第7話 再会

 「シロ! 大変! あんたを探しに国防軍が来た! すぐに隠れて」

 集落の外れにあるオババのもとに女性が駆け込む。

「シロ! あんた、キイチゴの場所まで行けるね? そこに隠れとけ! あんたを殺させるか。あたしらが守ってやるよ」

 え? え? 急に言われて分からない。理解、出来ない。

「嫌だよ。オババ、もう僕、一人は、嫌だ……」

 急に恐怖が押し寄せて身体が震える。震えが出ると涙がこぼれる。一人は、怖いよ。

「大丈夫だよ! シロを守ってやる。お前はここに居ればいい。弱気になるな。キイチゴの場所までは集落の者しか行けないから大丈夫だ」

 オババの威勢のいい言葉に震えながらコクリと頷く。

「シロ、弓矢を打たれるなんて辛い思いをしてきたな。大丈夫だ。ここの皆はどんなお前だろうと受け入れるさ。大丈夫。あたしらを信じて隠れておいで」

「皆あんたのことを知らないって言うよ。あたしたちに任せてね」

 優しさにペコリとお辞儀をする。慌てて裏手の山に向かう。キイチゴの場所まで行けば、きっと大丈夫。バクバクする心臓。

 必死過ぎてクマ除けを着けるのを忘れていたことに、この時は気づいていなかった。

 

 見つかりませんように。耳元に大きく聞こえる心臓の音。怖くて手が震える。右肩の古傷がズキズキ痛む。弓矢が深く刺さっていた場所。見つかったら、殺される。次は弓矢が心臓を射貫くのか。頭を射貫くのか。考えると吐き気がする。えずいてこみ上げる胃液を飲み下す。居場所がバレてはいけない。僕は生きるんだ。生きたい。恐怖でこみ上げる涙と震えをどうにもできない。見つからないように。手の甲を噛みしめて恐怖をやりすごす。

 とても長い時間をキイチゴの場所で隠れていたように思う。ガサガサと音がする。怖くて呼吸が早くなる。どうしよう。僕は、死ぬのか? ガチガチ鳴る歯の音。見つかりたくない。神様。だけど。気配が近づく。ここに来ないで。通り過ぎて。心臓が痛い。緊張しすぎて瞬きが出来ない。


 ガサッと音を鳴らして僕の前に現れたのは、大きなクマ、だった。


 冬眠前。気が立っている時期だからクマ除けは必ず着けろよ、クマのためにも人のためにも大切な事だ、そう言っていたオババの声が耳に響く。明らかに気の立っている数メートル先のクマ。背を向けたら、きっと死ぬ。僕を見たまま、距離を詰めるクマ。涙が溢れる。もう、痛いのは嫌だ。食べられるのも嫌だ。汗がボタボタ流れ落ちる。クマが、急に加速してくる。ダメだ。死ぬ! 必死の思いで呼んでいた。


「ディーー!!!」


 ディーって誰だった? 叫びながら恐怖に涙が止まらない。


「ローーーイ!!」


 どこからか声が聞こえる。人だ! 助けて! 声のした方に意識を向けた瞬間、丸太のようなもので身体を殴られて吹き飛ばされる。あまりの衝撃に息が出来ない。揺れる視界にクマが見えた。あぁ、このまま死ぬのか。吸うことも吐くことも出来ない呼吸の苦しさが、無になる。あれ? 息できないのに苦しくない。身体の痛みも感じない。そうか。死ぬ前って痛くも苦しくもないのか。これならクマに食べられても大丈夫かも。そう言えば、前にも僕は食べられてしまうかもと心配したことがあった気がした。今回は本当に食べられちゃう。


「ロイ、ロイ! 死ぬな! ロイ!」

 大きな声がする。落ちかけていた意識が浮上する。苦しさが戻り、喘ぐように息を吸う。身体がズキンと痛む。深く息が出来ない。浅く息を繰り返す。自然に流れる涙。クマが、男の人に変身した。僕を抱き上げる男の人が泣いている。徐々に呼吸が整う。泣いている人に聞く。

「誰……です、か?」

 黒い瞳が美しくて見とれる。綺麗な目。怖くない。彼が驚いた顔で僕を見る。

「いい。生きていたなら、それでいい」

 僕を抱き締めて泣いている。変な人だ。もとがクマだったなら仕方ないのかもね。そう思うと笑えてくる。

「クマ、泣かないで……」

 泣くのが可哀そうで、そっと慰めてみた。クマに通じるのかな?

