第4話 存在理由

 領域外へは乗り物で2時間飛ばせば辿り着くことができる。ミコトが住んでいる居住区B:南東エリアが幸運にも【領域外】に一番近い位置にあった。


「子供の頃、ラグーンの外に出るなんて馬鹿だろうって思ってたけど……まさかその馬鹿に俺がなるとはな」


 ミコトは気持ちの良い風を感じながら突如現れたバイクを運転しながら鼻で笑った。


「問題は【ゲート】だよな」


 子供の頃、一度だけ見たことのあるラグーンの果て。ミコトの住む世界の果てでもある。壮大な光景が広がっているかと思いきや、ただフェンスが立ち並んでいるだけだった。

 改めて自分が狭い世界に閉じ込められているのを自覚する。

 本当に恐ろしいのはフェンスを取り巻いて流れる高圧電流だ。更にあの電流、乗り越えようとした者に対して電磁波を飛ばすのである。

 ミコトはその威力を動画で見たことがあった。空を飛ぶ器具を装着して飛び越え、ラグーンに侵入しようとした不届き者……実験用のロボットが乗せられていたが、フェンスの先から電気の塊が飛び出し撃ち落とすのを。

 実験用ロボットは飛行装置と共に無残な姿になっていた。


『無差別攻撃機体も暴化動物がラグーンに侵入することはありません!このようにラグーンで生活すれば平和で安全な日常を送ることができます!』


 動画の後に流れた明るい女性のアナウンスが、ラグーンの外に出ようとするミコトにとっては恐怖だった。

 フェンスが立ち並ぶ中、一際目を引くのは30メートルの高さはある赤い門だ。

 二本の支柱を立たせ、更にその上に横にした二本支柱が組み合わさっている……。かつて存在した国の文化からデザインされたものだ。

 その赤い門がラグーンと領域外の狭間にいくつか存在しているらしい。安全に出入りできるのは、そのゲートの検閲を抜けることだけだ。


(そもそも俺は警備局に追われてんだ。検閲なんて受けたら一発アウト……)


 ミコトはバイクを走らせながら考える。そうこうしているうちに赤い門が見え始めた。


『逃走中のアカウント未承認者を発見。確保せよ』

『確保せよ』


 どこかで待ち伏せていたのか。背後と正面の赤いゲートから犬型機体や無人車両が現れる。


「ここまでやけに快適だなと思ったら……。ここで俺を捕まえるつもりだったのか!」


 ミコトは背後と正面を交互に眺めながら舌打ちした。このまま警備局のロボット達に突っ込むか、高圧電流が流れるフェンスに突っ込むか……。どちらにハンドルを切っても命がある気がしない。


「くそっ。どうする?どうすればいい……」


 ミコトは天を仰いだ。鳥が羽ばたいていくの見て、思う。


(飛べたらいいよな)


 その鳥が、赤いゲートの上を通り過ぎて行くのを見て、ミコトはひらめいた。


(……あのゲートの上は電流の砲撃がないのか!)


 ミコトはさっきのように頭の中に設計図を広げる。


(このバイクにドローンみてえなでっかいプロペラを四カ所に付けて……動力はこれくらいにして……)


 暫くして、聞き馴れないバラバラバラというプロペラの音が足元から聞こえた。

 ミコトはその音を聞いてほくそ笑んだ。


(思った通り。どういう仕組みかは知らねえがする!これなら行ける……!)


 気が付けば後ろから車両型と犬型の機体が迫っていた。正面には検閲専門の人の姿をしたAIロボットと、非常事態の時に出動する大型の犬型機体も見える。

 ミコトは今までに感じたことのない高揚感を感じた。最後にこんな気持ちになったのはいつだったか。ミコトの黒い瞳に光が差し込む。


「飛べ!」


 ミコトの声と共にバイクが浮上する。

 自分の体重が消え失せる感覚を感じながらハンドルをしっかりと握りしめた。どんどんバイクは上昇していき、遂にゲートの高さに達する。

 ミコトは呆気にとられている……かは分からないが何も成す術なく空を見上げている警備局のロボット達を見下ろして笑った。


「ざまあみろ!」


 聞こえていないだろう捨て台詞を吐いてミコトは領域外へ抜け出した。


「これからどーすっかな……」


 ゲートを飛び越えたミコトは自然が鬱蒼と茂る領域外でため息を吐いた。道路もコンクリートが剥がれ、ミコトの体が大きく揺れる。


(ずっと飛んでんのも目立つしな……。探索用のドローンでも飛ばされたら終わりだ)


