第2話 ある少年の死(2)

「そもそも帰って来てんのか……?」


 ミコトは自分が生活するマンションを見上げてため息をついた。繁華街から離れた閑静な住宅街。15階建てマンションの3階にミコトは住んでいた。

 マンションのゲートに向かって手をかざそうとして、寸でのところで引っ込めた。


「いっけね。アカウント未承認者だとバレたらまた通報されちまう」


 今のところ警備局けいびきょくのロボットに追跡されている気配はないが居場所を特定されるのも時間の問題だ。


「こうなったら……仕方ねえ」


 ミコトはマンションの裏に生える木を見上げた。

 サイバーシティとはいえ、ラグーンの居住区には自然が多い。人が住み良い環境を考慮してデザインされているからだ。


「久しぶりに木になんて登るな……」


 正面から入れないのならば別の所から入るしかない。生体アカウントがない今、ミコトが使用していた通話アプリも使用不可となっているので直接、両親と顔を合わせる必要がある。


「よいしょっと」


 最初はもたつきながらも、一度木に登る感覚を思い出してしまえばこっちのものだ。

 ミコトはするすると木を登り、3階部分まで登ると深呼吸をする。ミコトの部屋は角部屋で、よくこの木を眺めたものだ。そして常々考えていた。この木を伝って家に侵入できるかもしれないと。

 映画で観た泥棒のように。華麗に部屋に侵入する自分を想像して、ワクワクしていた時のことを思い出す。

 幸運なことにこの辺りは人通りが少なかった。よって木に登り切ってしまえばこちらのものだ。

 左手で木の幹に掴まりながら右手をベランダの手すりへと伸ばす。ぎりぎり手すりに触れることのできる距離だ。


「おらっ!」


 掛け声とともに左手を離すと、手すりに向かって両手を伸ばす。その後で両足で思いきり木を蹴った。その反動でミコトは跳び箱を飛ぶように、ベランダの手すりを飛び越えた。

 ベランダに着地するとミコトはふーっと息を吐く。


(俺に協力してくれるかは分からねえが……。これぐらいしか方法はない)


 ミコトが窓を叩いて両親に気づいてもらおうとした時だ。窓が開いているのに気が付いて、ミコトは反射的に身をかがめた。


「ねえ、あの子は?」


 部屋の中から母親の声が聞こえてきた。いつもの鼻にかかった不機嫌そうな声だ。

 ふたりとも年齢的には40代前半……なのだが見た目が異様に若い。下手をすれば10歳ぐらいは若く見えた。ふたりとも黒に近い髪型をしていたが、彫りの深い顔つきはミコトとは大きく異なっていた。


「ああ、あいつ?知らねえ。どうせまたどこかでぶらぶらしてんだろ」


 父親の声もまた不機嫌そうだ。ふたりが自分の話題で不機嫌になるのはいつものことだった。黙って2人の会話に耳を澄ませる。


(あいつら夜遊びから帰って来たんだな。ったく。毎度毎度よくも飽きないもんだ……)


 ミコトの両親はいつも家にいない。そのせいでミコトが生活に困る……ということは殆ど無かった。何故なら殆ど家電製品にAIが搭載され家事を終えるからだ。

 家がゴミで溢れるなんてことも起こらない。ゴミ回収の日になれば【自動運搬機能付きゴミ箱】が自分で共用のゴミ捨て場に走って行き、捨ててくるのだから。掃除だって常に、ボール型の掃除ロボット【ダストボール】がやってくれる。

 食事も配達を頼めば済んだ。お小遣いだってミコト専用の口座に十分すぎるほどある。

 暴力と振るわれたり、暴言を吐かれたりしたこともない。かと言って、愛されたこともない。


「そろそろ家族ごっこも飽きてきたわね」


 母親の言葉にミコトは特段驚きもせず聞き耳を立てていた。母親がネイルが施された自分の爪を見ながら話しているのが、視界に入れなくても分かる。


「本当だな。あいつがいると自由が制限される」


 耳障りなゲームBGMが聞こえることから、父親はゲームに興じながら返答しているのだと悟る。ミコトが思い浮かべる父親の姿は常にバーチャルゲームに興じている姿だけだ。

 自分の子供の成長よりもバーチャルゲームのレベル上げの方に必死、というのがミコトが父親に抱いていた印象だった。


「そうそう。あの子が小さい頃はけっこー楽しかったんだけどねー。世に言う「家族」って感じで。でも大きくなると駄目。つまんないし可愛くない。全然写真映えしないし」

「そんなもんだろ。でも【ファミリー制度】で家族になればラグーンから資金援助を受けられるんだ。それに世間体もいい。ただ、俺達の自由は消えけどな。メリットにはデメリットがつきもんだ」

(知ってた。大体そんなことだろうとは思ってたよ)


 ミコトは今まで抱いていた「家族」という違和感へ答え合わせをするようにふたりの会話を聞く。ミコトはある時点から父親と母親という存在、この「家族」に違和感を抱いていた。