「はぁ? クマ?」

 急に抱きしめる力を強くするから小さな悲鳴を上げた。

「いた、い」

「あ、すまない。そうか、ははは。さすがロイ。クマときたか。ははは。久しぶりに会って、クマかよ」

 笑いながら泣く彼を見る。

「殿下! ディモン殿下」

 ざわざわと声が近づく。目線を向けると軍人が来る。途端に恐怖が蘇る。

「いや、いやだ。殺される。また弓矢で刺される! 逃げなきゃ」

「弓? おい、ロイ。お前、弓矢で射られたのか!?」

 この人の腕から逃げたくて身体を動かすと痛みが走る。力の入らない身体がもどかしい。

「クマ、離せ!」

 精一杯睨む。

「だめだ。大丈夫だ。あれは俺の国の軍人たちだ。お前を狙うワケないだろ? お前は俺の番なんだから」

 訳が分からなくてクマ男を見る。黒い瞳は優しさを秘めている。心が柔らかい何かで満たされる。服の上からペンダントを触る。

「着けていてくれたんだな。ありがとう。俺も着けているよ」

 クマ男が服の中からペンダントを出す。陽の光に当たり深い緑と七色の光。美しい。息を飲んで見入った。

「殿下! あぁ、ロイ様。ロイ王子殿下。ご無事でしたか。何とありがたい。神の加護に感謝いたします」

 軍人たちが膝をつく。訳が分からず、痛みで動けず彼らを見る。クマ男以外は怖い。

「僕は、シロだよ。ロイ、じゃない……」

 ぽつりと出た一言。

「そうか。シロか。分かった。辛かったな。苦しかったな。シロ、怪我を見ていいか?」

「嫌だ。怖い」

「大丈夫だ。軍の者はケガの手当てを訓練している」

「嫌だ。絶対に嫌だ!」

 だって怖いから。軍隊のような格好が怖い。心臓がドクドク音を立てて「逃げなきゃ」って声をあげている。必死で抵抗する。

「分かった。いい。このまま運ぶから。俺なら抱き上げても良いだろう?」

 クマ男を見てコクリと頷く。クマ男なら良い。怖くない。

「俺はクマじゃない。クマはちょっとゲンコツしたら山に帰って行った。俺はディーだ」

 僕を抱き上げる時に首元に顔をうずめて吸い込むように匂いを嗅がれる。背筋がゾクリとする。この感覚、懐かしい。首後ろがゾワッとなにかを訴える。

「クマをゲンコツしたのか……」

「当たり前だ。ロイに手を上げるなんてクマだろうが許さない」

 あの大きなクマを。こいつバカなのか。ふふっと笑うと、額にチュッと触れるだけのキス。驚いて笑いが止まる。よく分からずに彼を見上げて、僕も伝えた。

「僕は、シロです」


「シロ! 無事でよかった!」

 集落に戻ると皆が出迎えてくれた。そして皆が頭を下げる。

「ディモン王子殿下とは知らず失礼しました。どうかお許しください」

「構わない。それよりロイを助けてくれて心より礼を言う。ロイ、いやシロは俺が連れて帰る」

 抱き上げられたまま連れ去られそうになり抵抗する。

「まって、待ってよ。ダメだ。僕はここでやることがあります。クッキーも焼いて売らなきゃ。大切な収入源なんだ」

「そうか。ここでも生きるために頑張っていたのか。それでこそロイだ。お前は偉い」

 そっと抱きしめる腕に力が入る。痛くないけれど心がモゾモゾする。

「僕にはロイが誰か分からないよ。僕はココで拾ってもらったシロです」

「わかった。それなら俺もここに居よう。皆、しばらくこの集落に滞在する。拠点をここに移動するように。医療班をすぐに城から呼んでくれ。ロイが怪我している」

「はい。すぐに」

 軍人の皆さんが素早く動き始める。歩くと言ったのに降ろしてもらえず抱き上げられたままオババの家に向かった。


「ロイが、シロが世話になった。しばらくは俺も世話になっていいだろうか?」

「もちろんでございます。このような狭い家に王子殿下さまが来るなんて! あぁ、夢だったのか。いや、現実か! どうなっとるんだ……」

 オババがパニックになって狼狽えている。

「オババ、ゴメン。僕にも何が何だか分からなくて」

「ええよ。シロは黙ってりゃいい。ケガを見せてごらん」

「うん」

 オババの家でやっと降ろしてもらえて室内を歩く。痛いけれど歩ける。骨は折れていないと思う。背中に打撲とクマの爪が当たって皮膚が裂けている程度かな。服に血が滲んでいる。大きなケガじゃなくて良かった。それにしても、あのクマをゲンコツで撃退したのか。この男、人間じゃないかもな。僕を抱き上げていたディーと名乗る王子殿下さまを見る。背が高く筋肉質。集落の筋肉質の男性たちより屈強そう。綺麗に整ったスタイル。僕もこうありたいと願う理想。一撃でクマに吹き飛ばされる自分が情けない。

「あの、助けてくれてありがとうございました。僕もクマにゲンコツできるくらい強かったら良かったけれど」

 お礼を伝えたのに、僕を見てディーが吹きだす。「さすがロイだ」と笑い転げる。ふと、こんな場面を知っている、そう思った。


 背中は打撲と三針ほど縫う裂傷が二か所。さすがにクマの爪が当たっていて擦り傷なんてことは無かった。それを知ってディーが「クマ鍋にしてやる!」とクマ狩りに行きそうになり必死でとめた。目が本気で怖かった。「僕はクマ鍋を食べたくない」と言ったら「それなら仕方ない。あのクマ許してやるか」と落ち着いた。この人は本当に王子だろうか? この国は大丈夫なのか不安になる。


 夜はディーが僕の部屋で寝る。左側の背中をケガしているから左下にして寝ないように支えてやる、と添い寝をしてくる。寝る前に首後ろにキスをして甘噛みしてくる。全身に震えが走る。コレをされると目の前がチカチカして不思議な幸福感に包まれる。そしてよく眠れる。断ってもこの強引な王子様は引くことを知らない。僕にピッタリ付き添っている。諦めて何でも世話を焼いてもらっている。


 「おはよう。シロ、じゃなかったロイ王子殿下。今日はクッキー焼きますか?」

「殿下、おはようございます」

「お怪我はいかがでしょうか?」

 色々な声に戸惑いながら会釈とお辞儀で返事をする。クマ事件から三日して集落を散歩すると賑やかな光景に驚いた。集落に軍人が沢山いて、家の修理や畑の整備、イノシシ防止柵の設置を行っている。

「どうなっているの?」

「あぁ、ロイを助けてくれたお礼だよ。ここに鉱物エネルギーも設置する。しばらく大人数がいるから、今のうちに住みやすいように整えようかと思う」

「本当に? 助かるよ。ココは山間部で生きて行くことが精一杯なんだ。そんな中で僕を拾ってくれた優しい人たちだから生活が楽になるなら嬉しい。それに、ここの子供たちは数名いるけど学校に行けていないんだ。前に子供の夏休みについて話しただろう? アドレアでは休暇日数がバラバラだって。ここの子たちは夏休みどころか学校に行けない。これじゃディーの言っていた学校教育の平等化以前の問題だろう? 教育の機会は平等になくていいのか? だから……」