 空飛ぶバイクを通常の電動バイクに戻すと、ミコトは壊れた道を走った。所々に建物の残骸が見られるが、雨風を凌げるような場所はなさそうだ。

 ミコトは明るさが失われていく空を見て、焦った。


(どこか廃墟でも見つけられればいいんだけど。一か八か。領域外のネットワークにアクセスしてみるか)


 ミコトはバイクを停止させると空中に手にかざし、右に払う仕草をする。少し時間が空いた後でラグーンのものとは異なったバーチャル画面が浮かび上がって来た。


(バージョンが古いけど……このフリーネットワークならなんとか使えそうだ)


 ミコトは地図アプリに触れる。


(へえ……誰が更新してるか知らねえが、地図が更新されてる。おまけに『汚染エリアマップ』なんてあんのか。助かる)


 ミコトは地図を常に視線の先に表示させるよう設定するとバイクに跨った。


「とりあえず、汚染の少ない【セーフティーゾーン】に向かうか」


 ミコトは比較的近いセイフティーゾーンを目指して移動を始める。


「……つーか、何だ。物凄く……眠い」


 ミコトが大あくびをしたすぐ後、耳が裂けそうなサイレンが鳴り響いた。


「うわっ。な……なんだ?」


 同時に跨っていたバイクが消え、ミコトはその場に尻もちをついてしまう。


「いでっ!」

(もしかして、想像したものを現実世界に留めておくのに限界があるのか?)


 ミコトはサイレンの音に耐えながらその場にしゃがみ込む。心なしか頭がずしんと重たい。


(これが能力の副作用か?)

「どーすっかな……一応この辺りも大丈夫なエリアではあるけど。さすがに野宿はな……」


 背後で草が揺れる音を聞いた。サイレン音の甲高い音とは対照的な、地を震わせるような低いうなり声が耳に入って来るとミコトは本能的に危険を察知した。

 素早く立ち上がると声のする方に視線を巡らせる。


(あれは……!)


 ミコトは未知との遭遇に目を見開いた。

 目の前にいたのは……巨大な動物のクマだ。ミコトの身長の二倍はある。クマと言ってもその全体像は不自然だった。犬か、虎か……他の動物が混ざっているようで毛皮もまだら。長い尻尾が動くのが見えた。

 これがクマかと言われると首を傾げてしまう。正体不明の生物がミコトの前に現れたのだ。


「まさか。これが、暴化動物ぼうかどうぶつか?」


 ミコトは背中に冷や汗を掻く。

 暴化動物は過酷な環境悪化にも耐えられるように人間が手を加え、強化された動物のことだ。20年前、戦争がはじまるとこの遺伝子的に強化した動物を凶暴化させ戦争の兵器としても使用したという。

 ラグーンでは見ることのできない生き物だ。まさか自分達が生活する周辺にこんな生き物がいるとは。ラグーンのゲートと高圧電流、電流弾の威力の高さが大袈裟ではなかったことを知る。あれぐらいの武器がなければこの生物とは対等に戦えないだろう。

 犬ともクマとも似つかない咆哮ほうこうを上げるとミコトにその血走った目を向けた。鋭い牙の間からよだれが流れる。


「これは……まずいな」


 バイクも消え失せ、武器になるようなものはひとつもない。


「くそっ!これまでかよ。せっかくラグーンを抜けて来たってのに」


 長時間バイクを出現させていたせいか、ミコトはどっと疲れを感じていた。思うように働かない自分の頭に焦りと苛立ちを感じる。頭の疲れは体にも直結し、走る気力さえ湧いてこない。


「はは……。社会にも親だと思ってた人間にも存在を消されて……挙句、動物に食い殺されるとか。俺の人生マジ最悪」


 そんな風に愚痴って強がってみるものの、恐怖を拭い去ることができない。本当に恐ろしい目に遭うと、人は動けなくなる。時間が止められたような感覚に陥るのだと悟った。ミコトはポケットに手を突っ込んで、あるものに触れる。

 それは、ミコトの憧れの人物。名も知らない男から貰った文庫本だ。その瞬間、ミコトの頭の中に男性の顔が思い浮かぶ。柔らかい茶色の髪に丸縁眼鏡の奥に映る温かな光を灯した瞳。すっとした鼻立ちに理知的な雰囲気が漂う。彼の右腕には古めかしい、アンティークの時計がきらりと光っていた。


『他の誰かのためじゃない。君は、君のために生きろ』


 そう言って手渡された『生者せいじゃの生存証明』というこの文庫本。


「ああ、そうだ。俺は……俺のために生きるんだ」


 咆哮を上げる暴化動物を前に、ミコトは頭を押さえながらよろよろと立ち上がった。



 


 


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