第7話 桜色と夢現つ

それから半刻か、或いは四半時か。


少年はハッと気付き、自分が神社に居た事を思い出すのに少し時間がかかった。

周りの情景は、少年が寝入る前と何も変わっていなかった。



そして、少年が座っている階段から続く参道の先にある鳥居から人が歩いて来るのが見えた。

この神社の入口は何ヵ所か有り、村人や関係者は大抵、拝殿横に出られる脇道を利用していた。

少年も昔から普段はその脇道を利用していた。


鳥居から入って来る人は、大抵が参拝者か初めて来る人が多かった。



少年は、自分が寝てるのを見られなくて良かったと安心した。

しかし、まだ夢なのか現実なのか、脳が曖昧な状況にあった。

鳥居に居た人の姿は、こちらに向かって近づいて来る。

昼間の参拝者は子供の頃に経験していたし、驚く事もない故に少年はまだハッキリと目が覚めずにいた。

金縛りにあったと言う訳でも無いが、何故か少年はそのまま動きたく無いと思っていた。

心地の良いロケーションと懐かしさから来る、少年にしか分からない安心感が、恥ずかしさより

自然に身を任せる事を後押ししていた。



少年は再び、瞼を閉じた。



心地の良い曖昧な記憶の中で少年が次に瞼を開けた刹那、鳥居を潜った人は既に階段を上がろうとしていた。

少年はやはり、恥ずかしくなって再び寝たふりをした。

この時、既にしっかり目が覚めていた。



参拝者が階段を上がり終えて少年の横を通り過ぎた刹那、その姿を横目でチラリと確認した。

脚元しか確認出来なかったが、淡い桜色の着物を着た背丈のある女性だと分かった。


女性は拝殿を参拝しているが、少年は振り返って見る勇気は無かった。

むしろ、このまま寝たふりをして、女性に参拝を終えてさっさと帰ってほしいと思った。


女性が再び階段に向かって歩いて来たのが、小さな足音と気配で分かった。

間も無く少年を通り越して階段を降りる刹那、女性が小さな声で言葉を発した。

女性にしては少し低目の声だった気がした。


「こんにちは」


少年は少し驚いて、

少し間を空けて


「えっ? あっ!こんにちは。 いやぁ、ウトウトしてしまいました。お恥ずかしい。」

と半分嘘で、半分は隠し切れない真実を言った。



女性は、先程の挨拶の声より少し高い声で


「良いお天気ですね。」

と言った。


先程よりも、女性の声を優しく感じた気がした少年は、嬉しさと安心感を覚えた。



少年は素直に言った。

「かれこれ、この神社に十年ぶりに来ました。そしたら、懐かしさや安心感を覚えて眠くなってしまい。」


微かな、ほんのかすかに笑った様な声を出した、階段の上に立っている淡い桜色の着物の女性を

少年はその時、初めて上まで見上げた。


すると、そこには想像以上の美しい女性が立っていた。

長い黒髪、白い肌、そして、若干細く釣った眼をしていた。

その女性には大変失礼で、少年の手前勝手な意見だが、完璧なまでの美人では無かった事が

逆に少年を安心させた。


このシュチュエーションで、完璧過ぎる女性が目の前に居たら、これはきっと幻に違いない。

そしてその夢から覚めずに、連れて行かれてしまう。

少年はそう考えていた。

この村でも他の村でも、そう言った奇妙な話は沢山あって、祖母がその類いの話をするのが得意だった。

狐や狸に化かされた話やら、道に迷った話、お化けの話等は幼い頃から沢山聞かされていた。



勝手な想像が少年の脳裏を過り、勝手な安心感だけが残っていた。



その後、女性が話そうとするや否や、少年は話を続けた。


自分は街の生まれで、この村に移り住んで、現在は再び街に降りて仕事をしている事。

今回は台風で延期になった祭りの係りで、補修や準備をする為に帰って来た事。



初対面の若い女性にこんなに話をする事が自分でも不思議だったが、女性はずっと

それを聴いては頷き、時には軽い笑みも浮かべていた。

女性はとても静かで落ち着いていた。

細眼で少しだけ笑うその顔は、あまり普段は笑わない人なのだろうと想像させた。



少年は話が少し途切れて、我に帰った。

「あっ、ごめんなさい。引き留めて、ずっと立たせてしまった。」

と、慌てて自分も立ち上がった。



女性は

「いいえ、とても楽しかったです。」

と応えた。



少年は女性の言葉に覆い被さるかの如く、また言葉を発した。

「そんな訳で、今日からちょくちょく、この神社に来る事になりました。またお会い出来ますか?」



自分でも何故、そんな言葉を口に出したのかは分からなかった訳でも無いが

言い放った後に、顔面の温度が急上昇したのは確実に分かった。



間を空けずに女性は

「はい、私もまた参拝に訪れます。」


そう言って鳥居の先へ消えて行った。




少年は仕事柄、人馴れしていた。

恋愛経験も豊富とまでは行かずとも、普通の男性程度、否それ以上くらいの物を持っていた。

相手の表情や性格を瞬時に察し、自分の接し方を変える器用さは少年にとっては当たり前に身に付いていた

天性とでも言える物だった。

但し、何処かしら人が入り込めない、自分の世界観を持っている事や、先回りして気を遣い過ぎる性格が災いし

歳を取ると共に、恋愛は上手く行かなくなっていた。


しかし、今回は何故だか自分ばかりペラペラと喋ってしまった。

女性が見えなくなってからも、少年は暫くの間、階段の1番上の段に腰掛けて考えていた。

喋りすぎた反省ではなく、気が付いたら喋っていた自分が逆に面白かったし、興味深かった。

女性に悪い事をしたと言う、後ろめたさも無かった。


少年が腰を上げた頃は茅蜩が鳴きはじめ、秋風が木々の枝を頻繁に揺らしていた。



心地の良い、秋の始まりを告げるかの様な夕暮れだった。

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