Magician 1.0 ~生者の存在証明~

ねむるこ

ラグーン:居住区B ミコト

第1話 ある少年の死(1)

 ミコトは十七歳という若さで死んだ。


 宛てもなく夜の街をふらついていた時。信じられない存在に鉢合わせたのが全てのはじまりだった。


「魔法……使い?」


 ミコトは自分の口から出た単語に苦笑する。バーチャル世界と現実世界が融合した都市、【ラグーン】で非科学的な存在【魔法使い】が存在するなんてありえなかったからだ。

 目の前に音もなく現れたの人物はゲームや映画で見かける【魔法使い】の出で立ちをしていた。フード付きの白いローブに木の杖……。丸みを帯びたシルエットとふっくらとした胸元からミコトは魔法使いが女だと悟った。


(もしかして新作ゲームのバーチャル広告か?)


 ミコトはふわふわと浮かぶ魔法使いをまじまじと見つめる。

 ラグーンの夜は明るい。

 ビルの外壁は光を帯びているし、バーチャルの立体広告がそこらじゅうに展開されていたからだ。今も歓楽街で遊ぶ人で溢れている。

 魔法使いが浮いていたので自然とミコトの視線も魔法使いを下から覗き込む形になる。ローブのスリットから見え隠れする魔法使いのもも、きめ細やかな肌はバーチャル世界の物とは思えないほどにリアルだ。

 思わずミコトは息を呑む。そんなミコトに天罰が下ったのか。魔法使いはミコトに杖を向けた。


「!!」


 魔法使いの体に見惚れていたミコトは動きが遅れた。そのまま赤、青、緑。黄色とあらゆる色の閃光に包まれる。

 同時に体中に電流が流れる衝撃が走る。意識が遠のいていく中、ミコトは頭の中でカチッという音が響くのを聞いた。


(何だよ……カチッて。頭が痛くなる時の音とか普通ピリッとかズキッとかだろう)


 全身の力が抜けて、地面に倒れ込んだのを最後に意識を手放す。




 ミコトは自分が死んだ……と思った。

 天から降り注ぐ温かい光に反応して目を開ける。

 ギラギラとしたラグーンの夜は過ぎ去り、柔らかな日差しがミコトを照らしていた。

 ミコトは慌てて起き上がるとデニムのポケットに手を突っ込んだ。

 いつも持ち歩いている古めかしい、丸まった文庫本を見てミコトは大きく息を吐いた。


「本も無事……俺も無事」


 どこからも出血していない、強いて言えば地べたで眠っていたせいで体が痛むぐらいだ。


「……昨日のは夢か?」


 腕を組み、ミコトは考え込む。艶めかしい魔法使いの姿を思い出し、満足げに頷いた。


「なかなかいい夢だったな。今日ぐらいハイスクールに顔を出しておくか。その前に……喉が渇いたな」


 路地裏を飛び出して、大通りへと向かう。

 ズゴゴゴゴゴ……。

 どこからともなく、巨大な物体がゆっくりと動く音がした。それはラグーンに朝の訪れを知らせる音だった。

 ミコトが出てきた路地裏のビルは半分の階が互い違いになって建っていたけれども今はぴったりと重なりあって一つのビルになっていた。

 夜、歓楽街向けの店は地上近くの階に降りて来るのだが朝になるとこんな風に、日中向けの飲食店などが入れ替わりで地上に降りて来る。他にも高層マンションが観覧車のようなものに変形するタイプもあって、富裕層に人気なのだとか。

 そんないつもの光景を目の当たりにしてミコトはため息を吐く。

 これからいつもの代り映えのない毎日が始まるのだと思っていた……がそんな予想を大きく裏切るような出来事が起こった。


『【生体アカウント】が確認できません。存在未承認の人間の可能性があります』

「……は?」


 自動販売機の前で手をかざしていたミコトが声を上げた。


「バグってんのか?生体アカウントが確認できないなんて……ありえない」


 ミコトの言う通り。今、目の前で起きている現象はあり得ないことだった。

 ラグーンでは生体アカウントが無ければ生きていけない。

 何故なら生体アカウントに銀行口座、戸籍、資格などあらゆる個人情報が紐づけられているからだ。


「全身生体認証で成り立ってんだぞ?アカウントが確認できねえってことは……俺は俺じゃないってことになる。そんなのありえねえだろ!」


 生体アカウントは所有者の指紋、耳の形、虹彩……あらゆる生体認証によって暗号化されたものだ。ラグーンで生まれるとすぐにこの生体アカウントを付与されることが義務付けられている。

 暗号化された情報は人体に内蔵された無害の小型媒体に記録され、街のバーチャル空間及びインターネットに繋がることができた。

 手をかざしただけで買い物ができる。地図が浮かび上がる。人に連絡を取る……。ラグーンにおいて便利で快適な生活を送ることができるのは全て生体アカウントがあってこそだ。

 生体アカウントの確認が取れないということはラグーンの外、【領域外りょういきがい】からやって来たラグーン内で存在を認められていない人間か、あるいは生まれたばかりの生体アカウント付与前の赤ん坊、アカウントの削除対象となる死人ぐらいだろう。