 小さい頃はそれなりに可愛がられた記憶がある。そんな愛情すらミコトは偽物であると感じていた。

 ミコトの父親と母親はただ「家族」という関係性が欲しかっただけなのだ。それはアクセサリーのようなもので、流行が過ぎればただ邪魔になるだけものだった。


(あいつら、ただ「家族」っていうファッションを身に纏いたかっただけなんだ。俺に何の情もない。ただ都合の良い「小さな子供」という存在が欲しかっただけなんだ。だから俺を【生成せいせい】した……)


 ミコトは窓を背に、ベランダに腰を下ろしながら鼻で笑う。

 ラグーンにおいて、子供は【生成】されるものだった。

 各地に点在する病院で必要な手続きを踏めばラグーンの中央部、【灯台とうだい】に実装されているという【ガラスの子宮】から子どもが生成される。人間の女性の体から生まれるという現象は失われつつあった。今、ラグーンに住む子供の殆どがガラスの子宮という装置から生成された子供であり、ミコトもそのひとりだった。


(俺の生体アカウントの出生欄に書いてあったしな。子供の受け取りは病院だと決まっていたっけ)


 ラグーンには【ファミリー制度】というものが存在し、親と子という家庭をつくることを奨励している。様々な形の家族の在り方を尊重しているので従来の男女カップルだけではなく同性カップル。またはパートナーなしの子供の育成も認められていた。更にラグーンでは家族になった者への手厚い資金提供もある。


「だったら俺達の子供を生成すれば良かっただろ?今ならガラスの子宮で子供なんて自在にできるんだから。俺達の遺伝子もいじれるらしいじゃないか」

「面倒だし、子供の遺伝子にこだわると……ほら。お金がかかるじゃない。それに比べたらあの子は楽だったわ。何のために生成された子供かは知らないけど……引き取ったら他の子供より資金提供は弾むって言われたんだから。それにその時私達、お金なかったじゃない?」

(何だと……?)


 ミコトは初めて聞く情報に息を止めた。自分はこの家族に望まれて生成された訳ではなかったのだ。

 ふたりの生活音の中にピコンと通知を知らせる音が響く。


「ねえ……今【生活局せいかつきょく】からあの子の生体反応が消えたって、連絡が来たんだけど。これって、死んだってこと?」


 無感動な母親の声にミコトはひとり、衝撃に耐えていた。


(……やっぱり。俺の存在が消されている!)


 ミコトは立ち上がって自分がここにいることを知らせようとした。いくら愛情が無いと言ってもあわれみの心はあるはずだ。

 ラグーンでアカウントを失った絶望を理解できないはずがない。きっと助けてくれると、己の存在を証明してくれるはずだと淡い期待を抱いていたミコトの予測は呆気なく外れた。


「じゃあ新しい子でも生成するか」


 機械音のような声でミコトの父親が言い放った。まるで遊び飽きたおもちゃを捨てて、新しいおもちゃでも買おう、と言うようなノリだ。立ち上がったミコトの足が止まる。


「そうね。生活局には私達は事情を知らないって連絡しとくわ。今度は女の子がいいかもねー。写真映えするようなすっごくかわいい子にデザインして」

「それいいかもな。金額は下がるけど、また資金援助はもらえるだろうし。」


 ふたりの会話にミコトは特大のため息を吐いた。怒りや悲しみを通り越して呆れ、失望が上回る。意外にも冷静な自分にミコトは驚きながら首を振った。


(ああ、こりゃ駄目だな。色々手遅れだ)


 ミコトは窓に背を向けると手すりに両手両足を乗せた。


(とっととここから離れねえと……)


 目視で木との距離を測る。再び木に飛び移るのは無理だと判断した。帰りはマンションの壁にしがみつきながら降りるしかなさそうだ。


(人に見つかんなきゃいいけどなっ……)


 ミコトは祈りながら下の階の手すりを足場にし、壁に手をつきながら降りていく。


「よっと!」


 飛び降りても大丈夫そうだと見計らった地点まで降りると、ミコトは手を離し、地面に着地した。衝撃で、ピリピリとした感覚が足下から伝わってくる。

 少し遠くから歩いて来た女性に見られたが、ちょうど立ち上がった瞬間だったので特に騒がれなかった。地面に何か落とした物でも拾ったようにでも見えたのだろう。


「さて……どーすっかな」


 ミコトは大きく伸びをして、長く息をく。今まで溜め込んでいたものを全て吐き出してしまうみたいに。

 もう戻ることはないであろう、マンションを見上げてミコトは呟いた。


「俺って……元から存在してなかったんだな」


 社会システムに存在を排除される前から自分は両親だとされていた人物達からも存在を亡きものにされていた。

 その事実が胸に迫り、鼻の奥がツンっとする。ワンテンポ遅れて虚しさがミコトの心を襲う。ただ、こんなことで泣くものかと意地になって青空を見上げた。


(俺は……生きてる。誰も俺の存在を証明してくれなくても)


 ミコトは自分の手首を掴んで、トクトクと流れる血液と脈を感じとる。


(だから……このまま終わるわけにはいかない)


 決意めいた表情を浮かべると、おもむろに走り始めた。


(このままだと俺はどこのだれかも分からない奴として処理される。ラグーンの牢屋に入れば恐らく自由はない……。AIは融通が利かないからな。アカウントが無ければ食料も何も買えない。ラグーンでは生きていけない……)


 ミコトは遙か遠くを見て呟いた。


「ラグーンの外に出るしかないよな」




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