第3話 魔術師の誕生

 ラグーンは不思議な構造をしていた。

 街中に張り巡らされたバーチャル空間の基盤であり、ラグーンの頭脳とも呼ばれる白い巨大な塔。【灯台とうだい】を中心にラグーンという都市は成り立っている。

 その名の通り見た目は灯台に似ているのだが、規格外な大きさだ。高さは数千メートルはあるだろうと思われ、横幅も140メートル近くある。ラグーンのどの区域にいたとしても灯台を目にすることができた。

 ミコトの通う学校において灯台は『人類の生活を支えるラグーンにおいて重要な施設』とだけ説明され詳しいことはよく分からない。


(多分、ラグーンの超巨大サーバーみてえなもんだろ)


 そんな風にミコトは考えていた。その灯台に【ガラスの子宮】も搭載されている。

 【灯台】のすぐ下。円状に広がるエリアが【居住区A】だ。ラグーンの社会システムを支える技術者、富裕層がこのエリアで生活している。

 居住区AとBはパーテーションで区切られ、居住区Aの外縁部にミコトが生活する【居住区B】が存在する。

 それぞれのエリアへの出入りは厳しく制限されていたのでミコトは居住区Aが実際、どんな場所なのかは知らない。SNSやインターネットの記事から贅沢で先進的な生活を垣間見るだけだ。


(まあ、金持ち、権力者の集まりってところかね)


 居住区Bの住民たちは居住区Aに住む人達に憧れと尊敬の念を抱いていた。革新的で快適な生活を送れているのは居住区Aに住む人々のお陰だからだ。

 優れた知能、技術さえあれば居住区Bに住んでいる者も居住区Aに移り住むことができる。そのため居住区Bの子供達は居住区Aに住むために勉強していたりもする。実際、ミコトの周りにそういう生徒がちらほらと見受けられた。

 一方ラグーンの外は【領域外りょういきがい】と呼ばれ、人間の生存には適していないエリアだと言われている。

 元から進んでいた環境汚染に加え、全世界を巻き込んだ大戦による化学兵器による汚染がある。今現在も【無差別攻撃機体むさべつこうげききたい】や改良され、凶悪化した動物【暴化動物ぼうかどうぶつ】が徘徊はいかいしているという。おまけにラグーンのように法整備、人の統治が成されていなかった。

 ラグーンに入ることが叶わなかったサイボーグの残党兵が眼光を光らせているというから恐ろしい。まさに法の手が行き届かない無法地帯が領域外という場所だった。

 領域外に出て一時間命があればいい方だと言われるほどに危険な場所なのだとミコトは小さい頃から耳にして育ってきた。


(今思いつく逃げ場所はそこしかねえな……。中には汚染されていないエリアもあるはずなんだ。残党兵だが、人もいるわけだし)


 ミコトはそのエリアを探し出し、食料や水を確保するつもりでいた。大戦時の食糧庫も残されているかもしれないという淡い期待を抱く。


(とにかく少しでも勝算のある方に動くしかねえよな……)


 思考していたせいか。ミコトのお腹が鳴った。お腹に手を当ててミコトは項垂うなだれる。


(まずは領域外に出るために色々と準備するか……)



 食べ物も水もアカウントが無ければ店で購入できない。そもそもラグーンに現金などない。金銭の授受は全てインターネット上で完結する。


(もしかしたらあの場所にあるかもしれねえ)


 ミコトがやって来たのは物々交換が行われる【ダークショップ】だ。金がない人がその日暮らしのために、あるいはおおやけに購入することのできない代物しろものを求める人のためにこういったダークショップがあちこちに点在する。

 夜な夜なラグーンの街を歩き回っていたミコトはこういった怪しい場所の存在を知っていた。


(まさか俺の夜散歩がこんなところで役立つとはな)


 ミコトは大きく深呼吸すると、人かた見放されたような古びたビルに足を踏み入れる。

 アカウント認証を必要としない建物がこんなに安心するとは思わなかった。開け放たれたドアからおこうのような濃厚な匂いがミコトの鼻を通り過ぎていく。


「いらっしゃい。見かけない顔だね」


 口元と鼻につけたピアスが印象的な男がミコトを出迎えた。細い目に裂けた口が蛇のような男だとミコトは思った。今時珍しい紙煙草を口にしており、キツイ香りに思わずミコトはむせてしまう。


「それで?何が欲しい?」

「……水。それと食料だな」


 ミコトはめられないように強気な口調で続ける。


「そんなもんでいいの?薬とか、煙草じゃなくて?まあ、あるにはあるけど。それで?それに見合う価値あるもんは何?」


 蛇男が楽しそうに目を細めた。今にも細い舌がピロピロと出て来そうな雰囲気である。


(俺が今持ってるもんで金になりそうなもんは……)


 ミコトはポケットに丸めた文庫本に触れる。……がすぐに手を離すと、自分の左腕から何かを取り外した。


「この腕時計だ」


 時間はバーチャル世界と融合したラグーンにいれば、手をかざせば浮かび上がった映像から知ることができる。

 この時代になっても時計が存在しているのはファッションのためであり、かつてあった「人間らしさ」を面白がっているせいでもある。紙の本がアンティークとして扱われているのも同じ理由だ。


「ほおー。中々良い品じゃないか」


 蛇男が目を輝かせながらミコトの時計を眺める。ミコトは時計から視線を外した。


(ホントは手放したくなかったけどな……。あの人を真似て奮発して買った時計なのに!)


