五、無人島サンゲキ

 こちらも、冒頭部分そして結末部分の欠落したものになる。残存しているのは、どちらかと言えば序盤に近い部分だろうか。

 伯父の小説には残虐な描写も多いのだが、この作品は特にひどい。特に、いくつかの特徴的な恐怖症を抱える人にとっては苦痛となる箇所もあるだろう。閲覧は自己責任でお願いしたい。




「無人島サンゲキ」


れに、?」

 金髪女はヒステリックに叫んだ。

 杏子はむっとする。叫び出したいのは誰もが一緒だ。でも、混乱を口にしたところで解決策が得られるわけでもないし、むしろ体力の消耗や他者との不和をもたらすに相違ない。それっぽっちの先読みすらできない金髪女の姿は、ひたすら愚かに見えた。

 藤岡と藤子が立ち上がった。その場にいる全員が静まり返る。藤岡は黒いTシャツにジーンズというラフな出で立ちだが、襟元や袖口から刺青が覗いている。藤子はコントラストの激しい花柄のシャツに額の傷跡という「いかにも」な外見だ。どちらも、人を黙らせるには打ってつけと言えた。

「みんな、混乱するのは分かるが、一旦まとめさせてくれ」

 藤岡が低い声を出した。それほど声量を張っているわけでもないのに、全員にはっきり届く声だ。

「俺たち六人は、いつの間にかこの島に漂着していた。それまで乗っていた飛行機は、影も形もない。自分たちが生きているのか死んでいるのか――つまり、この島が実在する島なのか、それとも死後の世界なのかも分からない」

 杏子はその言葉を聞きながら、辺りを見回す。

 ひたすら「帰りたい」「怖い」を繰り返す金髪女(杏子はこの手合いが嫌いだ。どんな危機的状況にあっても、こういうやつらは自己憐憫で泣くこと以外に何もできないのだ)。静かに話を聞いている小太りの男性(自分からリーダーシップを張るタイプではないのだろうが、信頼できるはずだ)。サバイバルに関して蘊蓄を披露していたチャラ男(この状況下でもナンパまがいのことばかりしているのは狂っているとしか思えない)。そして、師弟関係らしいこの藤岡と藤子。

 自分も含め、曲者ぞろいと言えた。

 藤岡は話を続ける。

「いずれにしても、俺たちは住む場所を確保して、救助が来るまではここで生き延びなくてはならない。さっきのミミズのお化けみたいな生き物を見ただろう? 屋外で寝るのは自殺行為だ。ただ、これはゲームや映画とは違う。俺たちの手元には何の道具もないし、呑気に『掘っ立て小屋を建てよう』なんてやっていたら、その前に全員が体調を崩して死ぬだろう」

 説得力があった。他の人間がどうなのかは知らないが、杏子にとってはあらゆる点で同意できる意見だ。

「だから――」

 藤岡は続ける。

「あの洞窟を、やはり我々は手中に収めなければならない」


 六人で、再び洞窟の前に集まる。

 猿たちは、洞窟内部に入り込んでいるようだ。藤岡の言うとおり、何とかして猿たちをここから追い払えば、寝床と屋根を(つまり『安定した』住居を)確保できるだろう。

 私は、金髪女といっしょに、洞窟の上方にある岩板で様子を見守ることになった。何かあれば叫んで状況を伝える――それが、私たちに課せられた仕事だった。不満はない。私たちが洞窟の真正面にいたところで、できることは限られているのだ。

「あそこにいるのが何か、見極める必要がある」

 藤岡はそう言った。私たちが見たのは猿だけ。しかし、洞窟の中に何が潜んでいるのか知れたものではない。虎、狼、熊。可能性は無限にある。

 小太りの男性――小西が、使い捨てライターで松明へ火を点ける。今後の生活を考えると、ライターは貴重だ。最低限の使用に抑えるよう、彼は藤岡に念を押されていた。

 藤岡と藤子がその松明を手に、洞窟の正面へ向かう。チャラ男(名前すら忘れた)は、彼らの後ろの方でオドオドとしていた。サバイバルへの自信はどこへ行ったのだろうか。

「やるぞ。しくじるなよ」

 藤岡のささやきが、かろうじて杏子たちのもとへ届く。作戦はシンプルだった。藤岡らが猿どもを引き付け、藤子が洞窟内部を確認する。以上、それだけ。

 藤岡が手のひら大の石を手に取った。洞窟へと投げ入れる。

 一瞬だった。わっという歓声が上がったかと思うと、それはすぐに耳障りな鳴き声に変わった。興奮した猿たちが、一斉にわめきたてているのだ。

 何匹かが走り出してくる。それを、藤岡が松明で追い立てていく。杏子たちは猿たちを排除したいわけではない。洞窟内部を調べる間、邪魔をしないでいてほしいだけだ。藤岡が器用に、洞窟の入口から外れた林の中へ、猿たちを追いやっていた。

