小学生

第一話 出来損ないの劣等生

 東京都某所。保育園での卒園式。

「いーつのー、ことーだかー、おもいだしてごーらんー!」

 子供達の歌声に、大人達は涙ぐみながらビデオカメラを回す。

 鼻の啜る音。口にハンカチを当て、声を抑えて泣く音。ピアノの伴奏。元気いっぱいな歌声。

 狭い観客席に詰め寄る大人達は、全員黒服だった。ネクタイだけは、カラフルだが。

 今思うと、側から見たら葬式だと間違われてもおかしく無い。そんな異様な光景の卒園式だ。

 帰り道を両親と手を繋いで歩く。思い返すと、家族三人が揃ったのはこの日が最後だったかも知れない。

 家に帰ると、沢山のご馳走を用意して、黒服の仲間達が待ち構えていた。

 唐揚げに、オムレツ。ハンバーグにケーキ。俺は夢中になって食べた。

 卒園式を同じくした子供達と共に、食卓を囲む。食卓と言っても、かなり大きな長いテーブルだ。席順は決まっている。

 家族毎で分けられた席。子供同士の会話は特に無い。お互いに興味が無いからだ。何でかって?理由は単純。そう言う教育を施されたからだ。

 このテーブルを囲んで食事をしている黒服達は全員、名禮翫(みょうれいかん)家と言う、世界トップクラスの大金持ちに勤める使用人だ。

 その使用人達を総称して、掬護会(きくごかい)と呼ぶ。

 この家ではない外の家に住んでいる使用人も居るが、今日は卒園式。祝いの場という事で使用人ではない親も含めて全員集まっている。

 掬護会の人達は、この時水面下で冷戦状態だった。

 俺が高校一年になる頃。現在当主を務める方の孫にあたる未来の当主、りんのすけ様が中学一年生になる。そのタイミングで、誰が第一使用人になるかが決まる。側近に近い存在だ。

 候補になるのは、りんのすけ様と歳の近い人。

 年上や年下関係なく、りんのすけ様の判断で決まってしまうのだから、子供を持つ掬護会の人達は利権争いの如く、お互いの顔色を伺って過ごしている。

 俺は基本的に能天気な性格もあって、この重たい雰囲気を一切気にしていなかった。気にするべきだったのかも知れない。

 あんな事になると分かっていたのなら。




「それでは皆さん、今日から訓練が始まります。小学生になったら、お兄さんお姉さんになるんです。その為にも、沢山“お勉強“と訓練をして、使用人候補から立派な使用人になりましょう。」

 六十歳くらいの女性の先生は、新一年生になった俺達に言った。

 使用人候補は、使用人試験を受けていない研修生だ。使用人試験は中学二年生から受けられるらしい。確実に受かる訳では無いため、人によって差が出る部分だ。

 今日は初訓練の日だ。山奥の広い森の中にある演習場へ来ていた。平地になった土の広場。周りは大きな木に囲まれている。

 俺も含め五人の子供がいる。全員黒いポロシャツに黒いカーゴパンツ。黒い運動靴を履いている。男も女も関係なく同じ格好だ。

 俺達はお互いに本名を知らない。苗字で呼び合うからだ。下の名前など、あってない様なもの。

 おっと、申し遅れました。俺と名乗っている人物こと、今回の主人公。サソリと申します。以後お見知り置きを。

 俺のこの赤茶髪は生まれつきで、髪型は平凡なショートカット。目はちょっと細めで、母親譲りの優しそうな顔をしている。この頃の俺は小学一年生の割には少し低めの身長だった。

 初訓練は掩体構築だ。小さな折りたたみ式のスコップで、図面を見ながら穴を掘る。小銃を置く為の山、敵の銃弾から守る為の山と隠れられる深さの穴、正確に掘り進めなければならない。

 今回の訓練は、五人の子供達全員で一人分の穴を掘る。

 リーダーシップを発揮し指示を出す者。図面を見ながら土の上に正確な印をつける者。積極的に手伝いをする者。様々な動きを見せる中、俺は何をすれば良いのか分からず、動けなかった。

 ほとんど俺が手をつける事なく、掩体は完成した。

 完成した穴はかなりの出来栄えで、先生に褒められた。俺は訓練の間、ずっと他人事の様に過ごしてしまった為、理解出来ず、褒めても俺ではない人が褒められたのだと感じた。初訓練は、意味のない時間となってしまった。




 小学生になってからのルーティンは決まっている。学校で授業を受け、終わったら訓練か専門的な勉強をし、帰ってからは雑用をする。

 俺の父親と母親は仕事で忙しい。家に帰っても、一人でいる事が多かった。

 いつの頃からか、俺は期待されていた。両親が優秀だからと言う、大人達の勝手な期待だ。

 しかし、仕事について両親から聞かされた事が無かった。そんな時間は無かった。俺は同世代の使用人候補達に比べても知識が無い。その結果、世間からの期待と俺自身の能力は、当然一致しないのだ。

