六、戦士の黙示録

 これが最後の作品となる。作品はまだ十五作以上あったはずなのだが、他は全焼してしまった。

 この作品は少々悪ふざけ的な側面が強い。そして、序盤の一部、中盤の一部、終盤の一部、というように虫食いのような状態となっている。そのため読みづらいかもしれないが、容赦していただきたい。




「戦士の黙示録」


(序盤の可読部分)

に逃げたところで、退路を失った。私は息子を抱きしめる。

 曲がり角からは、ざりざりという音が聞こえる。あいつが甲殻類のような顎を動かしているのだ。

 これ以上はどうしようもない。息子に言い含める必要があるだろう。私があいつに食べられている間に、あいつの脚の隙間から逃げるのだ。なるべく人のいるような都心まで。

 息子が不安げにこちらを見上げてくる。それを見た途端、私は何も言えなくなってしまった。この子を一人で置いてはいけない。でも、道連れにもしたくはない。そんな相反した感情が渦巻く。

 闘うのだ。あいつの脚の一本でももぎ取ることができれば、もしかしたら逃げ切ることができるかもしれない。私は顔を上げる。曲がり角に、まだアイツの姿は見えない。

 ウウウウウン、という叫び声がした。

 新手の化け物か、と思ったけれど、やつらの巨体はどこにも見えない。

 再び、ウウウウウン。そして、私たちが背にしている壁の向こうから、一台のバイクが飛び出してきた。化け物の叫び声かと思ったそれは、バイクのエンジン音だったらしい。

 火花を上げてバイクが着地する。フルフェイスのヘルメットを被った、全身黒ずくめの人間が降り立った。マントじみた長コート。分厚い革の手袋。それだけが見て取れた。

「何……?」

 思わずそう呟く。

「もう安心してくれたまえよお嬢さん」

 予想だにしない、軽薄でへらへらした口調が降ってきた。

「俺が来たからには、あんなやつは一発だ。弱きを助け、悪をくじく。人呼んで『ガンメンハイダー』」

 その後ろ姿は、確かな頼もしさと、強烈な不安を私にもたらした。


(中盤の可読部分)

こりだらけの薄汚れたソファに腰掛け、ガンメンハイダーは大腿の傷を確認している。

 息子は、アジトというよりも廃墟に近い室内を、興味深げに見て回っていた。

「もうじき仲間たちもやって来る」

 唐突に、ハイダーはそう言った。手には裁縫セットの針と糸が握られている。まさかそれで傷を縫うつもりだろうか。

「仲間がいるの?」

「二人ほど。二号と三号。四号もいたけれど、あいつは核燃料を抱えたまま化け物に突撃して死んだ」

 どこまでが事実で、どこまでが悪趣味な冗談なのか分からない。

「あんたたちが見たのは、『メデューサ』の一族だな」

「最初の、カニみたいなやつ?」

「違う、その後の巨大なやつだ」

 私の脳裏を、巨大な化け物の姿がよぎる。東京タワーほどもある女の肉体に、建造物がでたらめにくっついたアレ。

「俺たちの最終的な目的は、『メデューサ』一族を掃討することだ。やつらには大きな借りがある」

 聞いてもいないのに、ハイダーは滔々と語り始めた。

「俺がどうして『ガンメンハイダー』なんて名乗っているか教えてやろう。俺たちの出自は、もともと『メデューサ』一族にある」

「あなたやその仲間も『メデューサ』一族ってこと?」

「いや、俺たちはもともと人間だよ。『メデューサ』一族には、人間を変質させる能力がある。古くからの神話では、『目を見た人間を石に変える』ってのが有名だろ?」

 そのくらいなら、私でも知っている。私は何度か頷いてみせた。

「石だけじゃなくて、いろいろなものに変えられる。植物、動物、虫、化け物、なんだかよく分からないぐちょぐちょしたもの。俺たちはつまり、『メデューサ』一族に改造されたわけだ」

「改造ね」

「うむ。俺のヘルメットの内側は、見ないことをお勧めする。俺の顔面には無数の触手が生えていて、しかも放っておくとどんどん成長する。そして、自分の意志とは関係なく周りのものを縛ったり壊したりしてしまう。だから、定期的に、顔の皮膚を剝がすんだよ。それで『ガンメンハイダー』」