「行けっ」

「任せてください」

 藤岡の一声で、藤子が洞窟内部へと飛び込んでいった。惚れ惚れするような連携だ。

 杏子と金髪女は、藤子の帰りを黙って待っていればいい――そのはずだった。

 不審な動きに気付いたとき、杏子は即座に叫んだ。

「藤岡さん、猿が後ろからっ」

 しかし間に合わなかった。

 藤岡の背後から、一匹の猿が飛び掛かった。後頭部にしがみつく。

 藤岡は松明を振るって引きはがそうとしたが、猿の手には一本の木の枝が握られていて、それが深々と藤岡の左眼球へ刺し込まれた。

 この世のものとは思えない叫び声が聞こえた。

 やみくもに藤岡が頭を振る。それに合わせて、突き刺さった枝が左右に振れた。

「このやろう」

 小西が藪から飛び出して、加勢に入る。

「小西さんも後ろっ」

 混乱の中、杏子の声が届くのにはタイムラグがあった。

 ミミズの化け物が、薮下から忍び寄っていた。歯のないうつろな口を開け、小西の背中に吸い付く。そのとき初めて、杏子はそれがミミズではなく、ヒルに近い生き物であることを悟った。

「あああっ」

 苦悶の声を上げ、小西が膝をつく。

 杏子は叫び声を上げる。

「藤岡さん、ミミズに松明をっ」

 片目を潰されて猿に取りつかれながらも、藤岡は松明を小西の方へと振るった。近づいた火に、ヒルの化け物がぎょっと身を縮める。

「効いています! そのまま続けて」

藤岡が数回松明を振るったため、ヒルの化け物は早々に口を外し、藪の中へと消え去っていった。

 入れ替わりに、小西が立ち上がって藤岡のもとへ向かう。彼の後頭部に取りついた猿を、二人がかりで引きはがす。

 チャラ男は、茂みで震えているだけだった。金髪女も、杏子の隣で目を覆いながら「嫌だ」を繰り返しているだけだ。役に立てなくても失敗してもいい。しかし、協力する気がないなら消えてくれ、と思った。

 藤岡と小西の立ち回りで、周囲から猿はいなくなった。杏子は金髪女を置き去りにして、岩板から下に降り立つ。一刻も早く藤岡の処置をしなくてはならない。

 彼はすでに、自分で左眼から枝を抜き取っていた。

「藤岡さん……」

 言葉を失う。彼は、何でもないことのように言った。

「大丈夫だよ嬢ちゃん。そのうち眼球が腐って落ちる。衛生さえ気を付けていれば、目の中の傷はすぐ塞がって、ただの空洞になるさ」

 それがどこまで本当なのかは分からなかった。ただ、彼が傷を負いながらも、杏子に心配を掛けまいとしていることはよく分かった。

「杏子ちゃん、ごめんね。僕も背中を見てもらえるかな」

 小西が声を掛けてくる。ヒルに吸い付かれたのだ。傷は深いに違いない。

「すぐ見ます」

 杏子はシャツを脱いだ小西の背後に回り込んだ。その背中を見た瞬間に、言葉を失う。

 ヒルに吸い付かれた箇所が、そのまま円の形に盛り上がっていた。よほど強い力で吸われたのだろう。さらに、その円上に、不気味な発疹が浮かび上がっていた。カエルの卵と言えばよいのだろうか。皮膚が水っぽく膨らみ、その中にうっすらと芯のような黒い点が見える。そんな細かな粒粒が、円の形にびっしりと並んでいるのだ。

 杏子は躊躇したが、ありのままを小西に伝えた。

「そっか。いてて、ミスったなあ」

 そんな緊張感のないことを、小西は言った。

 少しして、藤子が洞窟内から走り出てきた。その様子に、杏子は奇妙な違和感を覚えた。

 何というか、洞窟の中を確認し、何か危険が及ぶ前に慌てて走り出てきた、というふうではないのだ。それよりも、小学生が休み時間にわけもなく走り出すあの感じ、と言った方が合っている。タッタッタッピョーン。そんな擬音が付いてもおかしくないような動作で、藤子は飛び出してきた。

「どうでしたか?」

 駆け寄った杏子は、ぎょっと身を引いた。藤子は泣いていた。泣きながら、満面の笑みを浮かべていた。

「だめだよ、杏子ちゃん」

 彼は明瞭にそう口にした。

「他のみんなもだめだ。絶対に、この中に入っちゃいけない。中にいるものを、絶対に見ちゃいけない」

 いっひっひ、と笑いながらそう言う。

「藤岡さんごめんなさい」

 引きつった笑顔の中で、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。

「中にいるのは、本当にやばいやつです。たとえ藤岡さんでも、絶対に見ちゃいけない。コワ……コワレルカラ」

 それから、藤子さんは正気を失ってしまった。藤岡の声掛けにも、小西の呼びかけにも、杏子の訴えにも反応を見せず、ただ笑いながら泣き続けた。

「だからか?」

 藤岡がぼそりと呟いた。杏子のハンカチで覆われた左眼から、まだ赤い血が流れ続けている。

「だから猿たちは目を潰しに来たのか? 

(以下、判読不能)

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