優しいなんて誰が言った?

 東雲学園第一高校の電脳室は奥行きが普通教室の1.5倍ある部屋にデスクトップPCと17型モニターが横並びに置かれた、旧態依然としたコンピュータ室である。

 放課後は文化部の活動や授業の補習で利用している生徒がちらほらと見られる程度で、いつも閑散とした雰囲気である。

 そんな中、ひときわ目立って皆をざわつかせているのは奥の方に座っている女子生徒。紺色のジャケットの襟元は白いレースが施され、肩に刺繍された紋様がエレガントな雰囲気を感じさせる。長い髪はきれいなカールが施され、繊細なドリルのように丸く巻かれている。

 皆と同じ制服なのにその着こなしによって優雅な印象を与えている。東雲学園理事長の孫娘、東雲沙羅である。

 彼女はモニターに向かってPCを操作しながら、先程から昨夜の経緯について話していた。

 

「ん? ちょっと待て。俺は今、聞き捨てならないことを耳にしたような気がしたのだが……いや、やっぱ俺の聞き間違いだよな?」


 後ろに立ってモニターをのぞき込みながら、大牙は話の途中で割り込んだ。


「なんですの? わたくしそういう回りくどい言い方をされるのは嫌いですの。言いたいことがあるならはっきり言って頂戴」

「いや、まあ改めて訊くまでもないことだとは思うのだが……負けたら何でもいうことを聞くって言ったというのは……やっぱ俺の聞き間違いだよな?」

「…………」

「おいっ」


 大牙はドリルヘアの後ろ姿にジト目を向けている。


「言いましたわ」

「やっぱ言ったのかよ! かーっ、お前気は確かか?」

「わ、わたくしが勝てば良いだけの話ですわ」


 沙羅はムッと唇をかんでモニターを睨む。


「如月拓也がどんなゲーマーなのかは知らないが、仮にもプロを目指しているってんだから、それなりの実力の持ち主であることは確かだろ?」

「その通りですわ。彼はきっと、eスポ部では相当の戦力になっていただける逸材ですわ!」


 モニターに反射する沙羅の口元がニヤリと笑っている。


「なぜそこでお前は嬉しそうに話す? 俺が言いたいのはそこじゃない! ゲーム素人のお前が如月に勝てる訳がないだろうと言っているんだ!」

「そんなこと……やってみないとわかりませんわ!」


 頬を膨らませてプイッと顔を背けた。


「それが分かるんだよ……」

 大牙は小さな子に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。


「東雲はガチ初心者。対戦相手の如月はプロゲーマーを目指すほどのガチ勢。本来なら同じステージに立つことすらできない相手だろう。圧倒的な経験値と技能の差は、ゲームの世界でも絶対に覆すことができないんだ。リアルもゲームも一緒なんだよ」


「ですが……」


 沙羅はクルッとイスごと向きを変えて、大牙を上目遣いで見る。


「わたくしには伊勢木が付いていますわ」


 そう言いながら、沙羅は白くて細い腕を差し出す。


「し、東雲、おまえ……」


 大牙はその手を取って、引っ張り上げる。

 二人は目を見つめ合い微笑んだ。


「かーっ! そんな良い話風にまとめようとしても無駄な足掻きだからーっ!」


 現実逃避からいち早く目覚めた大牙は、頭を抱えて天井に向かって叫んだ。


「や、やってみないと分かりませんわ! 約束の時間まで30分ほどあります。さあ伊勢木、練習を始めて頂戴! わたくしにゲームの勝ち方の指南しなんを!」



 30分後――   



 魂が抜け灰になった二人がテーブルに突っ伏していた。


「こ、これほどまでに操作が難しいものとは思いませんでしたわ」

「せめてゲームコントローラーがあれば良かったんだろうが……キー操作でキャラを手足のように動かすには相当の訓練が必要なんだよ」

「わたくし、ゲームというものをもっと簡単に考えていましたわ」

「だが、これでもこのゲームの元になっている『VALORANTヴァロラント』よりは、かなり初心者向けに作られているんだよ。だから如月がこのゲームを指定してきたのは意外だったな」


「そうなのですか?」

 沙羅が目を丸くして大牙に顔を向ける。


「ああ。普段やり慣れているはずの本家のゲームではなく、初心者向けのこれを指定してきたのは、如月なりの優しさかもしれないな……」

「そうですの……ふーん……」


 二人はモニターを見ながら呟いた。


 ロッカールームと呼ばれる待合室で、沙羅が操作する女性兵士のキャラクターが画面中央に背を向けて立っている。

 ここでは様々な武器やアイテムを試したり、キャラクターの操作を練習することもできる。

 鉄骨にトタンを打ち付けた倉庫のような場所で、所々錆びて外の光がもれている。 


 17:15――ピコーンと着信マークが出て、沙羅の前に双眼のゴーグルをかけた筋骨隆々のキャラクターが出現した。

 ユーザー名は『Bloodyブラッディ


 大牙はゴクリとツバを飲み込む。

 謝罪が先か。それとも交渉が先か。 

 如月拓也が気遣いのできる男ならば、どちらを先にすべきなのか。


(いや、そもそも東雲こいつが勝手にやったことなんだから、俺は黙ってみていればいいんじゃないか?)


 しかし大牙のそんな考えは、モニターに内蔵された小さなスピーカーから出力された声によって、一瞬で吹き飛ぶことになる。


『ぎゃーはははははは、今更約束を反故にしようったって受け付けねーからな! お前が負けたら何でも俺の言うことを聞くって、ちゃんと録画してあるからなー? 俺が完全勝利して、お前を××××して××××のように××××にしてやるぜぇー』


 メッセージならば伏せ字になるかエラーでブロックされるはずの単語の数々。

 如月は優しさの欠片も感じさせない、最低の男だった。


 沙羅は身を守るように自分の両肩を抱きしめている。

 その細い指先は小刻みに震えている。


 大牙の胸の奥底で小さな心のスイッチが音もなく入ったことに、本人はまだ気付いていない。 


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