第6話 要塞都市グヘカ

 要塞都市グヘカ。帝国首都から東に数十日程歩いた場所に位置するそこは並の巨木を越すような巨大な城壁と幾重にも張り巡らされた堀に囲われた巨大都市だ。曰く、神話の時代に語られる竜すら討伐した巨人の群れをも退かせたという伝説ホラ話を残す由緒正しき、帝国が誇る都市であると同時に、金、人、モノが忙しなく移動する大動脈を形成する交易都市でもある。

 

 そんな常に喧騒に包まれた都市の中央に巨大な─だが見る者が見れば余りにも質素である事に驚かれるほど地味な建造物があった。ただ只管に無骨な、装飾性の欠片も無いそれは都市グヘカの政治機能を担う者達、貴族の屋敷だ。他の貴族達は贅の限りを尽くして自身や屋敷を飾るのだろうが、グヘカとその周囲一帯を統べる貴族─ギルベルト・フォン・ファーレン辺境伯とその一族は武勇によってその名を轟かせており、不必要な浪費を嫌悪している為かそのような行為は一切行われていない。

 そんな建物の中のとある一室に1人の男がいた。やや痩せぎすな、だが鍛えている部分はきちんと必要最低限鍛え抜いている二十代後半の青年だ。彼は淡々と目の前に置かれた書類の山を1枚ずつ目を通し、吟味し、サインを書き、判を押していく。そんな紙にペンが走る音と判子が押される音以外が響かない部屋の中、コンコンと扉がノックされる音がする。それに反応し、ペンと判子が止まると同時に「入れ」と男がノックをした人物に入室の許可を出す。

「失礼します、ウルベルト閣下。先ほど士官候補生の最終試験が終了したとのことですが…」

「閣下はよせ、それは父上や兄君達に使うべきだ。私のような書類を処理するだけの者には不釣り合いなのでね。それで、何かトラブルでも起きたのか」

 ウルベルトと呼ばれた男は、報告に来た兵に細やかな注意拒否をすると共に、目の前の仕事以外の、新たにやってきた厄介事がなるべく辛くない物であれ、と神に祈りを捧げる。尤も、それは叶わない話なのだが。

「ハッ、実は士官候補生の1人が不合格になったのですが……その者が不合格ならば、我々全員も不合格にすべきと、合格者達が騒いでおりまして…」

「…何だと?」

 それはウルベルトからすれば寝耳に水、と彼の国日本であれば表現出来るような状況だった。合格者達が不合格になるべき?なんだそれは、ふざけるな─そう叫びたかったが理性がそれを阻み、詳しい事情を話すように促す。

「どうやら試験中に巨熊獣ヒガンテスベアーに襲われている者を救い出した上に、盗賊達に襲われている村に単独で突入し、大怪我を負いながらもその全てを倒し捕縛したとのことです」

「…ほう、凄まじいな」

 それは1つの都市に駐在する軍を指揮するウルベルトからしても驚きは隠せなかった。巨熊獣ヒガンテスベアーは軍を動員しても討伐出来るか定かではないが、個人で相対し尚且つ勝利出来る者などかなり限られてくる。帝国であれば、皇帝直属の軍団長達と副団長達。連合ならば四大枢機卿、とりわけ人類種最強と謳われる凰翼騎士団団長や異界から訪れたとされる転生者達ぐらいだ。

「なるほど、つまり合格者達はそのような偉業を成し遂げた者より下であると自ら告白したと言うのかね」

 自らの予想を確認するように問いかけるウルベルトに対し、兵は首肯すると共に言葉を続ける。

「ええ、何せその救われた者が涙を流しながら語っていたのです。最後には教官すら薄らと涙を浮かべていましたよ」

「………ふむ」

 少なくとも事実ではあるようだ、そうウルベルトは判断するものの1つの懸念がどうしても拭えなかった。

「何か心配がございますか…ウルベルト様」

「無論だ。客観性を帯びていない言葉に惑わされる程落ちぶれたか?救われた者が自らを助けた者を称賛するのは、いつの時代も過大になるものだ」

 それはつまるところ、神聖視し過ぎているという懸念だ。救世主というのは得てして、狂気と狂乱に包まれた者であるというのはいつの時代も変わらないとウルベルトは認識している。

「わかった、その件は私の方でどうにかしよう。それで、その士官候補生の名前は?」

「アリシア・コットンフィールドです」

 バキッ─

 その名を聞いた瞬間、ウルベルトは持っていたペンを握り折ってしまうと共に苛立ちを隠す事なく恨み言を叫ぶ。

 アリシア・コットンフィールド。それは周囲の都市の中では一際巨大なグヘカでも有名な個人の1人だった。盗賊に襲われ村を焼かれ、殺される寸前に1人の帝国兵─後の皇帝直属の軍団長の1人である英雄に救われてこの街に来たのだ。その出来事は新聞で大々的に報道され、グヘカで知らない者は居ないほどに広まってしまったのは、情報統制が上手くできなかった当時の失態としてファーレン家には知られている。

 そして何よりも重要な事として、ウルベルトはアリシア─正確に言うなら彼女とその周囲とは可能な限りお近づきにはなりたくないと言うのが本音だった。だが、士官候補生試験は各都市の貴族が帝国政府から一任されている重要な仕事のひとつだ。個人的に嫌いなのでやりたくありません、は決して通用しない。

 溜め息を吐き、ウルベルトは陰鬱な気持ちを表に出さぬよう努めて兵に命令を下す。

「アリシア・コットンフィールドの件は私で処理をする。お前はもう、戻って良いぞ…」

「ハッ、失礼します」

 その命令を受け、兵が退出したのを確認してからウルベルトは額を執務机にぶつけ、この後に起こるであろう面倒事をどうにか事前に解決出来ないか模索するのだった。

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