第2話 岩魚の燻製

少年は神社が好きだった。

村では友達が少ない訳でもないし、虐められていた訳でも無い。

話す事も表現する事も、もはや得意だった。

ただ、皆の人気者になってチヤホヤされるよりも、何故か1人の時間を好んだ。


少年の村は、街から少し離れた山の麓にあった。

人口も村にすれば多い方で、街からの距離や立地の良さもあり、作物の質の良さも比例して村は活性化していた。

少年の父親は大の釣り好きで、生まれ育った街から母親の実家であるこの村に移り住んだのが、数年ほど前だった。

少年は物心付く前から村にはしばしば来ていたし、祖母が大好きだったので移った後も特に変化は無く育った。


何とも贅沢な父親だが、父親は釣った岩魚や山女魚を燻製にしては街に降りて売って、街の人に喜ばれていた。

器用なタチで、村人の祝言の時の髪結や、散髪でも好評だった。



少年は、そんな父親に連れられ釣りも経験したが、街育ち故かあまり好まなかった。

魚は嫌いでは無かったが、釣った後の魚の腑を取り出したり、塩付けにした後に燻製にする行為が

可哀想に思えた。

更に、父親が鼻歌を唄いながら調理する燻製のイブ臭さは、頭痛の原因だったので嫌った。


少年は自然が嫌いなわけではないし、魚も好んで食べた。

でも、汚れる事や生き物を自ら採る事は好まなかった。

そんな自己世界感の強い少年は、自然と神社を好んだ。


神社は村よりも少し上の方にあって、それ程大きくは無いが、村人がお祭りや祝言をあげるには充分の広さだった。

神主は普段は不在で、建物も古かったが、村人が役割分担して定期的に掃除や細かな修理をしていたので

神社としては申し分無い景観をしていた。



昼間は大抵、誰も居ない。

自然も感じながら、何より一人で過ごせる。

天気の良い昼下がりには、たまに参拝者も訪れる事もあったが、その神社は少年にとって格別な別荘だった。


幼い頃に、そんな空間を手にした少年は

1人で行っては拝殿を参拝し、その後は階段を降りて参道を右に逸れた大石に座り

お菓子を食べたり、字を書く練習をする習慣が備えついていた。

たまに退屈な時は、その辺に落ちている石を集めては積み上げ

それを狙って遠くから石を投げる遊び等もした。

大抵は大人しくしているのだが、石投げをしている時に限って神主や参拝者が訪れ怒られる事もあった。

理不尽さを感じていたが、やはりそれは自分が悪かった事も分かっていた。


小鳥を埋めた翌日も、少年は再び神社に行った。

その日は父親が作った岩魚の燻製を手に持っていた。

少年はいつもでは無いが、お供物を持って行く習慣があった。

祖母からの教えでもあった。


いつもの様に参拝し、お供物を置いて階段を降り、宝物庫脇の小鳥を埋めた場所で一度だけ、軽く会釈をした。

祖母から言われた言葉は完璧に理解は出来なかったが、死んだ人間を拝むような行為はしない方が良いと思った。




その後少年は、手水舎で手を濡らそうと参道の方に眼を向けると、その存在に気付いた。



鳥居から拝殿へ続く階段まで伸びる参道。

手水舎は丁度、参道の真ん中辺りにあって、そこから少し鳥居に近い場所に一匹の小狐が座っていた。

何か居る事は分かっていたが、狐がずっとこちらを見ている事に少し驚いた。


しかし、少年は直ぐに気付いた。


小狐に

「お供物の岩魚の燻製だね。もうお供終わったからお食べ。」


そう言って、再び拝殿に向かい階段を登った。

お供物の燻製を手に持つと、再び階段を降りてそのまま参道を真っ直ぐ歩き

小狐の側まで行った。


岩魚の燻製を、小狐が逃げないくらいの間合いに詰め寄り、そうっと置いて

その後少年は大石に戻り、何時もの様に字の練習をした。


小狐は警戒しているせいか、じっと少年を見つめていた。

少年もたまに様子を伺うが、警戒している小狐が愛らしくも見えて何故か見る度に微笑んだ。


夕暮れになって、茅蜩が鳴き始めた。

茅蜩の鳴き声は、暑かった夏の終わりを告げる合図の様な、何処となく寂しさを連想させた。

少年はそんな独特の、切ない気持ちになれる事が嬉しかった。



少年が帰ろうとすると、小狐の姿は消えていた。


(きっと自分が消えたら、また現れて燻製を食べるだろう。)


そう思った少年は、逆に自分が居た事が邪魔だったと気付き


「僕が邪魔だったんだね、ごめんね。」

狐の居ないその場所に、か細い声を放って神社を去った。

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