第6話 読めない本とコーヒー

「死んだって……。お前はここにいるじゃないか」


 自然とそんな言葉がリガルドの口からこぼれた。その後で、自分の発言のおかしさに心の中で笑う。


(俺は当たり前のことをクソ真面目に言ってるんだ?)


 ミコトはリガルドの言葉に目を見開いた。まるで、そんなこと考えたこともなかったというような顔をしている。


「そうか……。そうだよな。俺は生きてる……よな」


 当然のことを自分に言い聞かせるように呟いた。リガルドはそんなミコトの姿を見て痛々しく思う。


(生意気で威勢は良いが……まだまだ子供だ。誰の助けも得られない、辛い状況であることに変わりはない)

「他にも色々聞きたいことがある。ソファに座るといい。コーヒーでも入れよう」


 落ち着いた声でリガルドが言うとミコトはとげとげしい雰囲気を消して大人しく従う。

 リガルドは丸椅子から立ち上がるとソファのすぐ後ろにあるキッチンでケトルに水を入れ始めた。



「まずは武器をどこへ隠した。信頼していないわけではないが、武器を置いて話したい」

「武器?ああ、あれな。あれは俺のだからもうない」


 子供の屁理屈のような返答にリガルドは鼻で笑った。


「冗談はやめろ。俺は真剣に聞いてるんだ」

「冗談じゃねえ!本当だ!今の俺は何故かんだ。あの魔法使いに出会ってから……」


 リガルドはキッチンに背を向けて寄りかかると、腕組をしてミコトの言葉の意味を思考する。


「……申し訳ないが、俺はお前の言うことが何ひとつ理解できない」


 ミコトが怒るのを予測しながらも素直に思ったことを伝えると、リガルドの予想どおり。ミコトは声を荒げた。


「あー!もう!俺だって分かんねえよ!分かんねえけど聞けよ!そんでもって無理矢理納得しろ!」

「そんな無茶苦茶な」


 自棄やけになったミコトを見て、思わずリガルドは笑ってしまう。そこで久しぶりに自分が笑ったことに驚いた。


(俺もまだ笑えるんだな)


 そう思っているのも束の間、ミコトは掌を天井に向けると少しずつ拳銃がその手に現れ始めたのだ。リガルドは信じられない光景に思わず身構えた。

 拳銃は一瞬、姿を現しただけですぐに消えてしまう。ミコトが頭を押さえ、叫んだからだ。


「くっそー!痛ってええー!今日はもう出せねえみたいだ……」

「今のは……なんだ?」


 ミコトが苦しそうにしながらも声を張り上げて答えた。


「俺が拳銃を想像したから現実に現れたんだよ!……俺はこの能力を【スペースエレクトロニック技術】、【スペクト】が発展したもんだと考えてる」

「これのことか」


 リガルドは空中をノックすると空中に浮かび上がった映像を指さす。その光景にミコトが頭を押さえながら頷いた。

 

 スペクトとは空間電子伝達物質くうかんでんしでんたつぶっしつのことだ。バーチャル世界と現実を繋げることができる。より精密に言うなれば、体に流れる電気信号とバーチャル世界の信号を繋げているものの正体だ。

 こうして空間ディバイスを操作したり、ラグーンでアカウント基盤の生活ができるのはスペクトの働きによるものが大きい。


(【インターナルガン】を持っていてもおかしくないか。ミコトが想像できればいいんだからな)


 突然現れ、消える武器の真相に驚くと共に、リガルドはミコトの口から専門用語が飛び出したことの方が意外だった。


「この能力は夜、街を歩いていた時に魔法使いの女に攻撃を受けた後、発現した……」


 ミコトは頭を押さえながら、領域外に来るまでのことを話し始めた。リガルドはマグカップにお湯を注ぎながら静かに話を聞く。部屋中にインスタントのコーヒーの香りが充満した。

 話を聞いている間、リガルドは何度か顔をしかめた。学校をサボって夜の街を歩いていること。ダークショップに出入りしていることについて指摘したかったが話の骨を折ってしまうので黙って聞いていた。

