第17話 空梅雨の夏祭り(前編)

待ちに待った春は、駆け足で過ぎて行き、村は既に初夏を迎えていた。



今年の村の梅雨は、驚く程に短かった。

長い年月を土の中で蓄えて、ようやく木に登り孵化する蝉も、今年の夏は意外にも早く

調子を狂わせたかの如く、何時もとは大分早い段階で鳴き始めていた。



少年は相変わらず週の殆どは街で仕事をして、その残りの二日程度を実家で過ごした。

里で起きた仕事の話や、面白かった話、腹を立てた話をスイにするのが喜びでもあった。

何時もは黙って聞いて、相槌を打ちながらたまに笑みを浮かべるスイも、ここ最近は口を開けて

笑ってくれる様になっていた。


少年はその変化に喜びを感じながらも、それは心の奥に大切に閉まって置いた。

スイの対応の変化に喜んで、直ぐに口に出したら、きっとスイは恥ずかしさと申し訳無さで

また以前に戻る気がしていた。



その日も雨は降らず、気温の高い夜だった。



少年は寝床でスイに言った。


「今年の神社の夏祭りに行こう。来年も、再来年も二人で行こう。」


スイは


「はい。勿論です。」

と答えた。



少年はそのまま寝ようとしたが、言葉を付け加えた。


「私は翠と出逢ってから、とても幸せで、今も尚幸せが増えている。本当にありがとう。」

少し恥ずかしかった。


でも、気持ちを言葉に出して言えた自分に、少し満足していた。

返答の無いスイを、おかしいと思って見たら既に眠っていた。

冬の女神の凍った表情が、そこにはあった。






それから、夏祭りの日がやって来た。

雨が降らない分、土は乾き、虫たちの鳴き声も少々辛そうに感じる日だった。



少年は街での仕事が忙しくなり、当日の夕暮れに実家に戻った。

実家に入ると、スイは既に化粧も終えて、美しい姿で居間に正座していた。

出逢った頃から、何も変わらない美しい女性がそこには居た。


スイの着ていた浴衣は、少年が初めて見る濃い紅色に、淡い桜色の模様の入った物だった。

それもまた、スイに似合っていた。


見惚れていると、妹がドタドタ音を立てながら入って来た。

妹は、いつにも増して興奮した様子で、化粧を施し、見慣れない浴衣を着ていた。


「この浴衣も、化粧も、翠さんがやってくれたの。」

いつもテンションの高い妹が、その日は更にテンションが高いのが理解出来た。


少年は直ぐ様スイに


「悪かったね、妹の分まで。」

と言った。


スイはニコっと笑い


「いいえ。貴方も早く、支度して来てくださいな。」

と言った。


少年はスイにそう言われて、慌てて祖母の浴衣を探しに部屋へ戻った。

すると、昨年着た浴衣と帯は、綺麗に洗濯されて干され、祖母の気持ちを汲んだかの如く

美しく部屋の真ん中に畳まれていた。

その光景を見て、スイの優しさと感謝の気持ちの反面、昨年と同じ浴衣しか無かった事が恥ずかしかったが

来年はスイに内緒で里で浴衣を縫ってもらおうと密かに決めた。



今年の夏祭りは三人で向かった。

妹は神社で誰か、男と待ち合わせをしている様だった。


(なるほど)

この化粧と、スイから借りた着物で、少年は察した。


テンションの高い妹が、神社への山路を先に歩く姿を二人で追いながら少年は言った。


「妹も、君の浴衣と化粧で美しくなっている。兄ながら驚いたよ。本当にありがとう。

変な男に捕まらなければ良いが。」

最後に落ちを入れて笑った。


スイは笑いながら


「あの子ならきっと大丈夫ですよ。私の様に、良い男を捕まえます。」



スイが恥ずかしくなる様な褒め言葉を軽く交えて応えたものだから、少年は嬉しくなり、

神社に着く前から酒が飲みたくなった。


その後、スイの手を握り締め、先を行く妹を見ながら二人は神社へ向かった。


途中から神社の灯りが見え始め、少年も心が踊った。


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