 ミコトは空中で手をかざし、右に払う仕草をした。その動きに応じて目の前に映像が浮かび上がる。


「……どうしてだよ」


 自分の生体アカウントを確認しようとしたのだが、ミコトの目の前に浮かび上がって来たのはエラー画面だ。

 ここでミコトは初めて己の死を自覚した。急速に指先の体温が無くなり、心臓がドクドクと脈打つ。


『警備局のロボットが到着するまでその場を動かないでください。指示通りにしない場合、罪に問われる可能性があります』


 機械音声が流れ、ミコトは我に返る。血の気の引いた頭に血がめぐり、思考を始めた。


 ラグーンにおいて、生体アカウントを持たない者は重罪になる。

 そもそもアカウント付与を拒否した者はラグーンに住むことはできない。このアカウントのお陰で経済活動がスムーズに行われ、今までに成し遂げなかった完璧な市民統制をも可能にしている。

 生体アカウントはラグーンという社会秩序の基礎でもあった。

 ラグーンに生まれた者ならば「アカウントを持たない者は平和を乱す、犯罪者である」という考えが普通だ。アカウントの不正使用など言語道断ごんごどうだん。どちらにせよ重罪だ。


「このままだと捕まる……。どうしてこんな目に……」


 ミコトはその場を離れながら頭をフル回転させる。思いつくのは昨夜の女の魔法使いだ。


(あの光線……。もしかして……あの時、俺はアカウントを消されたのか?)


 自分のスニーカーを眺めながら走る。ミコトは魔法使いを思い出して唇を噛み締めた。


(いや、それは不可能だ。生体アカウントは生きた人間の生体反応……心拍数やら体温をも感知して成立してる。データだけ抜き取るなんてことは不可能だ)


 原因があの魔法使いの襲撃だとして、街の治安を守る【警備局けいびきょく】に説明して果たして理解してもらえるだろうか。ミコトは左右に首を振る。


(ラグーンの公的機関の殆どがAIだ。魔法使いが現れてアカウントを乗っ取った……なんて信じてもらえるわけねえだろ。頭がおかしい、アカウント未承認者として牢屋行きだ。とにかく……生体アカウント以外で俺の存在を証明してくれる人間を頼るしかねえ。そうすればAIどもの反応も少しは変わるだろ。今ならハイスクールの登校時間だ。走れば間に合う)


 ミコトはハイスクールに向かって走り出した。



「おい。おーい!ブルー!」


 幾重にも折り重なるようにして立ち並ぶビルの間に存在する異質な存在。

 厳かなアーチ状の門に教会のような美しい造りの建物。それがミコトの通うハイスクールだった。その門の中に入ろうとする少年の一人に向かってミコトは大きく手を振る。

 くたびれたシャツにヨレヨレのズボン。青ざめた顔の少年はまさに「ブルー」という名がぴったりだった。そのブルーが目を細め、驚くべき言葉を発した。


「あなた……誰ですか?」


 ミコトは呆然とする。必死で自分の顔を指さして声を上げる。


「おい、冗談言うなよ。よく見ろ、ミコトだ!」


 ブルーと呼ばれた少年はミコトをさげすんだ目で見ると信じられないことを言った。


「あなたがミコトくんなわけないでしょう」

(おいおい……。これは本当にどういうことだよ。俺の顔、忘れちまったのか?ありえねえ。先月顔を合わせた問題児の顔ぐらい覚えてるだろう)


 状況が飲み込めないままミコトはポケットをまさぐった。そして、あの丸めた文庫本をブルーの前に突き出す。


「よく【ストーリー・データ】の話、しただろ!この【ストーリー・ペーパー】のことだって、論議したじゃねえか」


 ハイスクールが嫌いだったミコトだが、話の合うクラスメイトとは多少の交流はある。例えばこのブルーに関してはストーリー・データ。いわゆる小説の話で盛り上がる仲だった。小説のほとんどはデータ化されていたがまれに過去に発行された【ストーリー・ペーパー】がネットオークションに出品されることがある。

 この文庫本はミコトが小さい頃、憧れの人から貰ったものだった。題名は『生者の存在証明』という、意味不明な物語が描かれた小説だった。このストーリー・ペーパーを解読をするため時折ブルーと意見交換を行っていたのだ。

 この本さえ見せれば自分はミコトだと信じてもらえる。そう思っていたのに、ブルーの反応が更に悪くなった。


「どうしてミコトくんのストーリー・ペーパーを?もしかして……盗んだのか?」

「ち……違う!俺は正真正銘、ミコトだって言ってんだろう!」

「誰か!うちの生徒を名乗る怪しい人が侵入してきています!」

「おいっ。やめろって!」


 気弱そうなブルーが大声を出すと思わなくて、ミコトは動揺した。門の内側にいた人の姿を象り、AIを搭載したロボット、【人型機体ひとがたきたい】がミコトに視線を向ける。ハイスクールの教師であるこのロボットは街を監視する警備局のロボットほど追跡能力は高くないが何をしてくるか分からない。


(……これ以上、騒ぎを大きくするわけにはいかねえ!)


 ミコトは舌打ちするとブルーを睨みつけた後で、ハイスクールから遠ざかるようにその場を立ち去った。そのすぐ後に警報アラームが聞こえ、ミコトは口をへの字にする。


(通報されたみたいだな。仕方ない。ハイスクールが駄目だとしたら……俺の存在を証明できるのは……もうあいつらしかいねえ)


 走りながらミコトは憂鬱な気持ちになる。


(俺の……親か)

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