第41話 巨狼の咆哮

「ア゛オ゛オ゛オォォォォォォォォォォォォン!!!!!」

 異界の巨狼、ルプは吼える。周囲にいる無数の生命体に甚大な影響を及ぼすことになったとしても、彼等を救うべく全霊を込めて天地を震わすかのように吼えた。

 ルプの竜銘イデア─|孤影悄然。大樹守護せし白狼よ、偽りの故郷を夢幻と共に噛み締めて《ホルタース・オブ・セイントサンクチュアリ》は、自らの詠唱を耳にした者──正確には、音の振動に触れた者──にのみ物理的な影響を与える幻影を操る竜銘イデアだ。

 幻影である以上、物理的な破壊によって突破するのは困難であると同時に、ルプの操る幻影を用いて他者の生命を奪うこともまた難しい。

 だがそれを踏まえて尚、この竜銘イデアは過去現在未来に存在する竜銘イデアの中に於いても異質な存在だった。

 その理由としては、詠唱が極端に短い、というものだ。人のような発音器官を有さないルプにとって、詠唱の役割を担うのは咆哮だった。かつて過ごした故郷を想いながら放つ咆哮こそ、彼女にとっての詠唱に他ならない。自らの遠吠えを聞いた者にのみ影響を及ぼすことの出来るという条件はある種破格と言って良いだろう。

 

 並外れた巨体であるルプの全力を伴った咆哮は、ヴェディタル平野全域に轟いた。遠く離れた帝国兵も反乱兵もその威圧に気圧され、一瞬攻撃の手を止める程だ。

 そしてそれは同時に、今も尚戦場で暴れ狂い多くの異界者イテルと戦闘を続けている無尽烈竜トランギニョルにも届いた。

 生命ではないトランギニョル、無論のことだが目や耳といった感覚器官は備えていない。ルプの扱う幻覚には無縁とも思えるものの、発動条件は振動に触れた者。音が轟いたなら、振動もまた到達している。

 

「グルルル……ア゛オ゛オ゛ォォォォォォォォン!!!!」

「う、うわっ!?」

「何だこの花は!?」

 

 ──よって、トランギニョルから発射された1,000を超すミサイルの雨に対し質量を伴う幻を以て迎撃を開始していく。

 華開くは天をも貫かんと咲き誇る巨大な白百合の花園。それはルプがかつて居た世界に存在した──危険植物である。

 次瞬、花弁の内側から放たれるのは常識の埒外と表現出来る、炸裂する種子であった。まるで重機関銃のように放たれるそれは鋼で構成されたミサイルの外殻を容易く粉砕し、続けて放たれる種子により内部が破壊され、次々と空中で爆発していく。

 だが──トランギニョルによる次撃はミサイルでは無く、砲弾だった。

 鋼鉄という大質量を火薬により強制加速させ投射する兵器に対し、白百合の花園は防衛手段としては役には立たない。

 良くて軌道を逸らす程度だろうが、7トンを超す重さを誇る砲弾を逸らすには何もかもが足りなかった。

 直進しながら迫る鋼の塊を見て、何も出来なかったルプは歯噛みし、その直撃を待つしか出来なかった。

 

 

「───氷宮極圏アオローラ・パラスト

 

 ──だが彼女は1人では無い。虚空に浮かぶ氷の三重の大壁がトランギニョルによる砲撃を防ぎ切る。

「……大丈夫、でしょうか……?」

「ワウッ!」

 腰の鞘から細剣レイピアを抜き放ち、自らの竜銘イデアを限定的に解放したシェーンは心配そうにルプに話しかけるが、彼女ルプの嬉しそうに尻尾を振る姿を見て安堵するのだった。

