少年A(二)

 アビクは寮内で目を開けたまま暗がりのベッドで胸の音に苛立ちを覚える。毛布を口元まで被り、真っ直ぐ仰向けで寝ていた。いつもそうして目を閉じれば、気づいたときにはもう朝を迎えていたのだ。それなのに今日ばかりは眠れない。

 原因はわかっていた。先週行われた定期テストの結果が明日朝一番――今からもう五、六時間後――に、それぞれの電子パッドに送信されてくるのだ。テストの結果が帰ってくるだけであればこうも緊張はしない。一番の問題は各部署の現役幹部が採点していると噂される〈ポイント〉だ。テストの点数と評価、その下にはアカデミー生が卒業後に配属される各部署への適正値が5ポイント制で記されている。それを参考に今後のカリキュラムを調整するのだが、一番の問題は〈ポイント〉による退学だ。三ポイント以上の部署が一つもない、またはゼロポイントの部署が一つでもあれば来週には強制的にここを出ていくことになるだろう。それがアビクにとって最も気がかりであった。

 三ポイント以上の部署に関しては学力で押し通し一つくらいあるだろうと、そう高をくくっていた。しかしゼロポイントの部署として、実技科目が主に評価されるであろう行動班が入っていれば一発退学だ。前回のテストでは行動班救護部隊が二ポイントとなっていたこともあり、アビクは不安で仕方がなかった。卒業するまでに残るテストはあと一回だけ。それも卒業後の所属先が仮決定した状態で、その部署向けのテストが行われるのだ。つまり総合テストはこれが最後なのである。ここを乗り切れば、おそらく適正の高いであろう司令部ポストが待っている。そうアビクは願っていた。


 気づけば眠りについてた。ぼうっとした脳のまま、なぜ昨日は夜ふかしなんかしたのだ、朝が眠いじゃないか、と過去の自分へ抗議を送りながら身支度を始めた。

 顔も洗えば段々と覚醒していき、今日一番に行うであろう通知の確認にまた心臓がバクバクと鳴り響く。そうだ、こいつのせいだった。気づいてしまえば早かった。洗面所から寮室へ戻り、机の引き出しに入れてある黄色い木箱のようなその電子パットを開く。

「おはようさん。朝からすごい急いで……どうしたんだい?」

 話をかけてきたのは同室のハジュクという男だった。赤毛の、天然パーマかと思うほどの寝癖を手よりも大きなクシできながらアビクに声をかける。

「ハジュクは覚えてないのか? 今日は〈ポイント〉が更新される日だよ、僕はこれのせいで昨夜ひどい目にあった」

「〈ポイント〉かぁー。僕は調々ちょうちょ(注・調査班調査係の略称)希望だから学力面不安だなぁ……」

 不安だ、と言いながらもアビクとは違い一切の焦りもなくのんびりと髪を整えながら引き出しを漁り始めた。数秒して、スライドを動かし起動させる。彼の動きに思い出したかのようにアビクも自身の手元で開かれているその画面に目を向ける。二つ三つと画面を進め“開示”と書かれたボタンを恐る恐る、タップした。

「どう? 僕調々ちょうちょ前回から一ポイント上がって四ポイントだったよ! これなら安心かな」

 ハジュクの言葉を右から左へ。自分のことでいっぱいいっぱいだった。

 テストの結果を流し目で見ても、やはり学力面は問題なく、実技面は思ったよりも高いくらいだった。下へ下へスライドさせ、“ポイント結果”と書かれた欄。ためらいながらも勢いで見てしまえと一気に全てを画面に写す。

「……さが、ってる」一番危惧していた部署である行実こうじつ(注・行動班実行係の略称)と、救部きゅうぶ(注・行動班救護部隊の略称)に目をやれば、どちらも四ポイントと上がっていた。しかしながら、彼が目指していた司令部は、司命しめい(注・司令部命令係の略称)が三ポイント。司役しゅやく(注・司令部役係の略称)に至っては二ポイントとなっていた。前回とは打って変わり行動班が有利に、司令部が不利にポイントが割り振られていたのだ。

