第28話 平穏は遠く

 そこに漂っていたのは悲痛なまでの沈黙だった。

 自らが護らんとしていた帝国の国土に、あり得ざる存在どれい。それだけでも多くの問題が山積みとなるのに、それに加えて奴隷達による反乱。そしてそれが齎らす混乱は瞬く間に拡散していく。

「す、直ぐに鎮圧を!」

「だが100万の軍の対処は第五と第七軍団の両方を投入しても足りんぞ…!?」

「それに、それ程の大規模動員をすれば確実に連合は動く!あのガルド・フォーアンスがこのような機会を見逃すはずはない!」

「ならこのまま黙って見ていろと言うのか!?それこそ連合の介入があってもおかしくはないぞ!!」

 悲鳴にも似た絶叫が議場内に響く。これ程の大規模反乱を経験したことのない帝国は対処法について議論を重ねていく。即ち中央軍─東部戦線を維持する第五と第七軍団の派兵だった。だがそれは大きな問題を抱えるものでもあった。それは連合が帝国との国境沿いに配置している軍、その名を凰翼騎士団とその首領、ガルド・フォーアンスである。

 人類種最強の名を冠する彼が手薄となった戦線を無視することは決してない。神の名を穢す神敵を滅するべく東部戦線に侵攻を加えるだろう。更に、先の異界者イテル達の手によりバシラウス要塞が使い物にならなくなっているのも手痛い。

 ならば中央は静観し、対処を辺境伯領に一任するというのも厄介な事となる。これ程の混乱、連合の持つ暗部が介入し下手をすれば辺境伯領が丸ごと連合に鞍替えする可能性すらあり得る。そうすれば、連合軍は瞬く間に帝国の中枢にその刃を届かせることが出来てしまう。

 動いても動かなくても、大きな問題が生じる現状。それを打開すべく武官達は議論を重ねていく。

 

「ひょっ」

 

 そしてそれは唐突に打ち切られた。議場内に満ちていく暴力的なまでの竜気オーラの奔流が、内部にいる全ての人間の動きを強制的に止めていく。帝国最強たる総督達ですら冷や汗が止まらず、その出所に視線を向けるのが精一杯だった。

「……陛下も意地が悪い、よもや聞いていらしたとは」

 ピルガも冷や汗をかきながら、先の威圧を放った張本人に対し冷静に問いかける。その出所は、玉座だった。本来なら皇帝が会議に参加する際に使われるものであったが、今回は緊急ということもあり参加の要望は見送られた、筈だった。大きく荘厳な装飾の施された金と真紅の椅子に不似合いな小さな影がちょこんと座っていた。つるりと光る禿頭に反比例するかのように蓄えられた白髭の老人が、意地悪い笑みを浮かべているのをカレンは“この悪戯好きなジジイはぁ…!!”と怒りを隠せなかった。

 彼こそが、レムナール帝国の頂点に君臨する男─バロム・アンシャ・レムナール19世である。かつては帝国最強の個として勇名を馳せたが、今や老帝として君臨している。そんな彼は豊かな白髭を撫でながら、目を閉じて呟く。

「うむ、参加せずとも良いと言われたが、帝国の大事に関わらん皇帝なぞ無用の長物よ。それにしても……ヴィシュヴァーめ、よもや儂を裏切りおったか……」

 ヴィシュヴァー辺境伯、そしてその一族が犯した蛮行は正に帝国の、皇帝の威光を穢すものだった。下手をすれば更なる反乱すら引き起こしかねないそれを、バロムは速やかに解決すべく命令を下す。

「トルキナード総督、ファルジナ総督。貴君らに命ずる、各々の主力を以て速やかにヴィシュヴァー辺境伯領にて発生した反乱を鎮圧せよ」

「「ハッ!!」」

 先ずは東部戦線に主力を置く第五軍団総督カルグ・トルキナードと第七軍団総督カレン・ファルジナへの鎮圧命令だ。戦線を維持する主力兵力による鎮圧、それは連合の更なる侵攻を受ける可能性を高めるものであったが、バロムは速やかに他の総督へ命令を下す。