 話していて訳が分からなくなる。僕は、何について話している? あれ? 考え出すと混乱して言葉が続かない。そっとディーが抱きしめてくる。

「うん。ロイ。やっぱり、ロイだ。俺のロイだ」

 僕の頭に落ちてくる声。本当に僕はロイという人かもしれない。そう思い始めたけれど、さっきまで少し見えていた何かがもう分からない。抱きしめてくるディーにシロの僕は何も言えない。僕に回った腕に申し訳なかった。

 ゆっくり歩いて集落の料理小屋に行く。週六日はここでクッキーや饅頭パンを焼いていたから三日来ないだけで久しぶりに感じる。会う人皆が「ロイ王子殿下、ロイ殿下」と呼ぶ。違う。僕はシロだよ。ロイじゃない。

 もう誰も僕をシロと呼ばない。でも、ロイじゃなかったらどうするの? 僕がただのシロだったら、どうなる? 偽物って責められて殺される? 分からない恐怖に手を握りしめる。


 「クッキー焼くか?」

 薪オーブンのある小屋に入るとディーが聞いてくる。焼きたいけれど、そんな気持ちじゃなくなっている。

「小麦粉も砂糖も沢山ある。軍の移動キャンプに冷蔵庫持ってきているからバターも沢山あるぞ。ロイのクッキーは大人気だから……」

「焼かない!」

 言葉を遮るように声をあげていた。驚いて言葉を詰まらせるディー。いや、ディモン殿下だ。シロである僕にとってこの人は住む次元の違うディモン殿下。傍に居ていい存在じゃない。

「失礼しました。ディモン殿下の指示に、従います」

 皆がするように膝をついた。考えてみたら僕にとって自然な事だ。高貴な方と肩を並べてはいけない。

「え? ロイ、どうした? 何か不満か? ロイが使っていた道具や材料は持ってきているぞ?」

 すぐに膝をついた僕を立たせようとするディモン殿下。

「僕はロイではありません。あなたの横に並んでいいロイ王子殿下ではありません」

 静かな沈黙。

「シロ。シロと呼んでいいだろうか?」

 ディモン殿下の言葉にほっとする。

「はい。僕はシロです」

 ロイと呼ばれないだけで気持ちが安堵する。これでいい。そう思いながら胸のペンダントをぐっと握りしめた。膝をついて頭を垂れた姿勢の僕を見つめるディモン殿下の視線。見なくても分かる。悲しい顔をしている。ごめんなさい。でもシロの僕にはどうにも出来ません。自分でもどうしていいのか分からず混乱する。

 その日からディモン殿下には軍キャンプに戻っていただいた。もう横を歩くことはしない。直接お顔を見ることはしない。顔を合わせれば膝をつき頭を垂れて挨拶をする。殿下の後ろを歩き殿下の指示に従う。心が悲鳴を上げている。でも仕方ないよ。シロの僕にはどうにも出来ない。


 集落は見る間に綺麗に整備されていった。子供たちはふもとの学校に通い始めた。軍の浮遊移動車で送迎してくれている。

「学校って楽しい! 最高!」

「めっちゃうまい給食がでるよ!」

「色鬼って遊び知ってる? 尻尾取りごっこは?」

 生き生きと会話する子供が可愛い。見ていてほっとする。

「シロ、山の幸饅頭、焼けよ」

 アホのシロと僕を呼んでいた男の子に声をかけられる。

「ちょっと、そんな気分じゃないんだ。ごめん」

 動く気にならず下を向いて謝る。

「学校で言われるんだよ。あの旨い饅頭とクッキーはいつ売りにくるか聞かれるんだ。うちの集落で作っているのが有名になっていた。ちょっと嬉しいんだよ。シロが焼かなきゃ出来ないだろ?」

「もうアホって言わないから焼いてよ」

 子どもにせがまれて心が温まる。嬉しい。皆がシロを消し去ってロイばかりを求められて苦しかった。シロでも、今の僕でも居場所がある。心が震える。涙がこぼれた。

「ありがとう。ロイ王子殿下のクッキーじゃなくても、いいのかな?」

「ロイ殿下なんて知らねーよ。どこの国の王子だよ。シロの饅頭が人気だって言ってるだろ?」

 子どもの率直な言葉に癒される。嬉しくてぎゅっと抱きしめる。「気持ちわりーな! やめろよ、アホのシロ!」そう言って逃げる子供に笑ってしまった。心がすっと軽くなった。

「よし、特別美味しいのを作るぞ!」

 立ち上がると「やったー!」「学校で配るぞ~」と飛び跳ねる子供達。可愛くて久しぶりに笑った。笑うと背中の傷が痛んだ。

 手伝ってくれると言う子供たちと笑いながら薪オーブンの料理小屋に行く。歩いていく途中で集落の女性数名が「手伝うよ」「シロがやる気を出すの、待っていたんだ」と加勢してくれる。久しぶりの高揚感。

 夢中で作った。子供の笑いが楽しくて、手伝ってくれる女性たちが「シロ、これでいいかい?」と聞いてくれるのが嬉しくて。ふと、誰かに笑いかけたくなる。絶対に傍に居る誰か。小屋の出入り口に意識が向く。いるハズだ。ちょっとイタズラ心が芽生えた。フフっと笑いを噛みしめ手の中に一つまみの小麦粉。上手くいくと良い。静かに出入り口に行き、子供たちに「し~~」と合図を送る。みんなで笑いを噛みしめて頷きあう。

「ディー!」

 大きな声で呼んでみた。

「どうした!!」

 すぐに駆け込むディモン殿下に手の中の小麦粉を思いっきりかける。ブハッとむせ込むディモン殿下。「きゃ~~!」「やったーー!!」と大喜びの子供たち。あははは、と笑い転げる皆。口を開けたまま、髪が白くなっている殿下。たまらずに僕も笑い転げる。あ、背中が痛い。でも笑いが止まらない。

