2. 異世界ハロワ
トイレでテンション上がって小躍りしていたら子供がやってきて不審な目で見られてしまった。お願い通報しないで。
慌ててトイレから出て念のため公園からも離れた。気になる遊具の数々は後で見に来よう。
まさかの快適そうな世界に喜んでしまったが、今は現状を把握しないと。
服装はシャツとチノパンっぽいアンダーと下着と靴下と靴か。
うお、この靴もクオリティが……って考え出したらきりがないから自重せねば。
腰のところにポーチがあるな。
中には……硬貨。
初期状態でお金があるのはありがたいが、宿に泊まれるくらいの金額はあるのだろうか。物価も後で調査しないと。
他にはカードが一枚だけ。
これは身分証かな?
――――
シュウ 四十歳
マレルリード王国民
――――
は?
え、ちょっと待って、どういうこと。
マレルリード王国民ってのは別に良いんだ。
そういう初期設定にしてくれたってことだから。
日本語として読めるというのも、そういう設定だろうから気にならない。
さっきから聞こえてくるざわめきも日本語だから異世界翻訳的な都合の良い機能があるのだろう。
問題はこの身分証についている『写真』だ。
鏡を探さないと。
そうだ、街にガラスのショーウィンドウのようなものがあったはず。
どうして俺の姿が映らないんだ!?
仕組みが超気になる、でも今はそれより鏡だ。
水たまりなんて無さそうだし、他に自分の顔を確認する手段は無いのだろうか。
「トイレだ!」
ピンと来て思わず叫んでしまった俺を、周囲の人たちが怪訝そうに見てくる。恥ずかしいから見ないでください。
慌てて先程のトイレに戻ると予想通り鏡が設置されていたので、自分の顔を確認した。
「マジか……」
どうやら俺の顔は二十歳くらいの頃に戻ってしまったようだ。
いやそれだけではない。
改めて確認すると体も若返っていて三十代後半から発症した肩や腰の痛みが全く無くなり、全身が気力に満ち溢れている。
でもそれならどうして身分証には四十歳と書かれているのだろうか。
まさか精神年齢が表示されるとか。
見た目詐欺だとか言われたら嫌だなぁ。
そもそも身分証に生年月日ではなくて年齢が書いてあるということは毎年新しいカードが発行されるのだろうか。
王国民ってことは税金も払わなきゃならないんだよな。今までの分はどうなってるのだろうか。
住所不定無職だけれど、それでも払わなきゃダメなのかな。
ああダメだ、開発でテストばかりやってたからか細かいところが気になってしまう。テストは数少ない俺がやったことのある開発作業だ。墓下のやつが単純作業で量だけはある飽きが来るテストばかりやれって押し付けて来たからな。そのくせバグが見つかるとキレて俺に当たって来るし、酷い時には俺は何も作ってないのに俺のせいにしてくるし。
おっと日本の事はもう忘れないと。
今はこれからのことを考えるべきだ。
結局手持ちは衣服とお金と身分証だけ。
言語は問題無し、生活水準も高そう。
取り急ぎやるべきなのは、今日の寝床確保と仕事を見つける事か。
幸いにも硬貨の中には金色に輝くものが数枚入っていたので数日くらいは宿に滞在できると信じたい。
宿か……どうやって探せば良いのだろうか。
日本なら駅近くが鉄板なのだが、そもそも駅なんてものがあるのかも分からない。あるとしたら街の入り口付近か繁華街の近くが王道かな。だが残念ながら街の地理が分からないからどちらも場所が分からない。目の前の大通りに沿って歩けば何かあるかもしれないが……
お、良い看板を見つけた。
この先に役所があるらしいからそこで色々と聞いてみよう。
――――――――
「何か得意なことはありますか?」
「読み書きなら出来ます」
「はぁ……」
しまった判断ミスった。
これだけ文明が進んだ世界では読み書きなんて出来て当たり前だったか。
元から愛想が悪かったおばちゃんが見るからに不機嫌そうに変わってしまった。
役所は三階建ての建物で、案内板が用意されていたので確認したら職業斡旋窓口の文字があったので試しに向かってみた。
その窓口には目つきが悪いおばちゃんが座っていて相談したくなかったのだが、窓口は一つしか無いし少し待っても交代してくれそうな気配が無いので諦めてそこに向かった。
「チッ」
露骨な舌打ちでお出迎えしてくれましたよ。
嫌な気分にはなったけれど、無視したり追い返すことは無くマニュアル通りっぽく対応してくれた。
「得意な魔法は?」
「え?」
魔法!
