第4話 突然の別れ
アドレアでの生活が二年目。僕は二十歳。ディーは二十一歳になった。毎日が楽しくて、お金を数えなくても幸せな日々。気が付いたら貯金も結構な額になっていた。母を連れてどこででも生活できる。だけど今では母をアドレアに呼び一緒に暮らそうと決めている。僕はディーのいるアドレアで暮らす。
ディーが二十一歳を迎えた翌月に僕はまた倒れた。今度は二週間意識が無かった。覚えていないけれど階段から落ちたらしい。意識が戻ったときに、またしても泣きそうなディーの顔。そして生死をさまようと見てしまう淫夢。数日間をひたすらディーとセックスするドロドロな夢。思い出すだけで顔から火が出る。お腹の奥がキュゥっとする。
僕はディーがかけがえのない人だと気づいている。包み込むように優しさを与えてくれるディーが好きだ。毎日のキスも抜き合いっこも後ろ首を噛まれるのも、僕が全て許すのはディーだからだ。他の誰とも出来ない。ディーだけだ。だから生命の危機でディーに抱かれる夢を見る。分かっている。
僕はディーを愛している。
「ディー! 大変だ。母が危篤らしい!」
リーベント国からの急ぎの親書。僕あてに届いたそれは母の状態が悪い事を伝えるものだった。急に倒れて意識が無い状態らしい。
「ロイ! 慌てるな。まず情報が正しいか確認する」
「どうやって? 今すぐリーベントに僕を帰して! お願いだ!」
「待て、軍部に聞いてくるから!」
すぐに部屋を飛び出すディー。追いかけようとしたが恐ろしい速さで追えなかった。
小一時間で戻ったディー。青ざめている。
「本当に、母は危篤なんだね?」
「あぁ。三日前だ」
「すぐに母のもとに行きたい。お願いだ!」
「分かった。父王に連絡する。帰国の打診もする。支度を整えておくといい」
電報やり取りで僕の一時帰国が決定した。母に会いたい一心だった。詳しい病状が全く分からない。そこにはディーも触れない。国境までディーが移動浮遊車で送ってくれた。最速移動して二日かかった。国境でディーと別れる。他国の王子であるディーは突然の入国が出来ない。
「母が回復したら戻るから。ディー、待っていて。僕はアドレアで生きて行きたい」
「分かった。待っている。ロイ、俺はお前を愛している。戻ったら話したいことがある」
「うん。僕もディーを愛しているよ。きっと同じ気持ちだって思っていた。嬉しい」
浮遊移動車で抱きしめ合いキスをする。僕の向きをぐるりと変えて首を噛むディー。陶酔するような痛みが嬉しい。自然と涙が滲む。
「必ずディーのもとに戻るから」
その時の別れは自分の半分を置いていくような心が震える瞬間だった。僕を見送るディーの姿が脳に焼き付いている。
国境付近でリーベントの迎えの馬車に乗る。とにかく飛ばしてもらった。以前のように虚弱じゃない。馬車の揺れにも耐えられた。リーベントの城まで四日かかった。急いで奥の宮の母のもとに向かう。
「戻りました! ロイです。母は?」
「ロイ様。リアム様はこちらです」
青い顔のジョイ。使うことの滅多になかった玄関横の応接室に通される。久しぶりに見るジョイはやつれて小さくなっていた。その様子に身体がガタガタ震えた。
信じられなかった。顔に布をかけられた母。冷たい身体。何とか頑張りましょう、と微笑んでいた顔が冷たく目を閉じている。
「昨日の昼間でした。ロイ様が間に合うようお声をかけ続けておりましたが、我々の力不足で申し訳ありません」
隣で泣くジョイを見ていた。嘘だ。目の前がガラガラと崩れおちる。母と一緒に王宮を抜けて生きて行くことが夢だった。僕の唯一の希望だった。楽しみねって笑う母が好きだった。生きるための力をつけましょう、と笑っていた母。母が居なくては生きてこられなかった。
「母さん……」
そっと声をかける。冷たい手を触り、悲鳴のような声をあげて泣いた。数時間、母の傍で泣き続けた。
「ロイ様、リアム様とお別れが済みましたらお話があります」
もう少し放っておいて欲しい。でもコクリと頷く。
「リアム様は毒を盛られました」
え? なに? ゆっくりとジョイを見る。
「私共は細心の注意を払い毒物や侵入者が無いようにリアム様とロイ様を警護してまいりました。この室内は数名の信頼のおけるスタッフですが、室外の警備は常に数十名体制でした」
意味が分からずジョイを見る。
「これは国王陛下の指示でございました。この先は極秘の情報です。国王陛下のお子様はロイ様ただおひとりです。王妃と第一公妾の子は国王の子ではありません。国王様は権力争いが嫌で侯爵家伯爵家のどちらにも世継ぎを生ませないように配慮していました。夜伽は形だけしていました。ところがお二人とも出産をする。それが意味するところは、分かりますね?」
「え? 他の人との子を作っていたって事?」
