないまま入っても良かったのにわざわざ帰省したのは彼本人だった。
「SIG行動班実行係に、所属予定だよ」ミルクティーを飲む素振り。喉を通るわけもなく、唇を潤しそのままマグカップに去っていく。震えんとする声にアビクは今一度緊張を再確認した。
「
「警察で言うところの刑事だよ。現場に行って、調べて。SIGの中では華型の部署かな」それに、と安定してきた声で続ける。「どの部署よりも頭が良くないといけないんだ。その場の判断が問われる仕事だからね。司令部はずっと屋内で下の部署に支持を出してばっかり。調査班もほとんど同じ。なんなら
彼の脳内はシュミレーションに満ちていた。母がこう聞けばこのように言って
「大変じゃない?」
「大丈夫。アカデミーでも成績良かったんだよ」
躱した。
「他地方との交流とか……怖くないの?」
「いろんな人と関わるほうが楽しいよ」
躱す。
「危険じゃないの?」
躱。
扉の外は日が落ちきり極寒だった。家へ入ったときよりも空は濁りを見せており、所々に青と黒を混ぜ混んだ闇が混じっている。
「行ってきます」見送りの者はいない。空を切る独り言に静かな間。彼は母の温もりを思い出そうとしたが、すぐやめた。
二歩、三歩。四、五、六。暗い空に風が吹く。頬を刺し、耳を刺し、果てには精神までもが刺さった。ふらふらふらふら。寒さと棘に獣道を外しながら歩む。足元までも伸びきった雑草が近寄るなとばかりに彼へ攻撃をしている。十七、十八、十九。突然巨大な石一個分の窪みが顔を見せ、彼の体は前方に傾く。慌ててポケットから手を出しハッとしてすぐそばの木に手をつきすっ転ぶ寸前で止まった。以前の自分では木に手を伸ばすどころかポケットから手を出すことさえ間に合わなかっただろう――虚しくも
なぜか。
なぜだろうか。
ああ、掃除をすることを忘れていたな。
草臥れた家に背を向ける。二十二、二十三、二十四……。
傷と咎 K-haze... @K_haze___
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