10. 臭い森マスター
『グルオオオオ!』
背中にアルマジロのような見た目の硬い甲羅を装備している黄土色の熊、グルマリー。
俺に向かって鋭い爪を振り下ろして来るが、左手に持つ鉈で受け流す。そして攻撃の隙を狙って右手に持つショートソードを素早く振るい、次々と胸元に傷をつけて行く。
たまらずグルマリーは体を丸め、今度は地面を転がるように突撃して来る。甲羅の守備力は非常に高く手持ちの武器で斬ることは難しい。そのため右手のショートソードを腰に挿し、真正面から正拳突きで迎え撃つ。
「はっ!」
俺の拳とグルマリーの甲羅が激突し、胸に響くような重低音の衝撃波が周囲を揺さぶった。
『グルゥ……』
「内部破壊は効くだろ」
体内を振動で揺さぶってダメージを与えるとんでも技だ。異世界で鍛えればこんなことだって可能なんだぜ。嘘です、ただ力任せに殴っただけです。
グルマリーはたまらず丸まりを解き、フラフラと地面に腰を落とす。
「終わりだ」
こうなったら、ただの的でしかない。
左手の鉈でグルマリーの体を絶ち、命を終わらせる。
鉈は森の中の草を伐採するのに役立つし、硬めの魔物を攻撃するのにも役立つから便利で最近は常備している。
「これでようやく終わりかな」
異世界に転移してからおよそ一年。
臭い森の探索をコツコツと続けてようやく最奥部にある池のほとりに辿り着いた。しかしその手前の広場に百体以上の魔物が密集していて、一体一体おびき寄せて少しずつ倒した。そして先程ようやく最後の一匹であるグルマリーを仕留めたのだ。
「思えばここまで長かったなぁ」
道なき道を切り開き、大地をしっかりと踏み固めて再度草木で覆われないようにしながらの探索は、開拓に近い物があった。真っすぐ道を作ろうにも、湿地帯や巨木の壁などにぶち当たる。その度に戻って迂回路を作り、その先がまた行き止まりなので戻って別の道を、などとやっていたら一年がかりの大事業になってしまった。
道を作るだけでも面倒なのに、魔物が襲ってくるわ、どの植物を採集したら良いか迷うわ、虫がブンブン飛んでいて煩いわで本当に大変だった。
でも頑張ったおかげで、お金には困らなくなった。
臭い森の植物がこの十年でどれだけ変化したかの調査をしたい研究者がとても多く、持ち帰れば持ち帰る程に売れるのだ。
「この水も売れるのかな」
池は透明度が高く、射し込む日の光を浴びてキラキラ輝いている。神秘的な光景だが忘れてはならない。ここは臭い森なのだ。きっと臭い水になっているのだろう。
「うし、色々試してみよう」
池の水を汲み、魔物が沢山いた広場に腰を下ろして道すがら採集した植物を並べる。そしてそれらを色々と組み合わせて製薬魔法をかけて行く。
薬師のエリーさんにポーションのレシピと製薬魔法を教わったので、それを使って何かのポーションが出来ないかを試しているのだ。
製薬魔法は不思議なもので、レシピ通りの素材を集めて魔法をかけると、自動的に薬が完成する。但し品質が最低ランクになるけどな。品質を向上させるには正しい手順で素材を加工してから魔法をかける必要があるが、今確認したいのはレシピを満たす組み合わせがあるかどうかだけなので加工はしない。
この森の素材はレアな臭い成分によって変異しているため、当然既存のレシピでは使われていない。だけれども、一つの薬を作る素材の組み合わせは複数あるため、この森の素材だけでも何かが出来る可能性があるのだ。
もちろんあくまでも可能性であり、薬になる組み合わせが簡単に見つかるとは思っていない。適当に魔法をかけて当たったらラッキーって感じのお遊びだ。
「ふんふんふ~ん、お、おお、マジで!?」
この遊びでポーションが出来たこと無いのだが、初めて製薬魔法が反応を示した。
「いつもと違うのは水だけなんだが、この池の水が特別なのかな」
あるいは臭い森の素材で揃えなければダメとか、臭い森だからこそ特殊なルールがあるとか、可能性は色々ありそうだ。
「しかしこれ長くないか?」
魔力をどんどん吸われ、製薬魔法が終わる気配が無い。
エリーさんが使っていた時はもっと短時間で終わったはずなのだが、試薬と本製品の違いだったりするのかな。加工してないのが原因かも。考えることが沢山だな。