「はぁ? おい、どういうことだよ? ロイ、いや、シロ。お前、俺にイタズラか」

「あははは。その顔で怒っても怖くない。ははは!」

 小屋の中の笑いにつられてディモン殿下も笑い出す。よく分からない笑いで小屋が壊れそうだった。その後はディモン殿下が作業を慣れた様子で手伝ってくれた。横に居る殿下を見上げると心が満たされた。頭の小麦粉は僕が払った。いつも見上げる殿下の頭。傍にいると良い匂い。そのまま腕に抱き込んでしまいたかった。

 今日は午後に焼き始めたから販売に間に合わない。集落の皆に山の幸饅頭を配り、クッキーは明日学校で子供が配るように持たせることにした。余った饅頭パンとクッキーは全て駐留している国防軍が買い取ってくれた。久しぶりの収入に喜ぶ集落の皆。僕は、この人たちが生きるために饅頭パンとクッキー作りを伝授していこうと決めた。


 「背中が痛い。ちょっと無理したから」

「ばかだねぇ。肩の時にも無理するなといったじゃないか。王子殿下に来てもらうか?」

 オババに消毒してもらいながら答える。毎日が慌ただしくて忘れているけれど、まだクマに襲われて一週間。明日は背中の傷の糸をとる。それは軍の医師にやってもらう予定。けれど今日は動きすぎて背中全体が痛む。

「う~~ん、迷うなぁ。王子殿下様が僕のような流れ者を構っていいのかな?」

「お前アホか。アホのシロって本当だったとは……。王子殿下を頼るわけじゃない。お前が頼りたい相手に頼るんだよ。遠慮するな。逃げる口実を作るな。何が王子殿下だ。ただのシロが苦しいときに頼りたい相手は誰かって聞いてるんだよ! お前が傍に居て欲しいのは王子殿下か? ただのディー、か?」

「ディーだ。王子でも何でもない。ディーが傍に居て欲しい。オババ、ありがとう。少し分かった気がする」

「それでいい。あたしたちは絆で繋がっている。あんたを川から助けたのは、このオババだよ。助けたからにはシロの幸せを手助けする。シロの家族なんだ。大丈夫。お前は孤独じゃないさ。心が求める人に頼ったらいい」

 オババが優しい。嬉しくて泣けてくる。

「オババ、美味しいものと金儲け以外で僕に興味あったんだね」

「アホのシロが! 金が一番に決まっているだろうが。お前が元気にならんと金も旨い物も手に入らんだろうが!」

 オババを見て笑った。欲に素直な人だ。そして笑うと背が痛い。意地を張らずに頼ってみよう。心が求める人を。

「オババ体調良くなったらご飯作るから、ディモン殿下に連絡お願いしていい? 背中、診てもらえたら助かる」

「それでええ」ポンポンと僕の頭を撫でるオババ。オババは優しい。ベッドに横になっていると疲れで薄ぼんやりする。ジンジンする傷の痛みと疲れ。


 ガチャリとドアが開く。ディーだ。ウトウトしていた。

「ロイ……」

 切ない声。そっと額を覆う大きな手。優しい体温が懐かしくて心がほっとする。

「ほら、少し熱がある。昼間頑張りすぎたんだよ。ロイは、頑張り屋、だから……」

 言葉を溢すようにつぶやいて、途中から声が揺れる。あ、泣いている。静かに寂しそうに泣くから目を開けられなくなってしまう。

「もう、どこにも行くな。離れるな……、愛している」

 溢れるように言葉が降り落ちてくる。ディーの深い愛情が伝わってくる。心が、震える。横向きに寝ている僕の首後ろにそっとキス。ゾクリと背筋が震える。ブルリと身体が震えて「ふぅっ」と声が漏れてしまう。そっと目を開ける。

