第12話 祖母の位牌
翌日少年が目が覚ますと、隣にスイの姿は無かった。
(それもそうだろう)
寝起きで朦朧とする意識の中も、少年は刹那に思った。
陽の高さからして、正午前位だと自負した。
昨晩は、寝入った後に沢山の夢を見た。
思い出す事が面倒になる位の、多種多様な夢だった事は覚えていた。
起き上がると少年は外に出て、家の前の畑で農作業をしてる母の元へ行った。
外は綺麗な秋晴れで気温は少し高かったが、夏の終わりを告げる如く、涼しい風がたまに吹いては心地が良かった。
山の紅葉にはまだ早いも、それが少しづつ色付く季節の折を、少年は風の匂いや空気で予感していた。
昔から朝が弱かった少年を見て、母は何時もの様に、こんな時間迄寝ていた事に少し呆れていた。
その後、母が言った。
「とても良い娘だね。お前には勿体無い位だ。」
軽蔑を受けた後に褒められて、寝起きだった少年は少し躊躇したが、母がスイと会った事が理解出来た。
彼女は帰ったのか?
先ず、少年は母に聞いた。
「一刻も前に帰ったよ。お前は寝てたから、起こさないで帰るって。」
母が再び農作業を開始しながら応えた。
次に少年は、彼女と何を話したかを聞いた。
そんな少年の質問に、多少不思議そうにしていた母は、スイと交わした会話を思い出していた。
母は子供の婚約者の情報をまだ何も聞いていなかったものだから、スイの出身等を聞いた。
スイは多くを語らなかったが、遠い所の生まれでこの村には縁があって訪れていたと話したそうだった。
その後は少し、農作業を手伝って帰って行ったと話した。
少年はその後部屋に戻り、街に帰る準備をした。
スイの居ない部屋で、昨日の出来事が夢だったかの様な寂しさが込み上げていた。
布団を畳もうとすると、枕元に何か有る事に気付いた。
少年が初めて見る、小さな「紙の様」否、「葉の様」な不思議な物に
薄く滲んだ小さな文字で、微かに読める様な文字で記されていた。
「マタ、オトズレマス。」
少年は手紙を読んで、昨日の幸せが再び戻って来た。
母に次に戻る日を告げておけば、次回村に戻った時は、スイが居る予感もしていた。
スイからの手紙は、再び小さく折り畳み、大切に持っていようと思った。
帰る用意が整い、少年は日が暮れる前に街に戻りたかったので、夕刻前には村を出ようとしていた。
その前に、父と祖母にも結婚の報告をと、線香をあげる為に仏間に入った刹那だった。
昨日の夜中の音の正体が分かった。
祖母の位牌だけが、打ちつけられたかの如く床に落ち、縦に少しだけ亀裂が入っていた。
隣にあった父の位牌にぶつかって落ちたのが分かり易く、父の位牌も変な方向に向いていた。
少年はいきなり現実に引き戻されたかの如く、冷静になって遠い昔の記憶が蘇った。
小鳥の埋葬をした日の事だった。
そして少年は、心の奥底にあったスイへの違和感が大きくなるのを感じた。
否、今まで気にしていなかったスイへの疑問や謎が、小さな「点」になって溜まっていて
その「点」が今、初めて大きくなった事を自負した。
何となく、何となく分かり始めていたが、既に少年はスイを心から愛していた。
「点から点」を結んで行けば「線」と言う答えになって、目の前にある事も分かっていた。
しかし少年は、自分の心の中の「点と点」を結ぶ事に眼を伏せていた。
知ってしまったら、スイとの関係が終わってしまう予感がしていたからだった。
それ以上に、知った先にある途方も無い、出口も見えない世界へ踏み込む予知もしていた。
祖母の位牌を見て、あの時の言葉が今ようやく理解出来た気がした。
「過剰に動物を敬い過ぎると、人は災いを貰う。」
祖母の位牌は、自分への忠告だと悟った。
少年は、少し亀裂の入った祖母の位牌を仏壇に戻し、父親の位牌の向きを直して線香をあげて合掌した。
その後暫く動かなかった。
真っ直ぐ祖母の位牌を見つめていた。
少年はスイとの出逢いを回想していた。
スイは何処から来て、何処に帰って行くのか
スイと居ると必ず降る雨
スイの毎回美しい着物
スイの細く、冷たい手
スイの手紙
そんなスイへの疑問の「点」を今改めて「線」に繋げた。
スイは狐だと確信した。
そしてスイは、自分の事を遠い昔から知っていたような気もしていたが、そこは曖昧だった。
今分かっている事は、お互いが愛し合っていると言う真実であった。
仏壇の蝋燭の火が、少年の眼に反射していた。
その眼には、薄らとも強い、炎が灯っている様だった。
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