「なになに? ゼロあったの?」ハジュクは、硬直し画面から目を話さないアビクに不安を浮かべ声をかける。それにすぐに反応し我に帰れるのがアビクの性格であった。

「ゼロはなかったよ。ただ……思っていたようにはならなかった」

 それがたった一つの結果だった。


 アビクは北地方、つまりは彼の生まれ育った土地へと来ていた。冷たく素肌を刺す北風。年がら年中気温は低く、どの地方よりも生きづらいとさえ思っていた。精神的に堪えるこの感覚がまさか唯一の故郷を思わせる存在になろうとは。月は七を刻みそれにしても寒いものだった。民家の並ぶ緩やかな坂を一歩一歩大きく歩み、気持ちの急ぎも含まれるようだった。

 アカデミーのある中央区から北地方へ赴いた理由はただ一つ、来月にアカデミー卒業を控え、入校から一度だけ許された外出届を出したのだ。親への報告と、安心を求めて。

 青々と茂る木々の隙間。自然と生まれた獣道を抜けて――ああ知っている景色だ。驚くほど澄んだ空気に包まれた枝葉の先、白い屋根の二階建ての家がぽつんとあった。すぐそば左手には冷ややかな色を反射させた池がある。波紋を辿れば、名も知らない白い鳥がその池を我が物と言わんばかりに大きくぐるりと一周してみせた。白い屋根の家の外観を屋根から順になめ回すよう見てみれば、彼の記憶の中にある家よりもどこか くたびれている。これは掃除も終わらせなくては――思考と共に家へ近づき、どこに入れたのだったか、右のポケット左のポケットを漁り、チャリンと金属音が手から伝わる。アカデミーではコイン式の鍵だったからか、昔なじみの鍵独特な金属音に一層懐かしさを感じた。取り出された鍵を覚えている手つきで家の鍵穴へ差し込み一回転。軽い音。扉を開く。

「ただいま」

 玄関で一人過ぎる言葉は誰にも届くことはなく、妙な緊張感にひと呼吸置きまっすぐリビングへの扉へと向かう。外に比べ室内は暖かく、自然と体へ入っていた力がゆったりとしたものになる。玄関扉は目の前。ドアノブに手を伸ばし、蘇ってきた緊張感に目を向けずノブを捻った。広がり見えた一面、木の自然な茶色と灰色に統一された家具。入ってすぐに左に見えるのは小さなダイニングテーブル。イスにはアビクが昔落書きした赤い花の絵らしきものが描かれていた。右手、奥の方にはこの時期には年配者しか使わない暖炉が焔をちらつかせ、時折小さな音をたてている。その手前、暖炉の暖かさに包まれて眠れるように用意されたかのようなL字のソファー。足を伸ばせられる角の方に、目の下に皺を溜め、アビクと目が合えば見えていなかった頬のシミがひっそりと顔を出す。綺麗に整えられた白髪に紅く遠くまで見通すような鋭い目。淡麗な顔たちで、それでいて驚きの表情が浮かんでいた。

「ア、ビク?」老婦は透き通った声で彼を表す言葉を口にした。

「ただいま、お母さん」

 北の寒さも気づけば消え去り、暖炉と、母の存在がすべてを包むようにアビクの体を温めた。

 老婦は膝に掛かったストールを気にする間もなくソファーから立ち上がり急ぎながらも年を感じるゆったりとした動きでアビクに近づいた。手を取り擦り、彼の顔から目を離さず。

「どうしたの? アカデミーで嫌なことでもあったのかい?」

 心配そうにアビクを覗き込む老婦――母に対し、彼は少しのプライドを引き出しその手を離した。

「違うよ、それより嬉しい知らせ」

 寒さに耐えるべく身につけていたマフラーとコートを脱ぎ、そのままダイニングテーブルのイスに投げ掛ける。彼はリビングの左隣りのキッチンへ向かい、引き出しを漁って「お母さん紅茶は?」と問いかけた。母はすぐ彼のもとへ向かい、一番離れた白いラックの一番下からティーバッグボックスを取り出し「あなたは座ってなさいな」とだけ伝え、そさくさと湯を沸かし始める。途端に目的を失ったアビクはキッチンからまたリビングへと歩みを戻し、マフラーとコートを掛けたイスにそれらが滑り落ちないよう注意を払い座った。

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