「あ、起こしてゴメン、シロ」

 僕を見るディーは穏やかな笑顔だった。目元に涙が光っている。そっと見ないふりをした。

「夜に呼んでゴメンなさい。あの、少し動きすぎたみたいで傷が痛いんだ。動くのも辛くてどうしたらいいか分からなくて」

「すぐに痛み止めを使おう。呼んでくれて良かった。シロのためなら夜中でも駆け付ける。一応状態を見たいから服を脱がすぞ?」

 寝たまま、そっと服を脱がされる。丁寧な手つき。優しいディーに全てを委ねる。フワフワした心地よさ。

「あぁ、傷が少し赤い。熱をもって腫れっぽい。すぐに医者に診てもらうから」

 そう言いながら背中を丁寧に触れていく。少し冷たい優しい手。

「いつもより手が冷たい」

「シロが熱っぽいんだよ。部屋、寒い?」

「少し」

「シロ、俺のところにおいでよ。温かいよ」

「うん。じゃ、行く」

「……本当に?」

「色々気持ちが波立つけれど、僕はディーの傍が一番いい。ロイじゃなくて、ゴメンね」

「シロが謝る事じゃない。俺が悪かった。今日のシロの笑顔を見たら満たされた。シロが生きていてくれて嬉しい。シロが笑ってくれて嬉しかった」

「じゃ、毎日小麦粉爆弾投げてあげるよ」

「ふはっ! そうだよな。お前はそういう奴だよ」

 面白そうに笑うディー。

「失礼します。ディモン殿下、ロイ様を診てもいいでしょうか?」

 医師が二名入室する。それだけでオババの家の僕の部屋はギュウギュウだ。

「シロだ。ロイと呼ぶな」

 ディーがすぐに訂正する。

「はっ。申し訳ありません」

「もう、いいよ。どっちでも、別にいい」

 不安だった気持ちもイライラもどうでも良くなっていた。熱が上がったのかフワフワする。

「あぁ、傷周りに炎症止めの軟膏を塗りましょう。明日糸を抜くかは腫れ具合ですね。打撲の部分も熱っぽい。数日は安静にしましょう」

「俺のテントにシロを連れて行く。オババに伝えてくれ」

「聞いとります。良くなったら食事を作りに来させてください。シロとの約束ですから」

 僕の周りで声が飛ぶけれど、だんだん頭がぼんやりして目が開けていられない。

「あぁ、ロイ様。待ってください。もう少し意識を保って。水分と薬が飲めていません」

 もう寝かせて。

「寝ていればいい。薬と…‥」

 しっかり聞き取れない。抱き上げられて知っている逞しい腕に安心する。そっと僕の唇に触れる柔らかいモノ。すっと水分が口に入る。あ、美味しい。数回口に含まれて「もっと……」と求める。「ロイ、ロイ」何度も僕を呼ぶ声。愛おしそうに抱きしめる腕。そっとゼリー状の何かも口に入る。甘くておいしいそれも飲み下す。「よく頑張った」僕を撫でる手。ヌルリと僕の口に入り込むモノ。コレ、知っている。これはディーの舌。いつも僕の中を暴いてくる気持ちいい舌だ。吸い付いて気持ちよさに恍惚とする。腰がジンと熱い。固い身体に軽く腰を押し付けると満足する。満たされる。そのまま意識を手放した。


 フカフカのベッド。久しぶりの柔らかい温かい布団。落ち着くディーの匂い。ディーの体温が気持ちいい。眠くて目が開けられない。ディーにしがみついて密着する。幸せだ。服が邪魔。温かいディーの肌にくっつくのが気持ちいいのに。はぎ取っちゃえ。もぞもぞディーの服を脱がす。大きな手が「こら。やめろ」「大人しく寝ろ」と声を出す。手が喋っている。可笑しいな。頭がふわふわする。背中の痛みが引いている。やけに身体が熱い。優しく僕を制しようとする手にガブリと噛みついてやった。僕の邪魔をするなよ。「おい! 俺を食べるな」手が居なくなり、やっと自由になった。ディーの服を取り払って胸に潜り込む。心臓の音が響く。逞しい胸や腹筋を撫でまわすと、ふと手に当たるディーの大きな男根。固くて大きい。ここもナデナデ。僕のも固くなっているよ。「おい、ロイ」声が落ちてくる。さっき邪魔する手は退治したのに、まだいたのか。違う。きっと今度はこの大きなディーの男根が喋っているんだ。僕もお喋りしなきゃね。ディーの男根を引っ張り出す。直接触るとビクビク跳ねて可愛い。でっかいなぁ。僕のも下着から出して突き合わせて「なぁに」ってお返事。ディーのモノと僕のモノをピッタリ合わせて腰をスリスリ動かす。あぁ、気持ちいい。でも、足りない。何か、お腹の奥が震える。もっと、何かが欲しい。その内に退治したはずのディーの手が、僕のとディーのを包み込む。腰が跳ねる。キモチイイ。けど、違うよ。もっと奥を突いて。お尻がヌルヌルする。そうだ、ここにディーが入るんだよ。大きな手をお尻に誘導する。「奥、入って。前みたいに、ぐちゃぐちゃに、突いて」訳の分からない言葉が漏れていた。「ロイ……」今度はどこが喋っているのかな? 「んぁ!」急な刺激に声をあげていた。後ろ、ディーの手がグイっと入り込んでいる。そう、ソコに来て欲しい。もっと。もっと僕を満たせるでしょ? 遠慮がちに内腔で動くディーの指。違うよね。もっと獣みたいに激しくしたじゃないか。物足りなくて腰を揺らす。「違う。コレ、コレ入れて」ディーの固いのをナデナデする。そうか、僕の男根で喋らないと伝わらないのか。「欲しいってば」僕の切っ先でディーの裏筋をツンツンする。ヌルついてズルっと滑るのがキモチイイ。ディー、返事は? ディーの大きなカリの先端を手で包んで返事を促す。「もう、限界だ!」あ、どこだ? どこかが喋った。ふわりと身体が動く。あ、ディーが離れちゃう、と思ったけれど僕はうつ伏せに優しく寝かせられて首後ろをゆっくり噛まれた。これ大好きだ。脳の中心まで痺れが駆け抜ける。キモチイイ。そして、お尻にディーのがヌチュっと当てられた。ぐぐっとディーの体重がかかる。


「ひぃあぁ~~!!」

 身体が跳ねる。苦しい! 一気に目が覚める。息が、息が出来ない!

「まて、ロイ! 力を抜け!」

 何? 何が起きている? 身体を貫く熱いものに悲鳴を上げてパニックになる。苦しさに涙が流れる。バタバタ手足を動かして、全身が力む。

「ゆっくり呼吸して、力を抜くんだ!」

 背中に体重をかけないように覆いかぶさるディー。その呼吸に合わせるように息を少しずつ整える。ドクドクと脈打つディーが僕の中にいる。繋がって、いる。

「そう、ゆっくり息を吸って、吐いて。すぐに抜くから。ごめん」

 浅く呼吸をするうちにズルリと抜け出るディー。何が、起こったのだろう? 全身の汗。ジンジンと熱を持っているお尻の中。涙の滲む目でディーを見上げる。裸のディー。僕も、裸。何がどうなっている? ディーは悲しそうな青い顔をして僕を見ている。そっとディーが入った場所を触る。ベトベトしている。ナニコレ? 混乱で言葉が出ない。

「ロイ、あぁ、ロイ。いや、シロ、すまない」

 この世の終わりのように涙を流して謝罪しているディー。ディーのこんな顔は見たくないよ。

「いい、よ……」

 一言を伝えると、襲い掛かる眠気に勝てず目を閉じた。


 熱が出て二日寝込んだ。僕、ディーとエッチな事をする夢を見た。とても夢と思えないリアルさ。お尻がモゾモゾして現実かも、と思うけれど恥ずかしすぎて確認が出来ない。とゆうか確認なんてずっとできないよ。集落の暮らしになれることに精一杯で性欲は二の次だったから溜まっていたのかも。ちょっと時々は抜いたほうが良いのかもな。ふう、とため息をつく。