「おいおいおい、何だ今の音は!?」

「何があったシェーン! ルプ!」

 直後、テントから飛び出て来たのはカルグとアリシアだった。2人とも複数の爆音を攻撃と判断し、テント内部で防御姿勢を取っていた為か外に出るのに遅れたようだった。

「ええ、実は──」

「「うおおおおおおおぉぉぉぉ!?!?!?」」

 シェーンが事情を話そうとしたその瞬間、空から2つの巨大な影が落ちて─否、勢いよく落下した。

 土煙どころか爆音と衝撃を伴ったそれは、ルプの咆哮を受けて死に体と化していた解放軍の面々を吹き飛ばしていく。

「ふぅ……義経め、殺すつもりか彼奴は……! 後で絶対に泣かしてやる」

「まあそう言うな、空を飛ぶ感覚も中々に良いものであろう」

「の、の、教経お前ぇぇぇ!! あ、危ないだろ殺す気かぁ!?」

 土煙が収まるにつれ、浮かび上がる影が教経とスパルタクスであると明らかになる。2人の着地の衝撃でスカートとパンツが丸出しとなってしまったアリシアは憤怒の形相で起き上がり、自分よりも頭ひとつふたつ大きい教経に食ってかかる。

「む、居たのかアリシア。すまん」

「すまんで済むかアホタレッッッ」

 そんな彼女をケラケラと笑いながら頭をポンポンする教経だったが、直ぐに表情を元に戻して問いかける。

「それよりアリシア、あの奇怪な蛇は何だ」

「我等の戦いに水を差して来てな、破壊して良いのか?」

 教経の問いに乗じてスパルタクスも問いを投げかける。尤も、破壊して良いのかどうかという脳筋じみたものであったが。

 その問いへアリシアが答えようとする寸前に、先程までテント内部で女同士の殴り合いキャットファイトしていたカレンとレインが、ボロボロな姿になりながら現れた。互いに拳を武器として殴り合っていたのだろう、アザだらけになっていた。

「あれは無尽烈竜トランギニョルと言う、動く災害のようなものです……人を、街を、凡ゆる全てを喰らい荒野を産み出す鋼の厄災。スパルタクス殿、あれを放置すれば黎明解放軍の障害になります! 何卒討滅を!!」

 だがそんな状況にも関わらず、レインはスパルタクスに頭を下げて懇願する。

 トランギニョルは正真正銘の災害。物質がある限りアレは無限に起動し続け、移動し続け、破壊の限りを尽くすだろう。

 そして同時に、アレを正面から迎え撃てる者は数少ない。そのうちの1人に該当するだろうスパルタクスに依頼するのは当然のことだった。

「任されよ」

 スパルタクスはその依頼に短く首肯する。同時にカレンもまたカルグ、アリシア、そして教経に指示を飛ばす。

「こっちもやるわよ。あんなの放置したら東部が滅んじゃう」

「同感だ、アンタ……ノリツネだったか? お仲間は何処にいる」

「今はあの鋼の蛇を食い止めている、貴殿らも参戦してくれるなら心強い」

「帝国軍と反乱軍の共同戦線、ということですね姉様!」

 互いに軽く情報の共有を始めるカルグと教経だったが、アリシアの無邪気な発言により周囲の空気が一変する。

「「は?」」

 その出所は、勿論カレンとレインだった。互いが眉間に皺を寄せ、青筋を立てながら近付いていく。

「指揮権はこっちが持つから」と、カレンがにこやかに告げる。

「ご冗談を、そんなボロボロな状態で戦えると?」と、レインもまたにこやかに返す。

 

 “どうすんだこれ……”

 その場にいた者達の心が一致するのが分かる。いくら何でも仲が悪過ぎる、さてどうしたものかとカルグが口を開こうとしたその瞬間。ふと違和感を感じる。

 それは影だった。無論、今の時間は太陽が昇っており、陽の光によって影が生じるのは当然だ。

 だが、それは余りにも異質だった。言葉に表すことの出来ない、名状し難い影。そしてそれは次の瞬間、ゴポゴポと泡立ちながら人の姿を取り始める。

 

「双方落ち着け。ここでこれ以上の争いに意味は無い。今は、トランギニョルの撃滅が優先されるべきだ」

「な、マキナ!? 何でアンタが此処に……!?」

「マキナ……まさか第六軍団の総督……?」

 その影の正体は、第六軍団総督“影鴉レイヴン”マキナだった。

 

「今より、バロム・アンシャ・レムナール19世からの手紙を読み上げる。皆、心して聴くように」

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