領域外:南東部 セイフティーゾーン リガルド

第5話 サイボーグの残党兵

「近いな……」


 自然に飲み込まれかけた街を駆け抜けるのは、ひとつの大きな人影。

 顔を上げ、サイレン音に耳を澄ませていたのは壮年そうねんの男だった。

 がっしりとした体格。鍛え上げられた肉体と鋭い目つき。動物に例えるならクマのようだが緑色の瞳からは思慮深さを感じさせた。さっぱりとした金色こんじきの短髪が良く似合う。


 名はリガルド。年齢は47歳。目を引くのは、白いシャツから垣間見える右腕が黒い金属に代替えされていることだろう。

 リガルドはサイボーグの元兵士だった。カーキ色のズボンとブーツで見えないが、両足も機械化されている。そのため銃を担ぎながらでも、人とは思えないスピードで森を駆けることができた。


 右手を空間で2回ほどドアをノックするような素振りをすると、リガルドの目の前に画面が浮かび上がる。周辺地図が現れ、サイレンが鳴っている辺りを確認する。

 地図を表示させながらも周辺の警戒を怠らない。戦争が終わって22年が経ってもリガルドの動きが鈍ることはなかった。

 このサイレンはリガルドが暴化動物の排除のために取りつけたセンサーが反応した音だった。

 リガルドの生活範囲には暴化動物、【無差別攻撃機体】を感知するためのセンサーが所々に張り巡らされている。


(あまり大きくない奴がいいけどな)


 反応があった辺りの茂みに身を潜める。兵士時代の記憶が蘇りそうになって静かに奥底へと追いやった。

 獣の匂いと低い唸り声。目の前の光景にリガルドは息が止まりそうになる。


(サイボーグ化していない人間!どうしてこんな所に……)


 暴化動物と対峙していたのは、人だった。しかも領域外では見かけることのない、サイボーグ化していない人間だ。貧弱な体格のくたびれた成人男性である。暴化動物を前にするとより一層男性が弱々しい存在に見えた。

 リガルドは目を細めて、その人物の異変に気が付く。


(あの、もしかして……【バーチャル・ウェア】をまとっているのか?)


 長年の兵士の勘が働く。リガルドは瞳を閉じてこめかみ辺りを指で長く押した。再び目を開けると、成人男性が頭上から徐々に黒髪の少年の姿に変わっていく。

 バーチャル・ウェアとは、人体にバーチャル映像を纏うテクノロジーのことだ。戦場で使用されて以降、敵味方の判別がつかず混乱に陥れるとして使用を禁じられたはずだった。

 リガルドは戦地を思い出して眉間に皺を寄せる。頭の中に思い浮かぶのは、バーチャル・ウェアを纏って兵士を装っていた子供だ。リガルドは苦い表情を浮かべながら、少年の小さな背を眺めた。


「子供がなぜ領域外に?」


 リガルドは息を吸い、長く息を吐く。これはリガルドが兵士時代からの癖で、冷静さを取り戻すための儀式でもあった。こうやってリガルドは受け入れがたい現実を何度も受け入れてきたのだ。


(ここからでは撃てない。あの子が危険だ。それよりも……動物との距離が近すぎる!)


 何もできない自分が不甲斐なくて、リガルドは唇を噛み締めた。


(あの子が動いていないことだけが救いだな。だけど……駄目だ。もうすぐ襲い掛かって来る!)


 暴化動物の殆どは人間の味を知っている。そもそも生き物を本能的に襲うように脳内に埋め込まれたチップにプログラムされているはずだ。少年に襲い掛かるのも時間の問題だった。


(一か八か……やるしかないか)


 静かに弾倉と安全装置を確認するとリガルドは腰を低くしながら少年を側面から見ることのできる位置に移動する。


(頼む。頼むからその子を襲うなよ……)


 そんな祈りも虚しく。動物が一声、咆哮すると同時に地面が揺れた。リガルドの顔が敵兵を狙う兵士へと豹変ひょうへんする。


(くそっ……!)


 狙撃ポイントに移動する前にリガルドは茂みから体を出すことになった。

 少年の命が奪われる……と思われた瞬間。リガルドは不可思議な光景を目にしたのだ。


 何もない空間から少年の手に現れたのは……銃だった。

 まるで魔法だ。


「馬鹿な……!どうしてあの銃を一般人が持ってる?」


 更にリガルドを驚かせたのは少年の手に突然現れた珍しい銃だ。自分が持つものと同じ、【インターナルガン】だった。

 特殊な電磁波を飛ばし、身体の内部、臓器や骨を破壊する銃で、外傷させずに相手を制圧できる。血や体液が飛び散ることを防ぎ衛生面を考慮した武器だ。兵士への精神的負担も減ると言われ、一時期大量に出回っていた。


(その銃はもう製造されていないはずだ!)


 少年がインターナルガンを撃った瞬間。世界から音が消えた。

 この感覚をリガルドは知っている。兵士だった頃、幾度となく体験してきたあの感覚。


仕留しとめた)


 それは命が終わる音だった。一瞬だけ世界が止まる、そんな感じがするのだ。

 リガルドが確信すると共に暴化動物の胸辺りがボコッとへこむ。同時に空気を震わせるような低い断末魔が響き渡り、暴化動物の牙の間から赤黒い血が流れた。

 ズシン、という地響きと共にそのまま暴化動物は地面に倒れた。その振動がしっかりとリガルドの足元に伝わっくる。

 銃を構えたまま呆然と立ちすくむリガルドを、少年が振り返る。

 少年と目が合った……と思った瞬間にその場に崩れ落ちてしまう。


「おいっ!」


 リガルドは少年に駆け寄ると、空間をノックしてアプリを呼び出す。少年の心拍数を確認した。


「気を失っているだけか」


 少年の無事に安堵するとともに、自分の頭を抱えた。


(このまま領域外に放置……しておくわけにもいかないよな。死骸に他の暴化動物が寄って来るだろうし)