「シロ、目が覚めた? 背中どう?」

 ディーのテントに来てから僕はお姫様のように扱われている。全てにおいてディーが世話を焼く。食事を口に運ぶことまでするから恥ずかしくて仕方ない。でも拒否できない雰囲気があって全ての世話を焼いてもらっている。

「今日はお風呂入る? 傷の糸も取れたし腫れも引いたから医者の許可が出た。久しぶりだろ?」

「うん。入っていいなら入りたい。薪の風呂?」

「薪? いや、移動用の浴室持ってきているよ。城のほど広くないけれど」

「城のお風呂か。想像できないや。お風呂は入って身体洗いたいかも。拭いてばかりだから汚いよね。臭うし」

「シロは汚くない。シロの匂いは良い匂いだ」

 すっと首元で匂いを嗅がれる。くすぐったいけれど嫌な気はしないから好きにさせている。ディーは首の匂い嗅ぎと首後ろの甘噛みが好き。集落の誰もしていなかった。ディーの癖、みたいなものかな。痛くもないし嫌でもないから好きにさせている。


 入浴は当然のことながらディーと一緒。恥ずかしい気持ちもあるけれど、男同士で気にするのも変だろう。お風呂を見て驚いた。移動用の狭い風呂だと聞いていたのに。四畳ほどのきらびやかな浴室。大人が三人くらいは入れる浴槽。シャワーが二つ。

「……ディーに薪風呂を知って欲しい……」

 ついぽつりと言ってしまった。

「うん。ぜひ一緒に入ろう」

 これには笑った。

「ディーは知らないから一緒に入るなんて言えるんだよ。薪風呂は人一人が膝を抱えてやっと腰まで入る狭さだよ。それでも数日に一回の貴重な事なんだ。こんなに沢山の湯で贅沢風呂したら集落の人に申し訳ない」

「そうか。これから変わるさ。鉱物エネルギーの設置がもうじき終わる。この鉱物エネルギーで電気が使える。動物除けにもなる。水も汲みにいかなくていい。川から水道管を通している。水質ろ過装置を設置して公共水道を料理小屋の傍に設置する。ここまで設置すれば各家庭に水道管を広げることは簡単になる。鉱物エネルギーと水があれば風呂もいつでも入り放題だ」

「へえ、すごいね。集落の皆が喜ぶ」

「おい、シロ。これは何だ?」

 ふと右肩の弓矢の傷にディーが触れる。

「あぁ、僕は弓矢が刺さった状態で川に流れて来ていたらしいよ。ここは矢が刺さっていた場所。少し切り開いて取ってくれたって」

 悲しい顔でそっと傷に触れるディー。

「痛かったな」

「一か月くらいは腕が動かせなかったよ」

「もう、痛くないか?」

 ディーには隠さないほうがいい、かな。正直に言うことにした。

「時々痛むよ。重いものを持つとか、動かす角度によって痛い。本当は腕が真上まで挙がらないんだ」

 ははっと笑って伝える。そうか、と笑ってくれると思ったのに、ものすごく怖い顔をしているディー。僕の傷を触る手はとても愛しんでいるのに、怒りが滲み出ている表情に恐怖で心臓がバクバクする。怖い。

「ディー?」

 小さな声で呼んでみた。声が震える。

「あ、ゴメン。つい俺の大切で愛するロイを、シロを射貫いた奴のことを考えてしまった。八つ裂きでも足りない。どうやって報復しようかと、真剣に考えていたよ」

 言葉に本気が込められていて何も言えない。ただ、ディーを見つめた。

「さぁ、まず温まろう!」

 僕に顔を向けたディーは優しい笑顔だった。


 一緒に湯に入る。滝のように湯をかけられて大笑いする。楽しい。僕もディーに湯をかける。その内にディーに抱き寄せられ、濃厚なキス。ぼうっとすると前向きに抱きかかえられて、首後ろをぐっと噛まれる。温かい湯の中でしびれるような快感。喉から洩れる声が響いて腰にくる。緩やかに起ちあがる僕の男根。すぐに気が付いたディーが手で包む。大きな手がゆっくりしごく。首を噛まれて恍惚としている時の刺激に目の前がチカチカする。ふと僕の手がディーのに触れる。固い。逞しい起立。黒い茂みも豊かで男性的。ゾクリとする何か。

「一緒に、したい」

 そっとお願いしてみた。ディーは耳元で「もちろん」と囁く。それだけでイキそう。身体がブルブルする。向かい合わせに抱き合い、互いの起立を一緒に握り込む。しごいて先端をいじる。気持ち良くて腰が揺れる。ディーの腰も揺れている。一緒だ。一緒にキモチイイ。心が満たされる。嬉しい。自然とディーの口にキスをしていた。口を合わせて舐めあって腰をこすりつけ合わせる。湯が揺れる。我慢できず小さな悲鳴を上げて達してしまった。熱い。息が上がる。僕の身体に大きな起立をこすりつけて、ディーが達する。しばらく息を整えて、至近距離で目線を合わせる。あはは、と笑いあう。懐かしいような感覚。

「あっつい、のぼせるよ」

「水だ。水シャワーを足だけかけよう」

 二人で湯から上がり身体を冷やす。水の冷たさに笑う。ディーといるとすぐに笑いが生まれる。満たされて幸せだからかな。逞しい身体に抱き着いてみる。落ち着く。

「おい、ロイ、じゃないシロ。身体洗うぞ~~」

「もう、ロイでいいってば。こうして肌を合わせると安心する。嬉しくて幸せなんだ。これはロイがディーといて幸せだったからだと思う。記憶がないけれど、ロイはきっと僕だよ」