 何よりも驚いていたのはミコトの想像力だ。瞬時に空飛ぶバイクの発想ができるところにリガルドは心の中で関心する。


「悪ガキそうなのに、意外と頭が回るんだな」

「あ?馬鹿にしてんのか!こう見えて勉強は好きなんだよ。自分が分からねえことは解明しないと気が済まないんだ」

「そうなのか。勉強が好きなのは良いことだ」


 ミコトがむくれる様子を微笑ましく思いながらリガルドはコーヒーの入ったマグカップを渡した。丸椅子に腰かけながらリガルドは呟く。


「そもそもどうして夜中に出歩いてたんだ。子供なのに」

「……家にいたくなかったからな。ついでに犬型機体の性能も調べてた。気になったことはとことん調べたくて。それに俺は言うほど子供じゃない」


 そう言いながら思いきりマグカップのコーヒーを口に入れた。その後で眉間に皺を寄せると、ソファにふんぞり返りながら叫ぶ。


「にっが!」

「子供じゃないか」


 リガルドのツッコミにミコトはそっぽを向く。そんなミコトを横目に、密かにリガルドはミコトを取り巻く生活環境に思いを馳せた。


(話に聞く限り両親との仲は最悪のようだな。子供を金、己の承認欲求を満たすために育てるとは……。今の時代、形式的な家族が多いとはいえ可哀想な子だ)


 ミコトの家族やラグーンでの生活のことを深ぼりするべきではないとリガルドは判断した。


「今からでも遅くない。原因がバーチャルウェアだと分かったんだ。ラグーンに戻って警備局にでも相談して解除してもらうんだな。俺の目で見破れはするが、解除はできそうにない」

「いや。俺は元の生活には戻らない。これから魔法使いについて調べることにした」

「……調べる?」


 話が予想外な方向に向かっていって、思わずリガルドの声が大きくなる。


「ああ。俺がどうしてこんな目に遭ってんのか……知りたいんだ。それに魔法使いの女を一発殴ってやりたいしな」


 その目は若者特有の情熱で燃え上がっていた。自分にはない、力強い生命力を感じてリガルドは思わず目を伏せる。


「それは……ラグーンの中央部に殴り込むってことか?」


 リガルドの問いかけにミコトは大きく頷いた。


「そういうこった。おそらく……この能力を開発したのはラグーンだ。この世の殆どの技術がラグーンが生みだしたものだからな。きっと中央部にヒントがあるはずなんだ」

「馬鹿なことはやめろ。ラグーンはこの世界の支配者だぞ!お前はただの子供。バーチャルウェアをけばお前のアカウントは復活するはずだ。そうすれば普通のハイスクールの生徒として元の生活に戻れる。それでいいだろう?」


 ミコトは首を左右に振って、リガルドの説得を受け流す。


「……俺の存在を消したラグーンと親の元に戻るわけねえだろ!それに今の俺はもうとっくにアカウント無しの『要注意人物』なんだからな」


 ミコトのギラギラとした目つきにリガルドは黙り込む。こういう目をした兵士を何人も見てきたからか、懐かしさとやるせなさで胸がきしんだ。


「俺は生きてるんだってことをこの世界に証明してやるんだ。この……【魔術師まじゅつし】の力を使ってな」


 ミコトは握りこぶしを作って怪しげな笑みを浮かべた。それまで真剣にミコトの話を聞いていたリガルドは脱力する。


(そうか……ミコトはそういうことを言いたくなる年頃か)


 リガルドは手元のマグカップを傾けながら自分のことを「魔術師」と評するミコトに生暖かい視線を向ける。


「な……何だよその寒い視線は!何もない所から自分の思い描いたものが出て来る。魔術師以外に当てはまるもんがあるか?」

「魔法使いではないんだな」

「おっさん、魔法使いと魔術師の違いも知らねえの?」


 ミコトが得意気に言葉を続ける。


「魔法使いは才能、魔術師は知識だ。だから俺は魔術師。そもそも俺をこんなにした魔法使いと同じになってたまるか」

「そうか……」


 マグカップの底に残ったコーヒーを飲み干す。口の中にほろ苦い味が広がっていくのを感じながら、リガルドは口を開いた。


「もうひとつ、聞いてもいいか。お前に一番聞きたかったことだ」

「なんだよ」


 急にかしこまったリガルドをミコトがどうかしたのかと、まじまじと見つめる。


「その本はどこで手に入れた」

「これは……俺の憧れの人から貰ったんだ」


 大事そうに文庫本に触れる。見覚えのある本とミコトの言う憧れの人。リガルドの頭の中で既に点と点が結びついていた。


「……アレクシス」

「はあ?なんだそれ。人の名前か?」

「憧れているのに名前を知らないのか?」


 ミコトはリガルドの指摘に不貞腐れる。


「教えてもらえなかったんだよ……。ふらっと現れちゃ、俺に勉強を教えてくれた不思議な人でさ。優しいけど、秘めた強さがあるような……格好いい大人って感じの人なんだよ。てか、俺の憧れの人とこの本。何の関係があるんだ?」