「はい。国王の夜伽で子種を受けていないと気づいた王妃と第一公妾は、そのタイミングに合わせてほかの男性との関係を持ったのです。国王が言い逃れ出来ないように時期を同じにして」
「そんな。そんなこと許されることじゃない……」
国を裏切る行為になる。恐ろしくて手が震える。
「そうです。王妃と第一公妾はロイ様だけが国王の血を引く正当な世継ぎと知っていた。だからこそ常に暗殺を企てていた。国王様はあなた方二人を絶対に守り抜くと心に決めておられたのです。嫉妬を煽らないように分からないように見守っておられた。あの方に出来る最大の愛情表現でした」
真実に言葉が出ない。何て言っていいのか分からず、ただ聞いていた。
「アドレアに行く道中も狙われないよう近衛兵の警備付きで最速のルートでした。ロイ様には辛い道中になったと思います。ですが国王様は常にロイ様をお守りしておりました。ロイ様がアドレアに行き、リアム様はロイ様のお手紙だけが楽しみになっておりました。花の咲いたような笑顔でロイ様のお手紙を読んでいました。私はその手紙をそっと国王様にもお見せしていました。国王様もお幸せそうに微笑んでおられました。しかしその手紙が第一公妾に見られてしまったのです。ロイ様が国賓として大変おもてなしされている様子が面白くなかったのかもしれません。また、アドレア国の次期王妃に自分の子供を据えればリーベントの王妃を出し抜けると思ったのでしょう。国王様にアドレアの人質を王女と交換するよう要求するようになりました。そうしてリアム様が狙われました。毒を盛り殺してしまえばロイ様が帰国する。そのタイミングで人質交換する。ロイ様は帰国中に消してしまえばいい、そんな考えだと思います」
「そんな……。急すぎて、よく分からないよ」
僕は国王陛下から贈られたブローチの土台に彫ってあった文字を思い出していた。あれは、そういう意味だったのか。冷たくなった母に「母さんは愛されていたんだね」と思いを伝える。
「ジョイ、僕はどうしたらいい?」
情けないけれど声が震える。
「逃げてください。少しでもリアム様と最期の別れの時間を。それが国王様の願いです。ここに居るだけでロイ様が狙われます。帰国して入城したことはすでに周囲に知られています。どんなに注意してもリアム様は殺されてしまった。少し部屋でお休みになったらすぐに支度をしてください。アドレアに戻るのです。あなたはリーベントに縛られなくていい。自由に幸せになるように、と国王様からです。ロイ様、生きぬきましょう。あなたの幸せがリアム様の願いです。城の脱出通路は覚えていますか?」
「脱出? あ、昔ジョイが秘密の通路って教えてくれた?」
「はい。アドレアまでの道は私がご一緒します。ですが、何があるか分かりません。必ず生きるのです。昔こっそり教えていた乗馬は出来そうですか?」
「できる。アドレアで護身術や馬術も習った」
「あぁ、ありがたい事です。ご立派な青年になられて……。秘密の通路出口に馬を用意してあります。秘密の通路は黄色ですよ。覚えていますね?」
「うん。ジョイ、ありがとう。僕と母を守ってくれていて」
「とんでもありません。私は国王様の命を受けただけです。愛情は深く隠れて見えにくいときもあるのです。リアム様にもお伝えしたかった」
涙を流すジョイ。
「さぁ、ここは残る侍女に任せて、気持ちを切り替えましょう。お支度を」
残っている侍女に母を頼んだ。三名の侍女は皆涙してくれた。感謝を伝えて、陽の光のあたる場所に埋葬してほしいことを伝えた。城の外に出してあげたかった。母と小さなお菓子屋を開きたかった。明るい顔で外の様子を話していた母。母さん、ありがとう。
母の部屋に行き国王陛下から贈られたと言っていた指輪を一つ手に取る。形見に持っていこう。準備していた脱走セットにそっとしのばせる。さっと中を確認する。期限切れの乾燥食品を急いで入れ替える。母が自分の脱走のセットを用意しているのを知っているから、そこから乾燥食と水をもらう。馬で急いで四日分。母の好きな乾燥フルーツも入っている。それを見てジワリと涙が滲む。
「ロイ様! お支度は大丈夫でしょうか? 今、外玄関前に第四王子カイン様が見えております。ロイ様に挨拶を、を申しておりますが室内に入れたら何をされるか分かりません。王宮に向かい不在ということにします。しばらくはこの部屋にお隠れになってください」
「わかった」
これまで一度も第一公妾母子が訪ねて来たことは無い。どうして今? しかも正面玄関からではなく外玄関。ぞっとする。
しばらくすると小さな悲鳴やバタバタと足音。何があった? 室内のバタバタはすぐにおさまったが、怖くて三十分ほど母の部屋のクローゼットに隠れていた。
「ロイ様、いらっしゃいますか?」
小さな呼び声。この声、料理人だ。どうしよう。ジョイじゃない。返事していいかな?
