第21話 翠の里帰り(後編)

翌朝少年が目を覚ますと、やはりスイは居なかった。

昨日は暗くて分からなかったが、その場所は山の中腹とは思えない心地の良い場所だった。

湧水は思っていたより水嵩も多かったし、寝床は開けた場所で一本だけ大きく聳え立った

大木の根っこの窪んだ部分で、とても寝心地も良かった。


周りにはやはり、こちらを見ている狐の姿があった。

人が滅多に入らない山だけに、動物は警戒心よりも物珍しさを持っているのだろうと思っていた。

距離もあったので、少年はそれを見ながら微笑んでいた。



少年が暫くボーっとしていると、スイは少年が持参していた小さな籠に魚を数匹持って帰って来た。

自分の為に捕まえて来てくれていたと分かった。


少年はお礼を言って、その場所で土を掘り、周りの石を集めて並べた。

その後は枝を集めて、その場に汲んで火を付けた。

スイの取った魚は、枝に刺してその全てを地面に刺して焼いた。


父親から教わっていた、否植え付けられていた野外での魚の食べ方だった。

実は少年は、自分自身でそれを行うのは初めてだった。

小鳥を埋めて祀るくらいの性格故、何時もは父の手慣れた手付きを見ているだけだった。


自分でやって見ると、意外にも上手く出来た事に嬉しかった。



何時もの様に、食べ終わると合掌をした。

スイは、そんな少年の行動を隣でずっと見ていた。


少年は食べ残った魚の残りの、頭と尻尾をスイに食べるかと聞くと、スイは少々恥ずかしそうに

「はい」

と言って手を出した。


前回の事があったので、スイは小さな口で小さな香ばしい音を立てながら謙虚に食べていた。


少年はなるべく見ないようにしていたが、視界に入るスイのその姿がとても愛くるしかった。




その後、二人はまた歩いた。

少年も昨日よりも山路に慣れて、身体も少し軽くなった気がした。


陽の位置から察して、凡そ正午になる頃だと自負していた。

スイが脚を止めた。

少年はそれが何処か、最初分からなかったが、やがてようやく気付いた。

そこは山の木々が生える、若干傾斜になっている部分のとても小さな穴だった。

スイの生まれた場所だと悟った。


少年はスイの手を握った。

その後その場所に向かって、深々とお辞儀をした。


両親は既に居ないとは察していたが、親戚や身寄りもいない事も実感して、とても辛くなった。

スイが元々は狐である事は分かっていたが、何となくの希望的観測で親戚或いは知人の一人でも

居てくれたらと思っていた。

スイはずっと一人だったと痛感した。



少年はお辞儀が終わると、スイを抱き締めた。


「連れて来てくれてありがとう。翠の産まれ故郷を見れて嬉しかった。」


そう言うと、スイも少年を優しく抱いた。





その後スイは、山を引き返すのかと思いきや、再び登って行った。

少年は何か別の物を見せたいのだろうと、黙って着いて行った。


山の路は更に険しくなり、流石の少年も辛かった。

スイはゆっくり少年を待ち、手を翳し、後ろから腰を押した。


途中途中で休憩し、その都度スイは何処かで食料を摂ってきてくれた。

疲れながらも、二人は常に笑顔で幸せな時間だった。




周りに居た狐の数は、相変わらず増えて行った。

始めは愛くるしく思えていた狐だったが、徐々に増えていく数の多さに

少年は若干の違和感を感じ始めた刹那に悟った。



「この狐達は、翠を迎えている。」



スイも、とうの前からそれに気付いて居ただろうし、それが必然なのだと理解した。



やがて再び陽が暮れて来た。

山のどの辺に居るのかも、さっぱり分からない少年だったが、陽が落ちるのは分かった。

今日の寝床も、良い場所だったら良いなと考えていた。

残りの酒もまだ少し残っていたので、スイと二人で過ごす未知の山での晩酌が楽しみだった。


スイは相変わらず、軽い身のこなしで先を歩いて居た。

寝床を探す様子も無く、ずっと歩いて居たので少年は


「翠はある目的地に向かっているのでは。」


そう思い始めた。




少年は大分疲れていた。

スイが見えなくなりそうだったので、持って来ていた提灯に火を灯した。

スイにそろそろ、休憩を頼むか考えていた。

辺りは暗くなり、周りに居た狐の姿も、もう分からなくなっていた。


スイは暗い先を、ずっと歩いていた。

見失う事は無かったが、距離が少しづつ遠くなっている気がした。


少年は自分が歩いているのか、歩いている夢を見ているのか、感覚が分からなくなっていた。

ただ何となく、木々の中に居て歩いている自分が、少しづつ異空間へと向かっている様な気がした。


それはきっと、自分が疲れていて身体の神経が麻痺しているのだと思った。



そんな時間が少し流れた後に、スイは立ち止まって居た。

少年はようやくスイに追いついた事と、今日の寝床に到着したのだと思って喜んだ。


少年がスイの横に並ぶと、スイは黙って立って居た。

何か路の先を見ているのが分かった。



その刹那、少年の眼にもそれがはっきりと分かった。

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