 そうか、とぎゅっと抱きしめられる。耳元に「愛している」と言葉が落ちてくる。心に響く言葉。「僕も、同じだ」そうつぶやくと、そっと首後ろにキス。気持ちいい。ふふっと笑いが漏れる。

 その後はモコモコの泡で全身をくまなく洗ってもらった。抵抗せずにすべて任せると幸せそうに僕を磨き上げるディー。王子の威厳はどうしたんだよ。僕なんかに尽くしていていいのかよ。可笑しくて笑った。最高のお風呂だった。

 湯上りで、「長湯をしたら傷に悪いからダメです!」と医師に注意された。本当、その通りです。


 その日から寝る時にはベッドでディーと抜き合う。ディーの男っぽさに心臓がドキリとする。本当は舐めてみたいな、と思ってしまう綺麗な起立。カッコいい。こうすることに抵抗がなく、それどころかしっくり来る。これで良い、そう思えた。ロイもしていたんだろうと自然に思った。


 結局「安静だ」と甘やかされて五日間をディーのテントにこもっていた。この五日間で恋人のような存在になっていて照れくさい。恋人、だろうな。顔がにやけてしまう。


 「あ、シロ。もういいの? 無理しすぎたのね。心配していたのよ」

「はい。ご心配おかけしました。もう、すっかり大丈夫です」

 集落を散歩すると皆が声をかけてくれる。優しい顔。優しい言葉。嬉しくてディーを見上げる。ディーも優しい顔で嬉しそうに僕を見る。

 鉱物エネルギーの動力所に案内してもらった。集落の外れにコンクリート製の小屋。農作業道具小屋のような大きさ。その中に小さな箱。

「え? 動力エネルギーって、これ?」

「そうだ。特殊な鉱物の中に含まれる物質を抽出して化学反応を起こしエネルギーを作り出している。循環再生エネルギーにしていて半永久的な動力になる。定期的な確認と安全停止装置の手入れのために半年に一回程度メンテナンスがいるが、コレは国が責任をもって行っている」

「詳しいことは分からないけれど、本当に、コレがそうなの?」

 僕の目の前には五十センチの四角い白い箱。

「特殊な素材でエネルギーの放出を防いでいる。獣の襲撃や地震、土石流が来ても壊れない。ここから、エネルギーを充電して使用する。各家庭の照明や火力、様々な動力になる」

「暮らしが楽になるんだね」

「そうさ。都会じゃ地下に埋め込んでエネルギーを送信し続けることで連続した動力を確保している。だけど、ここなら充電式にしたほうがいい。そうすることで浮遊移動車も乗り放題だ」

「浮遊移動車、ここに置いてくれるの?」

「もちろん」

「嬉しい! 子どもたちの通学も出来る。街への交通が楽になる。もっと集落が豊かになる!」

「この集落はシロの恩人たちだ。国を挙げて感謝を伝えていきたい人たちだ。大切な存在だよ」

 ありがとう、と抱きつく。抱き着くときはディーの脇を抱き締める。本当は首に腕を回して首に顔をうずめたい。でも、右腕が挙がらないから仕方ない。

「アドレアってスゴイね。人が幸せになるために努力している。国民のために国が動いている。優しい国だ」

「ロイがそう言ってくれて嬉しいよ」

 ゆっくりと歩きながら料理小屋に行く。

「え? これどうしたの?」

 料理小屋が拡大している。リフォームされている。薪オーブンはそのままに、もうひとつ。大きなオーブン。スイッチで動く最新型。その横には火力調整の出来るコンロが六個付いた大型キッチン。

「薪を使う方がいいこともあるだろう。だけど、雨でも雪でも簡単に使えるキッチンは役に立つと思う」

「その通りだよ! コレは嬉しい」

 新しい広いキッチンにワクワクする。早く何か作りたいな。そっとキッチン引き出しや棚を見ると調理器具が沢山そろっている。大型保冷庫もある。これならこの集落の人たちが困ることは無い。薪を運んで必死でオーブンの温度を上げていた苦労を思い涙が滲む。

「シロ、起きられるようになったのね」

 一緒に山の幸饅頭やクッキーを焼いていた女性が数名小屋に来る。

「はい。ここ、すごいですね。こんなに綺麗になって」

「ここだけじゃないの。それぞれの家も変わったよ。こんな限界集落で頑張れないって思うこともあったわ。でも、神様は見捨てなかったのね。シロは幸運の使いだわ。まだココで生きる希望が見えたの。ありがとう」

 笑う女性たちにつられて僕も笑う。

「そうだ。僕は山の幸饅頭とクッキーを皆さんに伝授しなきゃ。これが集落の収入源として安定させるために皆さんが作り手になってください」

「そうよね。ロイ王子殿下、ですもの。本当はこんな場所に居ていい人じゃないのよね」

 そっとディーを見上げる。にこりと笑うディー。

「まだ、ロイの記憶はないし自覚もないけど。でも、僕はディーについて行こうと決めました」

 惚気たな、この~、とヤジられて恥ずかしかった。この明るさに救われる。明日から山の幸饅頭とクッキー作りを再開しましょう、と約束する。


 見慣れた集落外れの小さな家。外から見て驚く。外壁が綺麗になっている。ただの板だったのに、頑丈な外壁版で覆われている。屋根も綺麗。これなら隙間風も雨漏りも心配ない。

「ただいま。オババ」

「シロ、お前もういいのか? ほら、茶を入れるから入りなさい」

「ありがとう。もう背中の傷は良いよ。心配かけてごめん」

 玄関を入ると床も壁もリフォームされていて見入ってしまった。

「いつやったの?」

「お前が殿下のテントに行った次の日に、山ほど人が来て三日で綺麗にしてくれた。いや、都会の技術はすごいもんだ。風も入らんし、音も静かだ。ほれ、この動物エネルギーってので薪を使わなくても火は使えるし、室内の温度も管理できるらしい。世の中は進んでいるねぇ。さすがアルファ様のいる国だ」