マジか、この世界って魔法があるのか。
やっぱり異世界って言ったら魔法だよな。
テンション上がって来た!
俺も使えるようになるのかな。
「どうしましたか?」
「その、魔法はどうやって、いえ何でもないです」
凄い勢いで睨まれたから最後まで言えなかった。
教えてくれても良いのに。
「専門学校には通っていなかったのですか?」
「はい」
専門学校なんてあるのか。
どうやら教育も充実してそうだ。
「はぁ……技術も無い、魔法も苦手、それで紹介できる仕事などほとんどありませんよ。これまで何をしてたんですか」
「う゛……」
胸が痛い。
これまで俺は何もせずに流されるがままに働いていただけで、スキルアップなど考えたことも無かった。その在り方がダメダメだと指摘されたのかと思ってしまったのだ。
もちろんおばちゃんはこの世界について無知な俺を、これまで勉強してこなかったダメ人間とでも思って軽蔑しているだけだろうけれど。
「事務系の仕事とか無いですか?」
「募集はございませんね」
「街の清掃とか」
「ご冗談を。陛下のお膝元の王都が汚れているわけがないでしょう。魔石の力で隅々まで綺麗ですよ。失礼、あなたの薄汚れた怠惰な心は浄化し切れてませんでしたね」
ここまでくると毒舌じゃなくて単なる侮辱だわ。
よくよく『観察』してみると、ほんのりと笑みを浮かべているな。苛立ちながらも相手を見下して悦に浸っているタイプによくある表情だ。
こういう相手には下手に反論するのではなく、悔しそうに素直に凹む方が相手を喜ばせて話を早く終わらせたり、運が良ければ情報を引き出せたりする。
今の侮辱にだって重要な情報が含まれていた。
ここが王都ということと、魔石が存在しているということだ。
しかも魔石で街を綺麗にしているということは、魔石が生活基盤を支える程の重要な物である可能性があるぞ。
さっきの魔法といい、異世界っぽさが出て来たな。
年甲斐もなくワクワクしてきた。
「お話を伺う限り、私からアドバイス出来ることは二つです」
侮辱して見下す割に二つもアドバイスしてくれるのか。
これも無抵抗に素直に話を聞いたからかもしれない。
「一つは個人店舗での募集を探すことです」
「個人店舗での募集?」
「飲食店での配膳や、商店での荷出しなどですね。個人での募集についてはこちらで取りまとめておりませんので、探せば何かあるかもしれません」
つまり日本で言うバイトを探せってことか。
日本でも店の前に『バイト募集』の張り紙を見かけることがあるが、こっちではそれが人集めの基本なんだな。
「もう一つは採集者になることです」
「採集者?」
「知らないのですか?」
「はい」
「…………」
この人はマイナスの感情が高ぶると左の瞼がプルプル震えるタイプだと分かった。
そもそも感情を隠そうとしないタイプなのでそんなところ見なくても誰でも感情分かるけどな。このおばちゃん、相談業務をするのに全く相応しくないと思うが良いのだろうか。
「無学な貴方にならぴったりの職業です」
遠慮なく侮辱しまくってくるな。
気にしない気にしない。
「採集者は街の近くに生えている薬草などを採集して金銭を稼ぐ不定労働者のことです」
おお、異世界っぽい気がするぞ。
不定労働者って言い方がまた貶められているような気もするけれど今更だし正しいからしゃーない。
でもなんか違和感あるな。
文明がそこそこ発達しているのに採集に頼るのだろうか。
「栽培はしてないのですか?」
「薬草の栽培が難しいのは常識……ああ、ごめんなさい、貴方には難しい話でしたか」
俺への言葉にどうしても侮辱を入れなきゃ気が済まないのだろうか。
チラっとおばちゃんの背後を見たら、目が合った女性職員の人が申し訳なさそうな顔をしていた。どうやら俺は運悪くハズレに当たってしまったということか。