「これ昔だったらぶっ倒れてたわ」
魔力が空になるまで魔法を使い続けると気絶する。サイエナーさんの強制魔法訓練装置とやらで体験したから間違いない話だ。訓練したのに結局新たな魔法を覚えられなかったし、思い出したくもない……
ただ、どういう訳か俺の魔力量は日に日に増えているらしく、最近ではサイエナーさんやエリーさんが実験台にしようと目を怪しく光らせているから逃げるのに必死だ。
探索初心者が倒せるはずがないCランク推奨魔物のグルマリーを余裕で倒してしまったし、やっぱり転移者向けの成長チート的なものが付与されているのだろう。せめて『ステータス』とか『鑑定』とかあれば分かるのに、この世界ってそれらが無さそうなので全く分からない。
「お、ようやく終わった。ってええええええええ!」
製薬魔法で薬を作り終えた時、何が完成したのかが直感的に分かるようになっている。脳内にアナウンスが響いたわけではないが、確かに俺は完成したこのポーションが何なのかを理解した。
『特級解呪ポーション(最低品質)』
特級って超レアポーションなんですけど……
――――――――
「シュウさん、おかえりなさい!」
「ケイトさんただいま」
俺が探索者になった頃、ケイトさんは『一般窓口』の担当だったけれど、今は『納品窓口』の担当をやっている。どうやら担当は期間でローテーションされているらしい。
「今日も沢山持って来たよ」
「わぁ、本当に沢山ですね。くんくん、臭いも漏れてない、と」
ケイトさんは『ワケアリ納品窓口』の担当をしていて、俺の納品物のように取扱いに失敗したら大惨事が起きたり、とても貴重で傷つけられないような納品物などを担当するらしい。そんな納品など滅多に無いので順番待ちをしている人が少なく、ギルドに戻るとサッと納品手続きをしてくれるから大助かりだ。
ズルいって他の探索者に文句を言われないのかって?
俺の素材が臭い森の素材だって分かっている連中は手を出さないし、知らない奴もそのことを知ると引き下がる。まさに劇物扱いだ。おかげで避けられてしまい探索者の友人も出来てないけどな。
「あ、この素材は初めてですね。ハナカガリかな」
「池の畔に咲いてました。根っこも含めて採りましたが、こんな感じで良かったですか?」
「はい大丈夫です。傷も無さそうですし、鮮度も良く完璧です」
土をつけた状態で根っこから丁寧に掘り出して密閉袋に入れれば大抵は問題無いって言われる。そもそも初心者向けの森だったのだから、厄介な採集方法が必要な素材は無いってことなのかもな。
「安心しました。これってどんな効果があるんですか?」
「茎の所を折ると出てくる汁が、切り傷に良く効くんです」
「へぇ~」
何かと混ぜて効果を発揮するものではなく、そのまま使って効果がある植物なのか。あの森の中には他にもいくつかそういう素材がある。
「それより、さっき『池の畔』って言いましたよね。ついに辿り着いたんですか!」
「ええ、ようやくです」
「ということは、アレあるんでしょう。出して下さいよ」
アレって言うのは、やっぱり池の水のことだよな。
「無いですよ」
「えー! どうしてですか!」
「だって採集用の道具持ってないですもん」
「常備しなさい!」
「俺だって事前に準備したかったですけれど、良いのが見つからなくて」
単に水を汲んで帰るだけならば楽だけれど、臭いが漏れないようにするのが大変だ。しっかりと密閉された水筒は存在するけれど、それは普段使い用で高いから採集には向いて無いんだよ。
「もう、稼いでいるんだからケチケチしないの」
「そうは言っても、納品物より入れ物の方が高くて赤字だったら取って来る意味無いでしょ」
「う~ん、水は何かと入用だから報酬下がらないと思いますよ」
「そうなんですかね」
新しい素材を持って来るとかなりの高額で引き取ってくれるけれど、しばらくすると研究したい人に一通り行き渡ったのか、そこそこ安くなっちゃうんだよね。
水もそうなるかと思ったけれど、製薬に水は必須だから他の素材よりも需要が高いのだろうか。