「スタリオル総督とプシュカル総督は第五と第七軍団が抜ける穴を埋めるべく軍を展開、侵攻してくるであろう連合軍への対処を命じる」

「「心得た……りょうかーい」」

 北方にて異界者イテル達の軍勢と戦い続ける、異界者イテル殺しのエキスパートである第四軍団と西方の大洋から訪れる海賊の拿捕・鎮圧を主任務とする─それ故半ば遊軍と化していた第九軍団を動員することで、抜けた穴を埋めていく。

「バルター総督、マルジア総督はそれぞれ北方と南方を抑えろ。尤も南方は然程問題あるまい、状況によっては反乱軍の鎮圧にも駆り出す可能性があるから、そのつもりで頼むぞい」

「「ういういはぁーい」」

 残された第三、第八はそれぞれの防衛任務を続けるよう命じられていく。激しい戦闘で忙しい第三は兎も角、第八は友好的な関係を築いている魔王領に隣接しており、状況が悪化すればそちらに回す可能性も示唆しておく。

「そして、第一と第二じゃが諸君らは中央で待機。可能性は高くはないであろうが、呼応して発生した反乱の鎮圧に備えよ」

「「ハッ」」

 第一、第二軍団は先の反乱に呼応して起こりうる、更なる反乱に対応すべく中央での即応体制を維持せよとの命令が下された。皇帝の威光にひれ伏す貴族は多いものの、その内心まで見通すことは叶わない。反旗を翻す準備を整えている者もいるやもしれない、そんな可能性を潰す為のものだった。

「そして第六じゃが……儂の部屋の掃除を頼むわい、最近散らかってしまっていてのぉ…メイド達も何があるか分からないと嘆いていてな…」

「ハッ」

 そして残る第六軍団への命令だったが、あろうことか掃除の依頼だった。そんなものは家令にでもやらせればいいものを…と文官達はバロムの言動を軽視する。だが、既に命令は下された。この国の頂点、絶対者たる皇帝の命令を忠実に遂行すべく総督達を始め多くの者達が行動を開始していく。

 周囲が慌ただしくなり始めたその時、バロムの横に1つの影が恭しく跪いていた。

「陛下、掃除を始めたいのですが…

 その影の正体は、第六軍団総督のマキナであった。どうやら本当に掃除を始めるようだ。バロムへの確認を終えるとすぐにその場を立ち去ろうとする。

「まあ待てマキナ総督。お前には別の仕事をしてもらいたいのじゃ……手紙を2通、届けて欲しい」

「…手紙、ですか」

 だが、それをバロムは制止させる。そして新たにマキナに対し命令を下す。マキナに差し出されたのは皇帝の印璽により封蝋された手紙だった。それを見たマキナは、指し示す意味を改めて把握する。

「畏まりました、それで…何方に渡せば良いので?」

「1通は異界者イテル共の面倒を見ている、アリシア・コットンフィールドに渡せ。じゃが条件がある…異界者イテル共が帝国に対し敵対せんと、お前が判断した時のみ渡すことを許可する」

 1通はアリシアへのものであった。中枢への縁もゆかりもない彼女に対し、まさか皇帝直々に手紙を出すとはマキナは考えてもいなかった。一体如何なる内容なのだろうか、マキナは中身の文面を幾つか予想するが、その答えは分からなかったし、どうでも良かった。

「もう1通はレイン・シャクンタラ・ヴィシュヴァーに渡せ。反乱を起こした真意が、帝国への敵意ではなくヴィシュヴァー辺境伯に対する物であれば開封を許可する」

 残りの1通は反乱を引き起こしたレインへのものだった。現状においては敵対する者同士、大方降伏勧告であろうと予想するマキナ。2通の手紙を受け取り、それを無くさぬようにきちんと懐に仕舞い込む。

「それでは向かいます。掃除は部下が滞りなく行わせていただきます」

「頼むぞい」

 その一言と共に、マキナは影も形も無くなった。まるで闇に溶け込むかのように消え去ったのを確認し、バロムは大きくため息をつく。平穏な日常が恋しいのぉ、と呟きながら玉座を後にする。

 

「精々儂を無駄に働かせないでくれ、若造共」

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