 リガルドははっきりとした口調で答えた。


「この本の作者で……俺の親友だよ。茶色の髪の毛に丸縁眼鏡。第一印象は温厚そうな男」

「……!」


 ミコトの目からギラギラとした殺意が消え、希望に満ちた柔らかな光に変わる。


「あの人を知ってるのか?なあ、今どこにいるんだ?あの人なら、絶対俺に協力してくれる!」


 問い詰められて、リガルドは一瞬答えるのに躊躇った。絶望的な状況の少年を地に叩きつけるようなことはしたくない。だから少しだけ嘘を吐いた。


「ラグーンで暮らしているのは知っていた。……何年か前に音信不通になったままだ」


 リガルドはあの本を受け取った際、添付されていた手書きのメモを思い出す。リガルドは何もかも失った少年の希望を消してはならないと思った。


『君がこの本を受け取った頃、今までの僕はもういないだろう……』



「……そうか。でも生きているならまた会えるはずだ。アレクシスさんに!」


 ミコトは一瞬だけ曇った顔を見せたが、目の輝きは消えなかった。どういう経緯があったのかアレクシスはミコトと頻繁に顔を合わせていたようだ。子供好きで穏やかなアレクシスらしいが、見ず知らずの子供にここまで肩入れするのが気になった。


「あの本が一体何を意味しているのか。俺にはずっと分からないんだよ」


 リガルドは静かにソファの横にある本棚からミコトと同じ。薄紫色の文庫本を取り出した。

 それを見てミコトは声を上げる。


「おっさんもアレクシスさんの本を?」

「ああ。配達用ドローンで送られてきたんだ。というかおっさんはやめてくれ。俺もアレクシスと同い年だぞ」

「……じゃあ、リガルド」


 リガルドは本を片手に天井を見上げた。久しぶりに感じる若者の無遠慮さに耐える。


(若い時は呼び名なんてどうでもいいと思ってたけどな。いざおっさんと呼ばれると案外心にくるもんだ。挙句に呼び捨てときた……)

「……あの本は本とは言い難い。ただ訳の分からない単語がずらずらと並んでるだけだ」

「俺も解読できなかった。恐らく暗号なんだ。しかもあの本だけじゃ解読できないだろうってブルー……俺のクラスメイトも言ってたな」


 ミコトの見解にリガルドは感心する。


「なるほどな。いい読みじゃないか」

「でも最後のページの言葉だけは……しっかり分かる」


 ミコトは丸まった文庫本を慣れた手つきで開いた。


「『古きものと新しきものが出会う時。この本に新たな世界が生まれるだろう。その世界を目の当たりにした君は、世界を変える力を持っている。最後にこれだけは書き記しておきたい。今君が、ここに生きている。それ以上に奇跡的で……喜ばしいことはないのだ』」


 音読しているのはミコトなのに、途中アレクシスが語っているように思えてリガルドは目を擦る。目の前にいるのは間違いなく生意気な口を聞く子供、ミコトだ。

 遺書のような、誰かに何かを託したような文章。数百ページに渡る、訳の分からない文字の羅列は、リガルドの壮大な遺書なのだろうか。リガルドにはそれ以上の意味があるように思えてならないが、今日までずっと文庫本のことすら思い出さずにいた。

 なるべく過去とは決別したいというのがリガルドの本心だった。アレクシスのこと。妻と子のことも……。


(忘れ去りたいことばかりの人生だ)


 気持ちが沈みかけた時、ミコトのはっきりとした声でリガルドは我に返る。


「俺はずっと……この殆ど読めない本だけが支えだった」 


 その一言で、リガルドはミコトの底知れぬ孤独を感じ取った。





 


 



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