 私は、うえ、と声を上げそうになった。しかし、ここでそんな態度を取ってしまっては、彼を傷付けてしまうかもしれない。少なくとも、彼は身を挺して人々を守ろうとしているのだ。

「それはすごく痛い作業だし、毎回気が重い。でも、やらないわけにはいかない。悪いことばかりじゃないぜ。俺がああやって化け物と立ち回れるのは、改造されたおかげで普通の人間より少々頑丈だからだ」

 コーン、と安っぽい音が鳴った。入口にあった鐘が鳴らされたのだ。

 いつの間にか縫合を終えたらしい太ももをさすって、ハイダーが立ち上がる。

「連中が来たらしい。この後紹介するぜ」

 そうして


(終盤の可読部分)

最終章 恩人たちの街

 子どもたちの笑い声が聞こえる。公園で走り回っているらしい。いつの時代も、彼らは希望だ。これまでも、そしてこれからも。

 私はケープを羽織り直す。冬が近いらしく、空気が少しずつ冷えてきたのを感じる。老体には堪える。

「母さん、今日は冷えるけれど散歩に出るのかい?」

 息子が言う。彼は少しばかり心配性だ。でも、それがまた嬉しい。彼は今、私にとっての孫を二人も育てながら、こうして私の面倒まで見てくれている。つくづく、できた息子だ。

「散歩に出たいわね。でも、膝が痛むわ。車椅子をお願いしてもいいかしら?」

「僕がついていくよ。マサトとカナトも連れて行っていいかな?」

「もちろん」


 孫たち――マサトとカナトは、吐く息がじんわり白くなっていることを面白がっていた。息を吐きながら車椅子の周りを走り回るものだから、「危ないだろう」と息子にたしなめられている。

 外には、多くの人々が顔を出している。街灯に照らされた道で、語り合い、景色を眺め、各々の生活を噛みしめているのだ。

 すべて、ハイダーたちが守り抜いたもの。

「ねえ、ばあば」

 マサトが言う。

「どうしたの?」

「雪ってなあに?」

 突然、懐かしい言葉を聞いて、私は頬が緩むのを感じる。

「学校で習ったの?」

「うん。先生が国語で教えてくれた」

「雪はねえ、寒い日に降るの。見た目は白くてふわふわしていそうな感じ。でも触ると冷たくて、すぐ水になってしまう」

「雨みたいなもの?」

「雨は水ね。雪は、それがもっと冷たくなって、もっと白くなったものよ」

 マサトとカナトは、ふうん、と返事をして、また追いかけっこに夢中になり始める。

 この子たちは雨も雪も見たことがない。写真でも残っていればよいのだが、私の手元にはなかった。

 私は、空を覆う天井を見つめる。

 それは木々が絡み合ったような形をしていて、ドーム状にこの街を覆っているのだ。だからこそ、私たちは旧支配者が跋扈するこの世界で生き延びることができている。

 私の目線に気付いたらしい。今度はカナトが話し掛けてくる。

「僕、知ってるよ。この空って、ハイターって人たちが作ったんでしょう?」

「ハイターじゃなくて、ハイダーね。それも学校で習ったの?」

「うん。他にも知ってるよ。ハイダー二号が、水をこの街に残してくれたんでしょ?」

 マサトが目を丸くして、「え? それ僕知らない」と言う。

 私は微笑みながら「そうよ」と頷く。

「街の端っこに、湖があるでしょう? あれは、ハイダー二号が全ての力を注いで掘り出した井戸水なの。二号はその代償として、地中の熱で溶けてしまったわ」

「三号は?」

「そうね、三号は……」

 ここで息子が、困ったような顔で「まだ早いよ」と口を挟んだ。確かに、初等教育の低学年の子ら相手に、ハイダーたちの末路はいささか刺激が強い。知るべきときが来るまで、そっとしておいた方がよいだろう。

「あ、『神さま』だ」

 マサトが天井の中心を指さす。

 天井から吊り下がっている、十字架の形をした小さな御神体。それを、この街の人たちは「神さま」と呼ぶ。そのうちの何人が、それの正体を知っているだろうか。

 ガンメンハイダーは、このドームを作り上げるために顔面の触手を肥大化させ、絡め合わせた。つまり、この天井は全て彼の顔面によって成っており、あの御神体は半ばミイラ化した彼の胴体なのだ。

 彼は人々を守り通し(以下、判読不能)

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