第2話

 作業を始めて三十分くらいがたった時、扉をノックする音が聞こえた。

「アリスお嬢さま、よろしいでしょうか?」

「どーぞ」

 ドアのほうは見ないで答える。誰かな。

「お嬢さま」

「ソフィア。どうしたの?」

 そう聞くと、ソフィアは思い切り頭を下げた。

「助けられず、申し訳ございません……!」

「え、どしたのソフィア。頭上げて」

「いえ、私がもっとしっかり奥様に働きかけていればこんなことにはなりませんでした。私のせいです」

 ソフィアはもう一度頭を下げた。

「ああ、家を出る話のことね。心配かけちゃってごめんね」

「とんでもございません! 私が、私がもっと動いていれば……!」

「ありがとう。こんなに思ってくれる人がいて、私は幸せだね」

 ソフィアは涙目になりながら聞いてくる。

「本当に、出ていかれるのですか」

「うん、ごめんね」

 ソフィアには申し訳ないけど、この状況でまだここにいるのは、さすがによくない。

「お嬢さま、これを」

 ソフィアは長年愛用していると前に言っていたマフラーを差し出してきた。

「これ、大切にしてるやつじゃないの?」

「ええ。ですが、それより大切なアリスお嬢さまにお渡ししたいのです。今は冬ですし、お嬢さまは寒がりでしょう? 少しは温まれると思って……」

 目の前がぼやけてくる。

「ありがとう……! 大切に使うね……!」

 私はソフィアに抱き着いた。

「ほんとに、ここまで面倒を見てくれてありがとう。これからもずっと、大好きだよ!」

「私もです! どうか、お体には気を付けて……!」

 さよなら、ソフィア。今までありがとう。大好き。



 そして、私がヨーク家を出ていく日になった。

「今までお世話になりました」

「ええ、元気でね?」

 こんな時まで嫌味を……。ここまでくると呆れてくる……。

 そんななか、クレアは泣きそうになりながらこちらを見ている。

「クレア」

 この天使とも、今日でお別れか。さみしい……。

「クレア、またね。体調には気を付けるのよ」

「うん、おねえさま!」

 泣きそうにはなっているけど、笑ってくれてよかった。

「アリスお嬢さま、お元気で」

「ソフィア、ありがとう。あなたもね」

 静かに抱き合う。こうすると、本当にこの家には戻ってこないというのを思い知らされている気がする。

「アリス」

 お父様だ。今日は私のために、休みを取ってくれたみたい。

「昨夜も言ったが、何かあったら戻ってきていいんだからな。体調には、くれぐれも気を付けるように。あと、少し落ち着いたら、手紙をくれ。約束だぞ」

「はい。というか、昨日も聞きましたよ」

 お父様は少し、というかかなり過保護だ。

「うう、かわいい娘よ……達者でな……」

「はいはい」

 私は改めて、みんなを見る。

この日を、この光景を、忘れないように。

「それではみなさま、お元気で」

 こうして私はヨーク家を出て、冬の寒空の下、ホームレスとなった。



「うう。寒い」

 家を出て一時間後、私は、リーテンにある大きな商店街、『リーテンマーケット』に来ていた。ここは食べ物が多く、毎日にぎわっている。

 お金は少ないけど、何か食べたい。ソフィアにもらったマフラーだけじゃ足りないから、あったかい紅茶とか飲みたいなぁ。

 思い返してみれば、庶民から急に貴族になり、今はホームレス。私の人生、すごいな。まるでジェットコースター。

 あれ、なんだか頭が痛くなってきたな……。最近調子悪いのかな。

「そこの嬢ちゃん!」

 私かな? なんだろう。近くによってみる。

「コーンスープ、一杯どうだ? お安くするよ!」

 こ、コーンスープ! 食べたい!

「一つお願いします!」

「毎度あり!」

 ふう。お金はあんまりないのに買ってしまった。

人が多いと落ち着かないので、人気のない路地に入る。

「ん? コーンスープって食べるの? 飲むの? まぁいいか」

そんなことは今は良い。とりあえず、体をあっためないとね。

「あったかくておいしい~。けど、あたまいたぁ~い」

 どうしよう。本格的に痛くなってきた。なんか体に力が入らない気がする。泊まれるところを探したいところだけど、今日はもうここで寝てしまおうか。

「もうだめだ……」

 私はその場で横になり、そうつぶやいて目をつむる。目を閉じる前に、美しい銀の糸が見えた気がした。

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