第2話

 地下室に降りて行く階段というのは、屋敷の奥まったところにあった。まるで防空壕か何かのようにぽっかりと暗闇が広がっていた。そこを降りて行かなくてはいけないのかと思うと、俺は足がすくんだ。しかし、放置するわけにはいかないから、照明をつけながら、下へ降りて行った。


 地下室というのは、なんとなく心理的に圧迫される。おじの屋敷の地下室はまるで病院のように、ちゃんと建物の一部になっているのだが、自分が地中にいるということ自体に得体のしれない恐怖を感じていた。


 地下室は主に倉庫として使われていたのだが、確かに廊下の突き当りに『立ち入り禁止』のステッカーのある部屋があった。屋敷の面積からして、その部屋が異常に広いだろうこうとは想像できた。


 俺は恐る恐るカギを開けた。ドアの近くの壁を触って、照明のスイッチを探した。パチッと音がなって部屋が一気に明るくなった。まるで天井の低い体育館だ。百畳くらいのだだっ広い部屋に無数のマネキンが置かれていた。しかも、全裸だった。その景色から思い出すのは、美輪明宏と三島由紀夫が出ていた『黒蜥蜴』という映画だった。もし、この世のすべての富を手に入れ、他人を支配できるとしたら、ジャニー喜多川のジャニーズ帝国やエプスタインの売春島のようなハーレムを望む人は少なくないだろう。


 確かにおじが好きそうな趣味ではあった。いろいろタイプの違うダッチワイフを買いそろえてみたいという願望は、俺にもわからないでもない。あくまで実用品としてである。しかし、おじの場合は観賞用であったらしい。


 俺は、そこにあった、あまりによくできたマネキンたちの間を歩き始めた。みんな金髪で髪の長い人ばかりだ。年齢的に二十代前半くらいだろうか。欧米の人には珍しくタトゥーのある人形はいない。おじの趣味だろう。


 リアル過ぎるほど出来が良く、今にも動き出しそうだった。蝋人形よりもはるかによくできていた。何だかムラムラしてしまった。


 中にはM字開脚や四つん這いのポーズをさせられているものもいたし、わざと際どい下着をつけているものもあった。アンダーヘアがあるものも、ないものもいた。


 そのうち、背が高すぎず、胸の形のいい一人の白人女性を見かけた。すらっとした体形でちょっと斜め上を見て、何かを指さすように右腕を上に延ばしていた。

 

 俺はこの子タイプだなぁと思って近づいた。


「え!なんだよこれ!」


 俺は叫んだ。前にパーティーで一緒に過ごした女性にそっくりだったのだ。確か名前はキャメロンだ。アメリカのコネチカット出身で、モデルとして日本に来ていた子だった。明るく性格がよくていい子だった。すっかり気に入ってしまった俺は、その後も彼女と連絡を取っていた。一時は本気で愛人として囲いたいと考えたほどだ。彼女も俺のことを客としてではなく、友人のように慕ってくれていた。それなのに、突然連絡が取れなくなってしまったのだ。俺は心配になって、彼女の友達に聞いたり八方手を尽くしたが、行方不明のままだった。精神を病んでいたから、多分、もう生きてはいないだろうと周囲は話していた。


「キャメロン。一体何があったんだよ!」


 俺は泣き崩れた。


「どうしてこんな姿に…」


 俺はそのマネキンの近くによると、あることに気が付いた。産毛が生えているのだ。あれ…。これは…。もしかして…マネキンじゃないんじゃないか。


 俺は悟った。

 ここにあるのは、全部人間のはく製なんだ!


 みんな殺されてここにいるんだ!


 俺は目の前が真っ暗になった。


 エンバーミングというやつだ。以前、ロシアでレーニンの遺体を見たことがある。防腐処理をして、まるで生きている時のような状態を保っているのだ。おじさんがやっていたのはこれだったのか。


 俺はショックを受けて、しばらく現実を受け入れられなかった。


 そして、部屋の奥までうろうろと歩みを進めた。メイクの濃いゴージャスな美女。豊胸したような不自然な巨乳の女。逆に胸が小さい女など様々なタイプがいた。


 全部で百体近くある気がした。みんな白人女性だ。しかし、部屋の隅の方に、貧相で足の短い男が立っているのが見えた。肌が黄色くて明らかに浮いていた。俺はそれを目指して歩いて行った。


 カマキリやアンコウの雄役か。俺は笑いがこみあげて来た。ブロンドの美女を侍らせることが成功の証なのか。矮小なアジア人が考えそうなことだった。その集団で、唯一の雄として君臨しようとしているのだ。逆アナタハン島。生物学的に、なくてはならない存在として求められる状況を人工的に作り出しているのだ。


 俺は雷に打たれたようになった。目の前には、亡くなったはずのおじが全裸で立っていたのだ。貧相な体で、下腹が出ていたが、下半身は元気な状態に加工してあった。そんな姿で人前に立つとは…。恥ずかしくて仕方がなかった。


 そこで、おじは永遠にハーレムの生活を楽しむつもりだったのだろう。別にパーティーをいくらやってもいいし、動画を取っていようがなんでも構わない。しかし、亡くなった後、自分の性的な剥製を作らせるとは、どういう価値観なのか理解するのは困難だった。

 

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