 ははは、と笑うオババ。

「オババ、動物エネルギーじゃなくて鉱物エネルギーだよ。それにアルファ様って何?」

「コウブツでも何でもええ。それにシロはアルファ様も知らんのか。この国はな……」

「オババ、もういいだろう。細かいことはいい。この集落の全ての家を住みやすく改装しているから好きに使ってくれ。俺はロイを助けてくれた礼をしているだけだ。集落全体が生活していくのが楽になればいい。あなた方の親切でロイは救われた。本当にありがとう」

「王子様のサービスなら遠慮なく受け取っときます。歳をとると暮らしにくい山ですから。旦那は先立っていますし、家の修復まで出来なかったから助かりました。ありがとうございます。何でも貰えるもんは頂戴します」

 さすがオババ。強欲さを隠さないところが面白い。オババを座らせて、僕がお茶を入れる。ただの薪ガマのあるだけのキッチンが激変している。水道もある。

「ディー、オババの家の水道は飲み水に使える?」

「もちろん。オババの家には優先的に水道管をつないだ。どの蛇口も飲料水が出る」

「すごく助かる。川で水を汲んで煮沸消毒して飲み水にしていたから。僕がいなくなったらオババが困るところだった」

「アホのシロ! あんたは寝ていることも多かったじゃろうが。その間の水くみも世話もあたしがやってたんだよ。山暮らしのオババを舐めてもらっちゃ困るね。ひょろっひょろのシロよりかは体力あるわ! 困る事なんかあるか!」

 オババを見て笑う。確かに。多分七十歳くらいに見えるけれど背筋はまっすぐ。逞しいオババを見ると僕なんかより生き抜く力がありそうだ。

「そうだ、オババ。シロの肩に刺さっていた矢はとっておいてあるか?」

「もちろんですとも。金になりそうなものを捨てるもんか。上等な物だったからね」

「それを売ってもらえるだろうか?」

「王子殿下になら譲りますよ」

 席を立ち自分の部屋に行くオババ。すぐに戻り手に金属の矢を持ってくる。

「羽の部分は折れておるけれど、見事な銀製だからねぇ。その内、集落の若いもんに売ろうかと思っていた」

 矢を見るとゾクリとする。白く輝いている。先端は獲物から抜けないようにギザギザさせてある。どこかで見たことがあるような気がする。これで射られたと思うと、きっと僕の事を殺すつもりだったのだろうと思える。見ているのが辛くて、そっと目を逸らす。

「ロイ、見たくないよね。ごめん」

 細い金属の棒のような六十センチほどの矢。ディーがそっと持つ。玄関から「失礼します」と入ってくる軍人二名に矢を渡している。僕は矢が見えなくなってホッとした。

 銀に輝く矢。ボーガンのような独特な細い矢。僕の国では一般人は黒い金属製の矢か木製を使う。輝くあの矢は一部の者しか使用しない。僕は知っている。そんな考えが過り、僕の国ってどこだろう? と疑問に思う。見えかけた何かがまた消えていく。

「ロイ、おい、大丈夫か?」

 呼ばれて目線を上げるとディーとオババが心配そうに見ている。

「あ、うん。今、何か見えた気がするんだけど。分からなくなって」

「無理しなくていい。思い出さなくても思い出してもロイの居場所は俺の傍だ。俺の横で笑っていればいい。二度と怖い思いはさせないから」

 頭をポンポンされる。大きな手だな。

「オババ、矢の代金はいかほどにしよう。言い値を払う」

「そりゃ、あんな綺麗な物ですしねぇ。そうですねぇ。まぁ、二百万円くらいはいただいてもいいかと思いますがねぇ」

 王族だと思って吹っ掛けている。二百万円は言い過ぎだろう。あきれてオババを見た。

「では、四百万円支払う。大変貴重なものを保管してくれていて助かった。礼を言う」

「はぁ!? 四百万? ひぇぇ」

 オババはびっくり仰天してしまっている。

「それに、ロイを助けた謝礼金を金貨で上乗せする。俺にとってオババは恩人だ」

「はわわ。そんな、そんな金があったら強盗に会うにきまっとる! 金は持ちすぎたらいかん! あたしは四百万だけしか受け取らん!」

 強欲オババが遠慮するなんて。面白くて笑ってしまった。無線のようなものでディーが連絡するとすぐに人が来てオババに現金で四百万円渡していく。オババは頬を染めて「大金だ」と大喜びしていた。食事を作ろうかと思ったのに、金を隠すから帰れ、と追い出される。

 ディーと笑いながらテントに帰った。久しぶりに外を歩いて気持ち良かった。寒くなってきた風。途中でディーが上着をかけてくれる。ふわりとディーの香りが僕を包む。集落の人の笑顔。集落の人たちとすっかり意気投合して笑いあっている国防軍人。子供の声。温かい気持ちになる。


 翌日から一か月かけて山の幸饅頭の作り方とクッキーを数種類、集落の人に教え込んだ。別れが寂しかったけれど、前に比べて皆の顔が明るくて嬉しかった。僕が来たことで生きて行く道が見えたと言ってもらえた。子供たちは学校に毎日通い続けているし、移動浮遊車でクッキーや饅頭の販売に行くようになり、販売先の街に店を作る話も出ている。今後が楽しみだ。またディーと遊びに来ることを約束した。

 オババは泣いた。「人には背負うものがある。逃げるも向き合うも自分が決めればええ。ただ、あまりに大きな荷物なら誰かと一緒に背負ったらええ。殺されそうになったら、またここに逃げ込めばええ」別れ際に僕に向けた言葉が心に刺さっている。オババは優しい。出会えてよかった。オババに「また来るから元気でいてね」と言ったら、「都会の土産を山ほど持ってこい」と言われた。さすがオババだった。


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