side8 ヴァナハイムの剣聖
私、リュカ・デスペラードは右目が見えない。
生まれた時からそうなのかはわからない。ただ、自身の記憶がはっきりした頃にはすでに右目は視力を失っていた。なので私にとってはこれが普通。特段不便を感じたことは今まで一度もない。
「……アランか」
それどころか、むしろ私は一般人より勘が鋭いとよく言われる。自覚はないが、今ヴァナハイムの伯爵、マケドニア家のアランが自身に近付いてきているとわかったのも感覚的なものだ。
「やっぱりリュカ様はすごいですね。今日のは完全に死角だったし、気配も消しきれてたと思いましたけど」
「その程度は消したとは言わない」
深い霧が立ち込める樹海の奥地。古く巨大な木々が空に向かってそびえ立ち、静寂と瘴気に満ちた空気が漂う“ヴァナハイムの魔境”と呼ばれるこの場所に、今日も私はいた。
よく修行で来ているのだが、誰にも行先は告げていないのに、アランは必ず私の居場所を突き止めてくる。それはそれですごい能力だと思うが、追い回されているようであまり気分は良くない。
「というより、リュカ様。いい加減こんな魔境の奥地で勝手に修行するのはお控えいただきたいのですが。いつも見つけるのに苦労しています」
「見つけなくても勝手に戻る」
「あのですね、リュカ様。そろそろご自身の立場というものを少しは理解していただきたいのですが。帝国最強騎士団の団長である貴女様になにかあったら、監察役である私の首なんて10個あっても足りないのですからね」
「貴殿の首に、それほどの価値が?」
「これは手厳しい……」
やれやれと苦笑するアラン。
貴族のくせに、彼はこういう誰もやりたがらない雑務を積極的にこなす。家系的に帝国の犬をずっとやってきているので、歴史があるから任されるのだろうが、それでも能力がなければ務まらない仕事だ。
その辺り、本当は敬意を払わなければいけないのだが、いかんせんこの明け透けな性格が癪に障る。どこか達観し見下した感じもあり、あまり好きにはなれない。
「まあいいや。そんなことよりリュカ様、お仕事です」
「つまらん業務上の指示はすべて副騎士団長に任せている。いちいち確認しに来なくていい」
「ええ、それはわかっています。ただ今回のはレアケースなんで、一応お耳には入れておこうかと思いましてね」
私は強さ以外に興味がない。ヴァナハイムは完全実力至上主義の国。孤児だった私は剣の腕一本で今の地位まで成り上がったのだが、騎士団をまとめたり指示をしたりする仕事は自分には向いていない。そういうのは得意な大人がやればいいと思っている。
「言ってみろ」
「ゼノビアとの国境線沿いにある小さな村でドラゴンの目撃情報がありまして……」
「愚報だ、アラン。魔物風情の討伐に、この私が遠方まで出向くとでも……」
「ティア・ゼノビア」
「……なに?」
「彼女、いま帝都ヴァナハイム・キングダムへ向かうために、その村を目指しているみたいなんですよ」
噂は聞いていた。なんでもあの伝説の冒険者、テオドール・スターボルトとその一派のシルメリアへの進撃を、数名の仲間とともに食い止めたとかなんとか。
行方不明だと聞いていたが、テオドールは生きて入れば一度手合わせ願いたいと思っていた相手だ。その男を退けた実力。12歳の王女で魔術師らしいが、そんなことは関係ない。強いのは間違いないだろう。実は最近非常に興味を持ち始めていた相手だった。
ちょうどいい。
「今から向かう。帝都へはお前が報告しておけ」
「はい?いやそんな急に……。ていうか、どうやって行くのですか?」
この男はいちいち愚問が多い。普通を演じているのか、ただのバカなのか。
「走っていく。最近古物商から調達したこの魔法靴の性能はお前も見ただろう?それが一番早い」
サイズの合わない子供用だったが、他とは基本性能が明らかに違うその魔法靴に惚れ、かなり古い魔道具だったが即購入を決意した。無理やりヴァナハイムの一級鍛冶師に使えるよう調整をさせたので履き心地はいまいちだったが、やはり性能は群を抜いていた。
誰が制作したのかはわからない。だがいつか、作った人間の顔を拝んでみたいものだと思った。
「それ、普通の考え方じゃないですからね……。あ、なんか包囲されちゃってますね」
無駄話が多すぎた。少し油断していた。この男の感覚もなかなか鋭い。気づいたか。
「……」
樹海に生息する凶暴なゴブリンの群れに囲まれている。話し声につられてゾロゾロ集まってきたのだろう。無作為に生え散らかす樹々や植物で身を隠し、虎視眈々と私たちを捕食しようと殺気をむき出しにしている。
全方位。間合いを取っているつもりだろうが、それは悪手だ、人外。
「アラン、死にたくなければ地べたに這いつくばれ」
「ええ……。なんか足元ヌルヌルしてて気持ち悪いんですけど……」
「一掃する」
「ちょっ!」
構えるまでもない。私は、腰に携えた細身の愛剣に手をかけ……
「……終わった。もう立っていいぞ、アラン」
反射的に地面に伏せていたアランにコトが終わったことを告げ、起き上がるよう促す私。
「うえ~。服汚れちゃいましたよ、気持ち悪い……。でも」
樹海の汚泥に塗れたアランが周囲を見渡す。終わったと言いながら、状況は何も変わっていないかのように見える。
ただ、終わっているのだ。
「相変わらず規格外の剣閃ですね。いつ見てもなにが起こったのかまったくわかりません。さすがはヴァナハイム最強。“隻眼の剣聖”の異名は伊達ではありませんね」
アランが感心するかしないかの刹那、ようやく周囲の状況が変わり始める。と言っても起こっていることは非常にシンプルだ。
私を中心に、高さにして私の身長の半分程度。四方は視界の届く範囲くらいか。
樹々や植物、そしてゴブリンやその高さと距離にあったすべてのモノを斬った。
「森の樹々や植物たちを無下に傷つけなくないのでな。あまりこういう雑な技を使わせてくれるな、アランよ」
「あ、私のせいにしてるでしょ。リュカ様も結構しゃべってましたからね」
時間差で倒れていく樹々達の悲鳴が聞こえ、瘴気も薄らぎ、周囲の視界が晴れる。
多数の上半身と下半身がずり落ちたゴブリンや他の魔物たちの残骸も目に入るが、どうでもいい。
樹海の地面が、長らく拝んでいなかったであろう日の光が急に降り注ぎ、私たちの周囲を取り巻いていた邪悪な幻想感はすでになくなっていた。
「じゃあ、後は頼んだ」
目的地の場所は大体わかっている。詳細はいらない。方角だけ間違えなければ、ほどなく到着できるだろう。
私は、魔法靴の出力を調整するためしゃがみ、靴の側面についたつまみを捻じる。魔力を起動させた魔法靴が超音波のような高めの音を鳴かせ、始まりの鼓動を告げる。
「一応ゼノビアの王女様なんですから、殺さないでくださいよ~」
「保証はできんが、善処する」
加速。私は一気に最大出力でその場を離れ、ドラゴンの目撃情報があったという村を目指す。
「期待を裏切ってくれるなよ、ティア・ゼノビア」
久方ぶりに高鳴る鼓動を抑えきれず、私は風を置き去りにする超速度で移動しながら、魔女との邂逅の時を待ち侘びるのであった。
――――――――――――――――――――
【あとがき】
幕間の章はこれにて完結です。
第二章 帝都ヴァナハイム・キングダム編もスタートしておりますので、引き続き「転生の魔女」をよろしくお願いいたします。
十森メメ
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