 訓練や“お勉強”を重ねていくうちに、周りの態度が変わっていく事は、能天気な俺でも何となく分かっていた。

 覚えが悪い。要領が悪い。積極性に欠ける。きっとそう思われていただろう。

「ご両親は優秀なのに、息子があれじゃあね。」

「分家の方の息子さんが本家勤めになれば良かったのにね。」

「うちの子のライバルが減るからありがたいわ。」

 陰で色々言われていても、言われている事が事実だった。自分の努力が足りない、としか思わなかった。



 年に一度、一番大きな分家に務める関西の使用人と、本家の使用人の合同演習がある。通称、東西合同演習だ。

 分家には、俺の従兄弟のソヤクモ家が居る。そこには一つ年上の男の子がいて、彼はとても優秀だった。覚えも早く、要領も良い。その為、周りからも認められ、本家の使用人候補の子供達にも憧れられていた。

 俺はそんな彼が苦手だった。

 広大な荒野が広がる演習場。そこで彼とすれ違う。

 俺より高い身長、白い長髪を全て纏めてポニーテールにし、キリッとした眉毛に垂れ目。黒いポロシャツに黒いカーゴパンツ、黒いスニーカーを履いている。

 足を高く上げ、頭に踵落としをされる。倒れた俺の後頭部をそのまま踏みつけて言う。

「小さ過ぎて見えんかったわ。」

「ごめんなさい。」俺は謝りながらニコニコ笑った。

 ソヤクモは舌打ちをして、何処かへ行ってしまう。初めての合同演習で彼と交わした会話はそれだけだった。




 他人から向けられる悪意に気が付いたのは、小学二年生の頃。射撃演習での出来事だ。

 小銃。いわゆるライフルを使った射撃。三百メートル先の的に、体を地面に伏せた状態で撃つ。

 制限時間内に、六発打ち、当たった的の位置によって点数が付けられる。

 周りの子達が高得点を叩き出す中、俺はぶっちぎりの最下位だった。それだけで済めば良かったのだが、大変な事が起きてしまった。

 俺は射撃後、撃ち終わって火薬が空になった弾薬、通称空薬莢(からやっきょう)を弾薬管理の大人に返す時、一つ紛失している事に気が付いた。

 空薬莢は、全て返却しなければならない。もし無くした場合、その場にいる全員で広い屋外射撃場から探し出さなければいけないのだ。

 俺は冷や汗が出た。

 弾薬管理の大人は、他の係の大人達に共有する。子供達を集めて、今から捜索を始める事を伝えた。

 いつもリーダーシップを取っている男の子が、俺に向かってボソリと言った。

「一人で落ちこぼれるのは勝手だが、他人に迷惑をかけるのは有り得ない。やる気が無いなら辞めてしまえ、目障りだ。」

 それを言われて、頭が真っ白になる。彼が言っているのは正論だろう。しかし、一年間訓練を受けていて分かった事がある。彼が俺に向ける態度は、他の人に向ける態度と真逆である事だ。

 いじめられている?

 彼の発した言葉には、言葉の意味だけでは無く、明確な敵意や嫌悪感が混ざっていた。悪意がこもっていた。

 俺は愛想笑いを返しながら謝る。彼は更に腹が立ったのか、睨みつけて来た。

 人の悪意を悟った時、自分が孤独である様に感じた。

 家に帰ってから、両親に相談しようか深く悩んだ。結局、忙しい両親に心配事を増やしたく無くて、何も相談せずに過ごす事を心に決めた。

 俺は我慢をする事にした。その結論を出した結果、孤独感が何倍にも膨らんでいる事に気が付かずに。

 その後、いじめはエスカレートした。学校の教科書が破られたり、訓練の開始時間を誤って教えられたり、俺が来ると皆んなが会話をやめたり、クスクス笑われたり、トイレに閉じ込められたり、色々だ。




 嫌な事は連続で起きる。

 小学二年生の終わり頃に、当主様が寿命を全うして亡くなられた。

 その息子が当主を引き継ぐ時、ほんの一瞬だけ、この家は不安定になった。

 その一瞬の隙をついて、テロ組織が動こうとする。

 掬護会は優秀だ。その隙を見逃さず、緊急対処に回る。父親も母親も、その任務に就いた。

 小学三年生の春頃。夜寝る前に、任務を終えて帰って来た母親と久しぶりに再開する。寝室に入ってドアを閉めた後、俺に言った。

「お父さんは、皆んなを守る為に命を使ったの。とても立派だったのよ。」

 その後、ボロボロの戦闘着を着たまま、パジャマの俺を抱きしめる。母親は声を殺して泣いていた。

 父親はもう帰って来ない。その事だけしか俺には理解が出来なかった。

 皆んなって誰なんだろう。母親と俺は、父親にとってはどうでも良かったのか。沸々と煮えたぎる感情で、俺は涙を流さなかった。

 それから、母親と顔を合わせる事が無くなった。悲しみを仕事の忙しさで埋めていたのだろう。もしくは、父親の埋め合わせで仕事が増えていただけかも知れない。真実は分からない。

 家に帰っても、俺はずっと一人だった。

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