第17話 竜銘(イデア)
───詠唱。
古今東西、あらゆる呪術的・神秘的な事象や儀式を行う際に唱えられる言葉の羅列。自己の内側、精神内に広がる心象世界をより強固にする、所謂
“神よ、どうか我が身に御身の祝福を──”
そう願う者達が、例え天に神がいないと分かっていても縋る為の、自分を偽る為のものでもあった。
教経の視界が黒く染まる。
だがそれは、陽の沈んだ夜の帷では無い。
天に煌めく星々の姿はなく、只管に虚無が広がるのみだった。
昔も今も変わらぬ夜を過ごしてきたノリツネだったが、眼前の空間はそれらとは何もかもが異なる、死の土地だった。草木の悉くが枯れ果てていく、土が砂になる、地を這う小さな命達が潰えていく。それはまさに、凡ゆる生命を蝕む飢えと乾きが支配する、絶食の空間だった。
『天地を満たすは豊穣の楽土。遍く生命が流転する肥沃の大地、そこに住まう獣達に嘆きも怒りも在りはしない』
アルグが唱えるは命の豊穣を讃える祝詞。だが、それに反比例するかのように更なる死が押し寄せる。それと同時に教経は戦士としての勘からこれがまだ未完成であると断ずる。
よって、教経の行動は決まっていた。
「シィッッ!!」
超速接近からの
『されど、天から落ちる火の厄災が輝く輪廻を奪い去る。悍ましきかな火の落涙、溢れ落ちたその果てに豊穣は跡形もなく消え去った』
「が、はぁ!?」
放たれたのは、左拳のストレート。纏う甲冑がひしゃげたのを感じながら、教経は周囲の大地を巻き上げながら吹き飛んでしまう。
『飢えを満たせぬと泣く幼子、二度と戻らぬ命の輝きが我等に苦悶を押し付ける。故に我等──地を這う蟲共を、地を汚す腐骸を、窶れ骨と皮のみとなった獣達を、我等は糧と為さねばならんのだ』
意識が途切れ途切れになる教経は、思考を僅かながらに動かしていく。
“これは、陰陽道のでは…ない…!”
あの詠唱は動きに関係なく、勝手に紡がれているのだと判断する。否、そうせざるを得なかった。そうでなくば、今の一撃は
『その果てに、失われた豊穣を取り戻すと信ずる故に』
──
「
───地獄が顕現する。遍く生命が簒奪される。
『終わらぬ光と闇の戦が、積もり積もって冬となる』
「なになになになになんなのさこれぇ!?」
同時刻、義経は迫り来る氷獄の濁流から全力疾走で逃げ惑っていた。そんな彼女の姿は、正に満身創痍だった。
全身を覆う凍傷、髪の毛をはじめとした末端の凍結。流れる血すら凍り付くほどの極低温、それを世界に現出しているのはシェーンだった。自身も身体のあちこちが凍りついているものの、義経のように動きを阻害しているような様子は無かった。それどころか、その状態こそ元来の姿である、と言わんばかりにシェーンもまた義経を追撃すべく疾走していた。
『雄々しき輝く光の奔流も、麗しき聖女の祈りさえも、かの闇を祓うことは叶わない』
氷塊、氷柱、氷剣──幾重にも放たれる氷の絨毯爆撃。遍く生命を死に追いやる極低温が逃げ惑う義経の命を刈り取らんと放たれるものの、辛うじて回避し続けることが出来た。だが、それだけだ。
「く、そっ!」
見たこともないような氷の濁流を凌げるような妖術を彼女は持ち合わせていなかった。自身の師──鞍馬山の大天狗、鬼一法眼であるなら或いは…そう思ったのも束の間、逃げ惑う義経の足を遂に氷が捕らえた。直後、巨大な氷塊が彼女の胴を打ち据えた。
「がっ…は…っぁ…!?」
『泣き叫ぶ数多の命、奪われる誇りと気概、求める救世の声。失う友と増える誓い、それでもお前は救わぬのか』
致命傷──義経が少なくとも臓腑と骨の幾つかが致命的なダメージを受けたにも関わらず、シェーンは攻撃の手を止めることはない。まだ生きているのだから、死ぬまで止める理由はない───義経はシェーンの視線から、そう読み取った。必死に
『ならばこそ、我が誓いが全てを終わらそう。光も闇も悉く、遠き氷獄に囚われるが良い』
──
──地獄が顕現する。遍く生命が凍結していく。
「「これは、まずい……!」」
教経と義経、向こう正面に広がる地獄を前にして呟く。さて、如何にしてこの空間を突破するか全霊で思考を続ける。
「な、何が起きてるんだ…一体……」
一方、アリシアはというと先ほどから繰り広げられている
「と、取り敢えず私もあいつらをっ…!」
そう言って、勇気を振り絞って鬼神達が殺し合う戦域に突入しようとするアリシア。だが、その踏み出した一歩を止める者が空中から落下して来た。
「ふぎゃっ!?」
「あ、すみません……大丈夫ですか?」
その瞬間、アリシアは地面をゴロゴロと転がってしまう。落ちて来た影の余りの重量故か、大きな衝撃が生じた影響で転がってしまったのだ。同時に周囲の地面が大きなクレーターと化していた。そんな大穴の中央で、青年の声と共に、倒れていたアリシアに手を差し伸べる。
「だ、大丈夫……で……ぇ…?」
その声に反応したアリシアは手を掴もうとして、唖然とする。目の前にいたのは、黒い甲殻を纏った人型の怪物だ。耳や鼻どころか目すらその姿が見えない、骸骨を思わせるような異形の存在、闇夜の中で出会えば多くの者達が絶叫をあげるだろう。人を頭から貪る姿を予想する者も多いだろう。そんな怪物から手を差し伸べられたアリシアが絶句したのも仕方ない。
「あ、すみません。こんな姿で……僕は人間です、一応」
たははと軽く頭を歪な指で掻きながら、怪物が笑う。そしてその身が大きく変わっていく。甲殻が髪の毛と皮膚と衣服となり、人の姿となる。
「僕は
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