8 何でもないこと
どうやら、夕飯は毎回宵様と食べるシステムらしい。そして今夜の夕飯はキノコ鍋。婚約者仕様なのか、二人で鍋をつつく感じだ。
「今日はどうだった?」
「どうせ報告は聞いてるんでしょ。なら私が言う必要はないじゃない」
「小夜の言葉で聞きたいんだよ。小夜の視点で、感性で、どんなことを思ったのかな?」
作り物のように整った笑顔で、声優みたいにいい声で話しかけてくる。
「今日はまず庭に出て、景色が綺麗だった。これからもっと紅葉していくんでしょうね。あと庭というより公園みたいに広かった。それから午後は昼寝して…昼寝なんか久しぶりだった。あんまり内容がないけど、これで十分?」
鍋から小皿に自分が食べる分を取りながら、私は今日の出来事をまとめた。
「十分だよ。内容がないわけじゃない。ただ景色を見たり、昼寝をしたり、何でもないことを楽しんだじゃないか」
そう言われて、私はハッとした。
浮世にいた今までの私なら、何でもないことを楽しむ余裕なんてなかった。休日があってもただ疲れて寝て、作り置きの料理を作って、ボーっとテレビや動画を見るくらいしかなかった。
でもここに来てからは、景色やちょっとした心遣いに感動して、余裕がないとできないはずの昼寝までしている。何でもない時間を過ごすというのは、心を休める時間なのだと実感した。何でもないことを楽しむには、心の余裕がないとできない。
「それから明日は書庫に行くんだろう?うちの書庫は見た目はアレだけど中は広いからね。本が好きな小夜には嬉しいだろうね」
「広いの?」
「これまた一種の結界でね。中は二階建てにしてあるよ」
出ました。結界。これも聞いた話によると、結界は空間を創るものなんだそう。ただし、創るのにはすごく力を使うんだそうだ。それから維持にはさほど力を使わなくてもいいという。
「結界って結構色んなことができるのね」
「そうでもないさ。空間を創るのなら、ある程度の法則を作らなくてはならない。何もないところには何も存在できないんだよ。ある程度のルールがあるから、そのものはそうやって存在できるんだ」
小難しいことを…。実際にやってる人がそう言ってるならそうなんだろう。人じゃないけど。
そんな風にちょこちょこと話をしながら鍋をつつく。野菜がおいしくて、ついたくさん食べてしまった。そして食べ終えた今もまだ話しが続いている。宵様はかなり聞き上手で、話していて楽しい。
「そういえば、私の部屋とか着物とか、全部宵様が用意してくれたんでしょう?わざわざありがとう」
「どういたしまして。花嫁のためには何でも用意するよ」
彼はそれから微笑みを浮かべる。
「今日は、楽しかったかな?」
「…楽しかった」
「そう。それなら私も嬉しいな」
そうして、二度目の夕食の時間が終わった。
翌日は予定通り書庫に行くことになった。
「わぁ…!すごい…!こんなに本が…!」
「ええ。結界の中ですからね。時々増設もしているのですよ」
本当にすごい。洋風の本棚が森のようにそびえ立っていて、なんとそれが二階分。床や階段自体も美術品みたい。本好きなら一度は夢見る環境が目の前にあった。しかもそれが平屋の一室から入れるのだから、某青い猫型ロボットのポケットから出てくる道具くらい不思議だ。
「大体整理されてますので。ほら、案内図がここに」
「わー、しっかり日本十進分類法」
「本好きじゃないとできない返しですね。この中にあるものは自由に借りていいそうですよ」
千里の台詞に胸を躍らせて案内図を見る。
「やっぱり9の棚…文学作品が多いのね。私としては嬉しいけど」
「お好きなのですか?」
「そうね。図鑑とかも読んでいて楽しいけど、やっぱりワクワクするのは物語かな。こういうのはただ記録するための文字じゃなく、人間を感じるでしょ?」
棚を眺めながら話す。
「書き手がいるように感じるのですか?」
「それもあるけど、登場人物にしっかり人間味を感じるでしょ?本当にその登場人物が考えて行動したみたいに」
本当はそういうわけじゃなくて、読み手の想像の産物のはずだけどね。それでもそこまで想像の幅を演出できるのはすごいと思う。
「確かにそうですね。魂が宿っているといいますか。実際、この世界にも本の付喪神がいるほどですからね。あながち間違いじゃないのかもしれません」
千里の言葉に少し安心した。「想像力豊かなんだね」とか「すごいね」とかの一言で片付けてこないところに。それ以上に踏み込まず、どこか突き放すような言葉に一種の幻滅や落胆をしたのを覚えている。
「本の世界って理想の世界だよね。だからその本が理想的で現実から離れているほど酷い現実なのかもしれないよね」
私が本に対して思っているもう一つのことも言ってみる。
「…そうかもしれないですね。人が作るものは、『こうあってほしい』という人の理想や現実を反映するのかもしれませんね。筆である私としても、書き手の思いを感じますから」
こんな話をしても決して否定はせず、共感し、さらに意見を言ってくれた。
誰かと腹を割って話すなんて、初めてのことだった。
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