「すみません。私はキッチンと食堂以外詳しくなくて。ロイ様、いらっしゃるなら今のうちに出てきてください」
この料理人は生まれてから毎日僕たちに寄り添ってくれた人だ。きっと大丈夫。ドキドキしながら、そっとドアを開ける。
「あぁ、良かった。良かった。ロイ様。ご無事でしたか」
口数が少なくいつも話をしない料理人トムが泣いている。
「第四王子殿下が来て、ジョイを連れていきました。第四王子殿下たちと話をしている最中に急にジョイが倒れました。第四王子たちが、過労だ! 大変だ! とジョイを運び出してしまいました。この居室の安全は全てジョイが担っております。彼が居なければ、我々は陛下への連絡もできず、室外警備の誰が信用できるかも全く分かりません」
青い顔で震えるトム。そうか。そう来たか。この第二公妾邸内はすべてジョイが仕切っている。ジョイさえいなければ侵入でも暗殺でも簡単に事が進む。
「ありがとう。僕はもうここを出る。ジョイが無事であるように願う。どうか皆も無事で。これまで長い間、ありがとう」
母が脱走リュックに忍ばせていた宝石とお金を彼に託す。皆で分けるよう伝えた。これまで尽くしてくれたお礼として。
「私はロイ様と奥様の笑顔が好きでした。料理もお菓子も優しい味がしました。どうか幸せになってください」
つられて泣きそうになるが涙をぐっとこらえる。ジョイが居ないなら自分一人で何とか乗り越えなくては。僕が着いて数時間でジョイを攫ったことを考えると、ゆっくりしていられない。
「持ち場に戻って。僕の行き先は知られたくない。いまから三十分は使用人部屋から出ないように皆に伝えて」
「わかりました。お元気で」
コクリと頷く。
やるしかない。一人でアドレアに、ディーのもとに戻ろう。心臓がバクバクする。大丈夫。国内の主要な道は頭に入っている。地図もある。いつも脱走の想定はしてきた。脱走リュックを背中に担ぎ書庫へ向かう。小さな書庫。本が傷むため光を入れないよう小さな通風口だけの部屋。その部屋のデスク下に隠し地下通路がある。幼いころに何度か「秘密の抜け道探検」としてジョイと通った。絶対に内緒の場所。今ならわかる。脱出の練習をしてくれていた。明かりのない真っ暗通路。特殊眼鏡をつけると足元の塗料が光って見える。ここで明かりをつけてはいけない。光が漏れたら居場所がバレてしまう。ジョイが昔に言っていた言葉が頭をよぎる。足元の三色の色。途中三つに分かれる道。城外に脱出は黄色。黄色の上を歩いていく。足元の線以外に何も見えない空間。幼いころは怖くて泣いた。でもジョイが居てくれたから平気だった。時には母とここを通った。一人で通ることは無かった。暗闇と孤独に心臓がドクドクする。黄色の道、こんなに長かった? 不安もせり上がる。早歩きして二十分。階段に行きあたる。出口だ。心臓がドキドキする。出口は国立公園の小屋に繋がっていたはず。そっと外に出ると小屋の中に二頭の馬。鞍がついていてすぐに乗れるようにしてある。鞍には馬の餌をつけてある。さすがジョイ。よろしくな、と馬を撫でると黒い大きな瞳で僕に顔をすり寄せる。仲良くやれそう。
小屋の外をそっと見る。まだ日が高い。ちらほら人が見える。ここは夜間人の出入りが少ない公園。明かりを無くすことで野鳥や自然生物保護をしているから。逃げるなら夜。小屋の中でじっと待つ。人の声が怖い。暗殺者かもしれないと思うと心臓の音が耳元に響く。緊張でひたすら変な汗がでる。
もう一度リュックの中を確認する。寝る時に野宿で使える防寒マント。着替えが一式。水と食べ物。サバイバルナイフ、ライターに小型照明。貯金してきたお金。宝石の半分はアドレアに置いてあるけれど、逃げるだけならコレで十分だろう。とにかくディーのもとへ。生きたい。ディーを思うと首の後ろがジンジンと熱を持つ。そっと手で触り寂しさにホロリと涙が落ちる。ディー、怖いよ。寂しい。震える身体を自分で抱き締める。
胸のペンダントを握りしめて、無事にアドレアに着くことだけを神に祈った。
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