5. 苦労話
「…小夜様は、苦労されたのですね」
「そうかもね」
こんな変な世界に来てまともでいられるのは、「集団と私一人」という構図に慣れてきたせいかもしれない。そんな世界にはもう慣れたんだ。
「辞めようとは思わなかったんですか?」
「思ったよ。何回も何回も」
それでも、周りの人も辞めずに働いている。そもそも就職氷河期とか言われているし、人に馴染めない私が転職するなんて、とても無理な問題だ。さほど学もない
だから働き続けるしかなかったのだ。高卒の小娘が勤めてたった半年だけど、うちの会社がブラックなのが身に染みて実感された。
「それは……さらに酷いですね」
「でしょ?」
そうやって話すと千里はさらに親身になって聞いてくれる。しかも今は丁度おやつの時間くらいなので部屋でお茶を用意してくれた。
「浮世は、そのようなものなのですか?」
「そんなもんよ。一部の人間が楽しいだけで、みんながそれを目指すけどそんなことはできないの。政府とか偉い人はそれを是正しようとか言ってるけど、そういう人はお金もあって幸せないい生活をしてて、どの口が言ってるの?って感じ。普通って言われる人でも見た目は豊かかもしれないけど、実際はそんなものじゃない」
本当に、どこが格差の是正に役立つのよ。
生活に困っている人を助ける費用のために増税しますとか言われても、増税して困る人の方が圧倒的に多いのに。何ならその人達も苦しめてるし。
普通と言われる人だって、いつも買っている菓子パンの具が減っていたり、飲み物の値段が上がっていたり、少しずつ豊かじゃなくなっている。
幸せな人は、幸せじゃない人に気づけない。
幸せで偉い人は蜘蛛の糸を垂らしているつもりかもしれない。でもそれは、救いではなく地の底に絡み捕り、縛り付ける罠なんだと思う。
会ってたった一日なのに色々喋ってしまったと我に返る。そして向かい合う千里を見ると、とてもさみしそうな顔をしていた。
「私は浮世から離れてもう随分経ちます。この結界内には色々な物から生まれた付喪神が辿り着くのですが、そのようなものを見ていると浮世は豊かになったのだと思っていたのです。…ですが、そんな簡単なものではないのですね」
「…そう。残酷だけど、そんな簡単なものじゃないの」
確かに物質的には豊かになったかもしれない。でも心は豊かになることはなく、むしろ貧しくなっているのかもしれない。
「…ならば小夜様は、そんな浮世に戻りたいのですか?」
「…こうして思うと、戻りたくなはいかな。でも私は人間だから。人間の居場所は浮世なんでしょ?」
そう、ここは死神が作った付喪神のいる世界。
「ここで宵様に嫁入りすれば、そんな世界に戻らなくて済みますよ?」
「……確かにそれはそう。だけどそれはただの逃げ。誰もがそんな現実から逃げたいと思っているのに、私がここにいるのは不平等よ」
選ばれたとか言ってるけど、そう考えればいいってものじゃない。
「小夜様は、無理に集団の中に入ろうとしていませんか?」
「え?」
私はそこで、千里が真っすぐにこちらを見ているのに気づいた。
「今の話を聞いていくと、小夜様は集団の中に入らなければならないと思っていますよね?人に馴染めなくてもいいんですよ。色々な人間がいて、色々な境遇を送っています。自分と合う居場所が見つかれば良いのですが、先程『浮世は残酷だ』と言われていましたし、自分が辛くなる集団には入らなくても良いのではないでしょうか」
「でも、集団にいた方が…」
私はすぐに言い返そうとしたけど、続く言葉によって遮られる。
「小夜様は自分を辛くさせる集団という存在がそんなに大事なのですか?一人でも必要なことはやっていますし、必要以上に慣れ合う必要はないです。小夜様は小夜様です。逃げや弾かれたわけではなく、小夜様が自分らしく生きるための選択をしていたのではないでしょうか」
千里はそう問いかけてきた。
「…そう…だね。そう考えるべきだったかも」
「一人でいるのは決して悪いことではないですよ。人は一人では生きていけませんが、人生は一人が生きるものですから」
一人でいるのは悪くない。そう言われて、初めて自分という存在が肯定された気がした。
「付喪神なのに、人間らしいことを言うのね」
「我々も似たようなものですよ。人によって生み出され、人に使われる。しかし最終的に使われた歴史は物に刻まれるのです。人生と似たようなものでしょう?」
「確かにね。物に人生のことを教わるだなんて、思ってもみなかった」
考えればちょっとシュールな話だけどね。
「人のいる浮世に馴染めないなら、付喪神のいる世界なら馴染めるかもしれませんよ!」
「結局、嫁入りの勧誘なの?」
「今はそういう期間じゃないですか」
「…確かにそうだけどさぁ」
励まされたかと思いきやそんなことを言われたので、前向きな気持ちがちょっとうやむやになった。
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