まぁ俺が臭い水を持ってこなかった本当の理由は、ヤバ気なポーションが出来てしまいトラブルの種になりそうだからだけどな。あんなのが作れると知られたら、臭い森に監禁されて永遠に採集をさせられ続けそうだもん。
「それにしても、ついに最奥まで辿り着いてしまったんですね」
「まだ探索出来ていない場所は沢山ありますけどね」
「そうだとしても、そもそもあの森を探索出来るだけでも異常なのに、最奥まで辿り着いたことが信じられないのですって」
「人のこと異常とかって言わないでくださいよ」
「ごめんなさい」
否定はしないけどな。
あの臭いを日常的に嗅いで生きて行くのを普通だと思ったら人間としての感覚が狂ってる。
「これからもよろしくお願いします」
「普通に嫌ですよ」
「え?」
キリが良くなったし、臭い森の探索は今が辞め時かなと思っている。
「どうしてですか!」
「どうしてって、臭いし」
「うっ」
「報酬も減って来るし」
「うっ」
「そこそこ実力ついて他の依頼も選べるようになったし」
「うっ」
「あそこにこだわる必要無いですよね」
特に実力の部分が大きい。
ぺーぺーだった頃は初心者向けの依頼の奪い合いに参加したくなくて臭い森依頼を選んだが、そこそこ強くなった今なら中級者向けの依頼にも挑戦できるし、そっちは人気の無い依頼がそこそこ多いから今より自由度が高い。
「それに俺もそろそろ探索者ランクをあげたいですし。ずっとEってのも格好悪いじゃないですか」
臭い森は
「それは何とかします!」
「なんとか?」
「実はシュウさんのランクをどうすべきかってギルドでも検討してまして」
「上げてくれるのですか?」
「…………」
即答しないってことはまだ議論中ってことか。
「あの森での採集は難易度が高いから依頼ランクを上げるべきだという意見と、採集した素材はほとんど使えないからランクは低くあるべきだという意見がありまして……」
採集した素材は臭いを消せば普通に使えるが、臭いを消す手間がかかる分だけ割高になってしまう。そのくせ、他で取れる素材を使った商品と性能は大して変わらないので、現状では研究用の素材としての価値しか無いらしい。
せめてED治療薬のように臭いの効果であらたな用途が見つかれば価値が跳ね上がるのだが、今の所は見つかっていない。
「それで現状維持になってるってことですか」
「はい……でも最近はランクを上げるべきだって意見の方が強くなってますから!」
「普通に上のランクの依頼を受けて実力を示せば良いだけの話ですよね」
「そんなこと言わないで下さいよ~」
王都の外は臭い森にしか行ってない。
依頼を受けて冒険するのもやってみたいところだ。
「シュウさんが臭い森を探索しなかったら、誰がやるっていうんですか」
「誰もやらないでしょうね」
「それだと依頼主からギルドに苦情が来ちゃうんです~」
「しらんがな」
そんなに実験したいのか。
と思わなくも無いが、エリーさんいわく、あの森の『臭い』の秘密が分かれば除臭方法を思いついて元の森に戻せるかもしれないから研究のしがいがあるそうだ。森から臭いが無くなれば王都の西側に街を広げられるし、素材では無く普通の森の恵みを享受出来るしとメリットはかなり大きいとのこと。
この話を聞いた時、俺はこう言った。
『だったら臭いの原因のキノコを持ってきましょうか?』
真っ先に研究すべき対象だよな。
だがエリーさんはこう答えた。
『殺す気!?』
どうやら王都民にとって、あの森の臭いは殺人兵器に等しい物という認識のようだ。俺が採集した素材ですら地獄の苦しみを味わいながら扱っているのだと、心底嫌そうな顔で言っていた。
「というわけで明日から俺は別の依頼を……」
「大変だ!」
臭い森からの決別をケイトさんに宣言しようと思ったら、探索者ギルドに大慌てで駆け込んできた男の声に遮られてしまった。
納品時はトラブルが多く騒ぎなどいつものこと。今回も俺が出る幕では無いだろうと無視してケイトさんに再び話しかけようとしたが、その男が叫んだ言葉は到底無視出来るものでは無かった。
「国王陛下が呪いで倒れた!」
え、呪い?
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