 リガルドは少年の側に落ちていたものに気が付く。


(なんだ……これは)


 それは丸まった文庫本だ。見覚えのある背表紙につい手を伸ばす。『生者せいじゃ存在証明そんざいしょうめい』という小難しい題名が目に入った瞬間、呼吸が止まるかと思った。


「アレクシス……?」


 懐かしい名前を口に出すとともに、少年の方を見る。


(全く……今日は驚くような事ばかり起こるな)


 リガルドは大きなため息を吐くと、少年が背負っていたリュックサックを取り外し、自身の腹側に引っ掛けた。そのリュックサックと自分の腹の間に銃を挟んで固定する。

 最後に少年を背負うと、もと来た道を猛スピードで走り始めた。時折、ウィンウィンというような足を動かす機械音が耳に入って来る。

 背中に温かい重みを感じながら、リガルドは不思議な気持ちになった。


(人間の子供ってこんな感じだったか……) 


 リガルドの頭の中に若い女性と幼い子供の映像が浮かび、そしてすぐに掻き消される。

 かつて自分の腕の中にあったはずの重みを感じて、喜びとも悲しみとも言えない気持ちがリガルドの心に打ち寄せられては引いていった。

 森を走ること数十分。リガルドが生活するログハウスの家が現れた。

 リガルドは少年を背負ったまま家に入ると、ソファに下ろしながら改めて少年を見下ろす。

 パーカーにデニム、スニーカー……とても領域外で生き残ることができるような恰好とは思えない。古びたどこかの軍用リュックサックも急いで準備したもののように思える。


(もしかして……ラグーンから抜け出してきたのか?あの人類の最高到達地点と言われるあの都市から?)


 リガルドにはもうひとつ気になっていたことがある。それは何度探しても出て来ないインターナルガンだ。あれだけ大きな銃を隠し持つことなどできないはずなのにどこかに消え失せてしまった。


(ラグーンからサイボーグ残党兵を始末しに来たのか部隊だと思ったが……そうは見えないな)


 リガルドは部屋の隅に置いていた丸椅子を取って来るとソファから少し離れた場所に置いて腰かける。


(かと言ってただの子供でもあるまい。あの高精度のバーチャルウェアに生産禁止になったインターナルガンを所持していたんだ。注意するに越したことは無い)

「アレクシス。お前、まだ俺に何か言いたいことでもあるのか」


 少年が手にしていた文庫本に触れた。


「うっ……。いたたたた……」


 少年が自分の頭を押さえながら上体を起こす。


「あ?ここどこだ?」


 家の中を見渡して、首を傾げた。椅子に座って、文庫本を開いていたリカルドと目が合うと、その黒い大きな瞳が吊り上がる。


「俺の本……!返せっ!」


 さっきまで死んだように眠っていたというのに、リガルドに飛び掛かって来た。


(こいつ、元気だな。これが若さってものなのか……)


 リガルドは反射的に本を頭上にあげる。そうしながら思った以上に月日が流れていることに気が付く。少年は何もない空間に手を伸ばしているような格好になった。


「急に動くな。体調が悪いんだろう」


 少年はリガルドに致命的なところ指摘されて口をへの字にする。頭を振ると更にリガルドに食い掛かって来た。


「うるせー!そんなの知るか!とにかく返せ!」

(良く吠える。しつけのなってない犬みたいな奴だな……)


 リガルドが少年に抱いた印象はそんなものだった。


「お前。この本の内容を理解しているのか?」


 少年の目線まで本を下ろすと、少年はリガルドから本をひったくるようにして奪い取った。


「あ?おっさんこそ。なんでこの本のことを良く知ってるみたいな口ぶりなんだよ!」


 敵対心に溢れる少年の姿にリガルドはため息を吐いた。久しぶりに若者の相手をしたせいで話す前から疲れを感じてしまう自分自身に呆れる。


「お前はどこから来た何者だ?家出の場所を領域外に選ぶなんて死にたいのか?」


 本を大事そうに抱えた少年がふんっと鼻を鳴らした。


「自己紹介は聞いて来た奴から先にするのが礼儀だろ」


 大人の余裕を見せていたリガルドも生意気な少年の言葉にカチンとくる……が声を荒げることはなかった。できるだけ穏便に事を済ませたい。


「悪かった。俺はリガルド。ほら、自己紹介したんだから。お前も名乗れ」

「……ミコト。ラグーンの居住区Bに住んでた。ハイスクールの生徒だ。ほとんどサボってたけどって……おっさん!」


 ミコトは興奮したようにリガルドと目を合わせる。黒い瞳が間近に迫ってリガルドは思わず身を引いた。


「俺のこと、に見えてんのか?」

「あ……ああ。かなり高性能なバーチャルウェアを纏っていたようだけどな。俺の目はそういうのが分かるように改造されてるんだ」

「バーチャルウェア……?なんだそれ」


 首を傾げるミコトにリガルドは呆れた。


「お前、知らずに纏ってたのか?……馬鹿だな」

「馬鹿じゃねえ!知らずに纏わされたんだよ!【魔法使い】に!」

 躍起になるミコトを横目に、今度はリガルドが首を傾げる。

「魔法使い?」


 ミコトのような生意気な子供からそんなファンタジーな単語を聞くとは思わなくて、リガルドは目をまたたかせた。


「俺は……ラグーンで死んだんだ」


 冗談ではない。ミコトは真剣だ。悔しそうで、やるせないミコトの表情がリガルドの胸を締め付けた。




 


 

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