傷と咎
K-haze...
少年A(一)
「――ので、近くに民間人がいる場合はこの黒いテープ、アカを引き規制を行ってください。アビクさん? 聞いていますか?」
折りたたみ式の電子パット。気になることがあれば各自これでメモを取るように、と。誰も彼もがこの講義に集中してその電子パットにメモを取っていく。それに比べ、彼――アビク・デーフはただぼうっと外を見るばかりだった。サボっているわけではなく、彼にはメモを取る必要が無かった。生まれたときから持つ人並外れた記憶力に自信があったのだ。
元はといえば、この記憶力により今いるアカデミーに入ったと言っても過言ではなかった。自分の住む北地方には、すぐそばに最も権力を有する中央国が存在しており、中央にあるこのアカデミーもまた、将来安泰ルートを示す未来設計の一つに含まれていたのだ。
〈無用力〉――通称、〈
現在も統合歴前――〈無力〉が発見される前から続いて、殺人事件が起きればその地方の警察が出動し、人が倒れれば救急が。しかしその事象に少しでも〈無力〉、その力を持つ人間である〈
アビクがまだ幼かった頃、その日の昼までは元気であった彼が、夜になると突如高熱を出し、母が救急に連絡をしたことがあった。朦朧とした意識の中ではっきりとは覚えていなかったが、確かに母は困惑していた。何やらSIGへ『確認』がいるらしいようだった。結局のところ、母へ当時何があったのかを聞くことはなかったが、今ならばわかる。“〈無力者〉であるアビクの母が影響しているのではないか”を救急隊がSIGに確認しなければ
そもそも、“無力”と呼称されるのにもSIGが影響しているのだ。本来、〈無力〉を持つ人間は力を有すと書いて有力者と表現されそうなものを、「どうせSIGに管理され普通の人間より監視され続ける」なんて現実から「無用な力」、「無用力」と呼ばれるようになったのだ。
ではなぜ、そのなんとも嫌われたSIGに所属すべく、それ専門のアカデミーにアビクが通っているのか。答えは単純だ。学費がかからないからだ。SIGはその組織の所属メンバーを募集するべく、学費も受講費もすべて組織負担で育成学校を設立した。父を亡くしたばかりで不安定な家計だったアビクにとって、唯一の出世コースだったのだ。
電子的な鐘の音がなる。授業が終わった。前もって勉強していた内容を講義されても、彼にとっては退屈以外の何者でもない。しかしあと数分もすれば始まる次の講義には別の意味でため息が出た。
「アビク、今日は途中でバテんじゃねぇよ」背中をドンっと叩かれ嫌な友、ジィーが蘇る。
「昨日は……体調が悪かっただけだよ」服の肩周りをピンと伸ばし直し、嫌味ったらしく見せつける。
このあとの講義は実技科目。頭が良いのは間違いないが運動神経は別物で、特にアビクは体術に関する指導が苦手であった。〈無力者〉で無い分、戦い方には彼らより多く覚えなくてはいけないのだ。このときばかりは〈無力者〉ではない――〈有力者〉である自分を呪った。
ルームを移動する間もジィーは彼のことをおちょくり続け、いざ講義が始まると「アビクとペアになれば楽できるぞ」と周りに言いまわっていた。もはや やめろと言うのも面倒で自由にさせていれば、最終的には「相手がいないだろうから」とジィーの方からペアを申し出てきた。何をしたいのか全くわからない。それしか感想は浮かばなかった。
ルーム内は擬似的に野外環境を模した作りになっており、風は感じなくとも実際に木や葉が生い茂げ、道端で見かけるようなゴミもわざと落ちている。ここは野外での戦闘を想定した訓練ルームで、また別には商業施設の一角、狭い路地裏、光のない屋内など、様々な環境を模した場所が存在している。
「SIG役は獲物にできそうなもの全て使え! このルームに存在する物はすべて自由に触れていい。ここは今、〈無力者〉と対峙する現場だ。そして〈無力者〉役はホークアイが切れるまで抗い続けろ! よし、はじめ!」
講師がそう言い切る少し前に、SIG役のジィーは目をつけていたらしい石ころをダッシュで拾い上げ、アビクの方へ投げてくる。通常ならば避けることで精一杯であろうその石の動きに、アビクは悠々と避けてみせた。それもそのはずだ、〈無力者〉役――という名の犯人役――は、ホークアイと呼ばれる点眼薬により猛禽類並の動体視力で戦う。犯人役が実際に〈無力者〉だった場合も同様だ。
「気をつけろよ」ニヤッと笑いジィーは後ろに重心を置くアビクの前に走り行き、何かを握った右手を振り上げる。その動きに予備動作を取るべくアビクは右足を後ろにやり身体を倒さないように。そして視線はその右手に。何が出る。
「はっはは!」彼の目を見て高笑い、ジィーはアビクの顔面めがけ、唾をペッと吐き出す。
「うわっ」至近距離で最も食らいたくないそれを避け、思わずよろける。寄りかかりきった右足にジィーの左足が踏みつけるように重なった。
「そこまで!」講師の声。もはや教官である。
その声を合図に瞳はもとの感覚を取り戻す。時間切れだ。ホークアイならば見逃すはずのなかったジィーの拳は、目と鼻の先だった。
「あとほんの一瞬でも時間があれば僕の顔が殴れたのに」残念だったなとアビクは相変わらずの嫌味を垂れる。
こいつは間違いなく行動班行きだ。アビクの中でその確信が強くあった。SIGの内、アビクと同じアカデミーを出て配属される部署は大きく分けて六つある。上の位から、最も頭脳を使う司令部役係。下の部署のものへ指示を出す司令部命令係。鑑識的立場を担う調査班研究係。情報収集特化の調査班調査係。司令部などからの命令で実践多い現場に赴く行動班実行係。そして、行動班実行係などからの緊急要請が中心で前線に立つことの多い、行動班救護部隊。すぐ隣の、ここより小ぶりのアカデミーでは、サポートがメインとなる管理官、医務官、そして警衛官の三つの部署の講義、というより講習が行われている。しかしアビクたちはサポート部署ではなくメイン部署へのは遺族を目的としたアカデミーにいる。
――つまり、ジィーは戦闘向きの要員というわけだ。それに比べ、アビクは間違いなく司令部、または調査班向きだろうと自負していた。頭が良いだけで高い階級に就けるとは、あまりにも彼に都合が良かった。
「アビクはまだ反撃してくると思ってたのにな」
つまらなそうな声で、へたな体勢のアビクの手を引く。
「右手、何持ってたんだよ?」未だ握ったままのジィーの右手を指差し、焦らすなよと付け加える。
「へへ、次の手まで考えてただけだよ」
ちゃらけた笑顔を浮かべ、彼は右手を開く。すればその中には石ころと共に拾ったのだろう、砂がひと握り、サラサラと落ちていった。
ホークアイでも負けていただろうな。浮かんだ言葉を奥に閉まって、チャイムの音に耳を傾けた。
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