 ミコトはポケットに手を突っ込んで丸まった文庫本に触れる。


(でも……今の俺にとってはこっちの方が大切だ)

「少し待ってな」


 蛇男は部屋の奥に消えると、どこかの国の軍用と思われるリュックサックを持ってにこやかに言った。


「どうぞ。領域外から仕入れたものだよ。中に携帯食と飲み物が入ってる」


 ミコトは男の言葉を聞きながらリュックサックの中身を確認する。携帯食の賞味期限がそろそろ切れそうなのを確認してため息を吐いた。


(まあ……贅沢は言えねえよな。あるだけましってもんだ)

「どうも」

「夜逃げかい?仕事で何かあったとか?それとも……社会に疲れた?」

「……」


 蛇男の舐めるような視線に、ミコトは自然と嫌悪の表情を浮かべる。恐らくミコトがどんな素性の人間か探ろうとしているのだろう。蛇男の的外れな発言に眉を顰める。


(それにしても夜逃げなんて……。俺はハイスクールの生徒だ。どっちかというと家出だろう)

「まあいいや。ここには素性を明かせない。死んだような奴がいっぱい来るからね」


 蛇男の言葉にミコトは鼻で笑った。


「俺は本当に死んでんだよ」

「ふーん。面白いこと言うね」


 蛇男は釈然としない返事をする。ミコトの発言の真意など、どうでもいいのだろう。ミコトは黙ってリュックサックを背負うと、領域外の方角に目を向けた。




「うおおおお!追って来る、追って来る!」


 ダークショップから出て数分も立たないうちに、ミコトは全力疾走していた。


『アカウント未承認者発見。速やかに確保せよ』


 ミコトを追うのは警備局が統括する、市民生活の治安を守るAIロボット【犬型機体いぬがたきたい】だ。シェパードのような姿をしており、銀色の無機質なフォルムがミコトの後を追う。


「ったく。まずい携帯食を食べた後にこれかよ!ゆっくりする暇もねえな」


 道行く人がミコトを驚きや嫌悪の表情を浮かべているのを感じたが、気にしている暇はない。そういった通行人という障害物のお陰でミコトは何とか犬型機体から距離を取ることができていた。

 途中、スタイルのいいピンク髪の可愛らしい女性が飲料水片手にミコトの目前に迫る。


『喉渇いたそこの貴方!今日はこれで決まり!』

「それどころじゃねーっての!」


 ミコトは文句を言いながら女性の体を通り抜けた。ピンク髪の女性は電子広告だったのだ。

 ちらちらと追って来る犬型機体を気にしながらミコトは冷や汗を掻いた。


(射程距離3メートル……そろそろ網を投げてくるぞ!)


 ミコトの予測通り。犬型機体の口から漁業の網のようなものが噴出され、間一髪のところで避ける。ミコトが犬型機体に詳しいのは夜の街を徘徊していたせいでもあった。

 夜の街を警備する犬型機体をミコトは度々目撃している。自分が夜の街を歩く時、鉢合わせぬよう、行動パターンの解析、どんな性能を有しているか調査してきた。だから犬型機体がどのタイミングで拘束用の網を噴出するのかも予測することができたのだ。


(あいつらが本気でスピードを上げてくればすぐに追いつかれっぞ!せめて電動バイクがあれば……)


 頭の中に動画で見かけた電動バイクを想像する。まるで設計図のように、ミコトは自分の頭の中で精巧に電動バイクを思い描いた。


(動画で見た最新モデルのやつ……。どこかに落ちてねえかな。まあ、バイクが道端にあったとしても所有者の生体アカウントが無ければ起動しないだろうけど……)

 振り返って近づいて来る犬型機体を確認し、正面を向き直ったところでミコトはある異変に気が付く。

「なんだ……?これは……」


 ミコトの目の前に


 空間に突然現れたハンドルは明らかに異常だった。しかも宙に浮かぶそれは先ほどミコトが想像した電動バイクのハンドルにそっくりだ。

 ぽかんと口を開けていたミコトだったが、考える間もなくそのハンドルに手を伸ばし、掴んだ。もう、これしかミコトが手を伸ばし、頼れるものはなかった。

 物を掴んだという感覚はあるのだが、ハンドルの感触とは異なる。戸惑いながらも、ミコトは更に頭の中で理想のバイクを思い描く。


「うおっ!なんだ……なんだこれ?」


 ハンドルを起点にエンジン、タイヤ、フォルムが現れ、たちまちバイクが目の前で生成されていったのだ。


 ミコトはいつの間にか、最新モデルの電動バイクに乗っていた。


 それでもやっぱり本物のバイクに乗っている感覚とは異なる。

 ミコトは戸惑いながらもバイクに視線を落とす。右手のアクセルグリップを握り、左手のクラッチレバーを離す。素早く左足でギアチェンジすると勢いよくバイクが前進した。

 ミコトは風を切りながら爽快な気持ちになる。後ろを振り返れば犬型機体達が小さく見えた。


「よく分からねえけど……。これでラグーンから出られる!」


 ミコトは口の片端を上げた。更にバイクの速度が上がるよう、左足のレバーを操作して更に加速する。





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