第8話 翠と幺

あれから十日程経った。

少年は再び村を訪れていた。


今回は仕事の道具を持って帰って来ていた。

その道具を担ぎ、神社へ向かっていた。


その日は本格的な境内の補修作業を行う予定だった。

こんな朝早くに、神社に行くのは初めてだった。


少年は家を出て、早いペースで歩き、あっという間に神社に到着した。

今回の足取りは軽く、息も大して切れなかったのが少し不思議だった。


何時もの拝殿横に出られる脇道から神社に上がった少年は、普段の仕事の眼をしていた。

先ずは拝殿を周り、その奥にある本殿へ行き建物の損害の確認をしていた。

今日、自分がやるべき仕事と、それにかけられる時間を計算していた。


そして拝殿の前に戻り、階段からふと下を見下ろした。



すると



幼い頃によく座って、字を書いたりお菓子を食べた大石に、あの女性がちょこんと座っていた。

その日は藍色のしっかりした色の付いた着物を着ていた。

くっきりとした目鼻立ちの女性は、淡い桜色も、濃い藍色も似合っていた。



少年はまさか、こんなに早いタイミングで逢えるとは思ってもいなかったので少し驚いた。

直ぐに道具を下ろし、階段を降りて女性の側まで行った。


「お早う御座います。こんなに早くお会いできるなんて。」

少年が言うと


女性はスッと立ち上がり

「お早う御座います。」



そう言った刹那、さっきまで晴れていた空から小雨程度の雨が落ちて来た。

気温はそこまで低くは無く、雨も心地良かった。


「あらっ、降って来ましたね。とりあえず、拝殿で雨宿りしましょう。」


少年は女性にそう言って、二人は階段を登り、拝殿の賽銭箱が置いてある下の辺りに腰を下ろした。

先日座っていた階段よりも、今回は更に高い位置から神社の参道を見下ろせた。

鳥居が小雨のせいか、霧のせいか、微かにしか見えなかったが、とても神秘的な光景に見えた。


少年は女性を横目で見ながら質問を考えていた。


(あまり根掘り葉掘り聞くのは失礼だな。)


そう思って、とりあえず


「お名前を聞いても良いですか?私は幺と申します。」

と聞いた。



女性は応えた。

「翠と申します。」



女性に似合った素敵な名前だと思った。

少年はそのまま誉めた。

女性は少し笑みを浮かべて、少年にお礼を言った。



雨は静かに優しく降り続けた。

靄が神社全体を覆い、2人しか居ない空間になっていた。


少年は素直に話し出した。

「自分でも不思議なもので。翠さんにお会いしてまだ二度目なのに、こんなに自分から積極的に話をしたり

誘ったり。それも何故か自然に出来てしまう。こんな感覚は初めてで嬉しいんです。」



スイは黙って聞いていた。



「今日のお仕事は何をされるのですか?」

スイが話題を変えて聞いて来た。



「今日は建物の戸を修理する予定です。」

少年が応えると


「私もお手伝いしましょうか?」

とスイが言った。


少年は驚いた。

まさか、そんな言葉がスイから出てくるとは思ってもいなかった。



「ありがとうございます。でも、お怪我などされたら大変ですから。」


社交辞令の如く、当たり障りの無い言葉が出てしまった自分に少し腹が立った。

なので少年は、スイが応える前に直ぐに切り出した。


「でも、翠さんが戸を押さえてくれたり、少しでも手を貸してくれたら助かります。」




スイは黙って、無表情でうなずいた。

その姿に少年は、スイの奥ゆかしさと、その奥にある覚悟を垣間見た刹那だった。

そしてその時に、自分でも分からない何かの「決断」が下っていた。




その決断とは、少年が初めて感じて触れた「恋心」だった。




「くれぐれも御怪我のない様に。」



少年はそう言い、スイと作業を始めた。

建物の戸は老朽化していて、腐っていたり握手が外れていた物もあった。

然程重い戸では無かったので、建て付けの修理は早くに終わった。

ただ、戸締りする部分の破損の修理にてこづった。

鍵の要素も兼ねている為、上手く閉まったと思っても鍵か掛からなかったり、

鍵は掛かっても建て付けが悪かったり。

古い建物故に、建物の歪みも酷かったので致し方無かったが、それを本業で生きている少年には

「適当に直す」と言う事は、プライドもあって出来なかった。


自分が納得出来るまで、戸を外しては調整し、再び取り付けての繰り返し。

スイはたまに手を貸しながら、少年の作業を側でジッと見つめていた。


ある程度の戸の修理も終えて、少年は時が経った事に気が付いた。


「少し休みましょう。」


少年はそう言って、先程の御賽銭の下に腰掛けた。

スイも隣に座った。


「翠さんお時間は大丈夫ですか?」


少年は気を遣って聞いた。


「もう少し大丈夫です。」


スイは答えたので、少年は家から持って来たお握りを1つ、スイに渡した。

スイは食べなかった。


何となく、食べない気がしていた。

少年はスイの横でお握りを食べ終えた。


「ご馳走様でした。」

1人で合掌した。



するとスイが珍しく聞いた。


「何故、手を合わせたのですか?」


少年は笑いながら応えた。

「いやぁ、習慣でね。」

更に付け加えて言った。

「人も動物も、生物を食べて生活しています。死んだ人を拝むのと一緒で、

さっきまで生きていた動物や野菜を捌いて食する。

なので、食する前と後には必ず感謝と謝罪を込めて合掌しています。」



「罪滅ぼしの様なものですか?」

スイが聞いた。


「そうですね。私は神社が好きだけど、神道も仏教もあまり分からなくて。

ただ、自然で生きる摂理の様に考えています。」


スイは黙って聞いていた。


その後少し仕事をした所で、スイは帰って行った。

霧雨のモヤの中へ消えて見えなくなるのはあっという間だった。


細い身体に黒髪と濃い藍色の着物がゆっくり遠ざかり、霧の中へ消えて行く姿は、言葉に表せない

「神秘と美」が存在していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る