この程度の嫌味など、墓下に比べれば大したことないから全く気にならないけどな。
「採集者になるにはどうしたら良いのでしょうか?」
「探索者ギルドに行くに決まってるでしょう。やっぱり馬鹿にしてるんでしょ! こっちは暇じゃないのよ!」
「ご、ごめんなさい!」
これまでは単に侮辱してただけなのにいきなり怒鳴り出すとか、更年期かな。
あまりの剣幕に、もっと聞きたいことがあったのに逃げてしまった。
「はぁ、どうしよ」
とりあえず探索者ギルドとやらに行くか。
これまた誰かに場所を聞かなきゃならないのだけれど、あのヒステリーおばちゃんの件があるから声をかけにくい。
「あの、すいません」
悩んでいたら職員さんが声をかけてくれた。
さっき目が合った女性の方だ。
「不快な思いをさせてしまい大変申し訳ございません」
「あはは……」
普段なら『気にしないでください』とでも言うのだが出来なかった。気にしないと思っていたはずが、割とガチで嫌な気分になってしまっていたことに今更ながら気が付いた。
「本当に申し訳ございません」
ここで『今更謝らないで、あの時何とかしてくださいよ』などと強く言える人間では無い。事なかれ主義なのでむしろ何度も謝らせることに居心地が悪く感じてしまう。
「あの、ちょっと教えてもらいたいことがあるんですけど」
「はい、何でも聞いて下さい」
この女性職員さんは俺を見下すことなく普通に対応してくれた。
探索者ギルドの場所を聞いたら王都の地図をくれたので助かったわ。観光地にある観光スポットを紹介する簡易地図のようなもので、自由に持って行って良いらしい。これは手書きじゃないな。印刷の技術もあるのか……
「とても大事なことをお伝えします。採集者という言葉は使わない方が良いです」
「え?」
「探索者の中でも採集しか出来ない人という意味の蔑称として使われてますので、もし探索者ギルドの中でその言葉を使ったら……」
「わぁお」
敵を作りまくる可能性があったわけか。俺の就職先がそこしか無いかもしれないというのに、あのおばちゃんはなんて恐ろしい事を教えやがるんだ。
「探索者って採集以外にどんなことをやるものなのですか?」
「魔物を狩って素材を集めたり、未開の地の調査をしたり、希少なアイテムを探したり、様々ですね」
なるほど文字通り『探索』がメインなわけね。
その中でも戦闘や危険な行為をしない探索者は、安全なところから物を拾ってくることくらいしか出来ない無能、ということで採集者と呼ばれて侮辱されてるってことか。
「採集するにも鮮度を保つ方法とか考えなきゃならなくて色々と大変だろうに」
「分かっている人は分かっているのですけどね。探索者自体がどうしても野蛮で学の無い職業という印象が払拭できなくて」
「なるほど、分かりました。ご忠告ありがとうございます」
ホワイトカラーのデスクワークばかりやっていた俺とは住む世界が違う人達ばかり居そうだ。それにさっきはスルーしてしまったが『魔物』がいて戦わなければならないかもしれないのか。俺にそんなことが出来るのかな。何かチート能力とか持ってないのかな。ああもう考えるべきことが多すぎる!
どちらにしろ世間で無能と思われている職業やらバイトやらで稼いでこの異世界社会を理解しなきゃ話にならない。
俺は宿の場所を教えてもらい、ハロワ、じゃなかった役所から外に出た。
ちなみに宿で相場を確認したところ、俺の手持ちは素泊まりで一週間分くらいしか無いことが分かった。つまり月給の仕事ではなく日給の仕事を探さないとホームレス生活が始まってしまうということである。
ホームレスは嫌じゃ!
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