第2話 アドレア国第一王子ディモン

  アドレア国は山脈に囲まれた乾燥の国。風が強く作物が育ちにくい。国土は広いが、交流を持つ利点が無いと他国から排除されていた。隣国への支援要請もことごとく断られてきた。陸地の中の孤独の国。飢えに苦しむ国民をどうにか救いたかった。

 百年ほど前、王族が決意を固め恵みの神に助けを求め願った。どうか我が国を豊かに。食べるものに困らない生活を。


 神は応えた。国を救うには神の力ではない。人の力でどうにかせよ。だが、見捨てるのも忍びない。その助けを与えよう。アドレア国民の中に特別に優秀な「アルファ」の血を持つ人間を授けよう。アルファは全てにおいて卓越した能力を持ち国の助けになるだろう。だたし、アルファには弱点もある。発情期と言う獣の性を持つことになる。この発情期は番になるオメガにしか癒せない。オメガはアルファが生み出す。気に入った人間一人だけを自分の番としてオメガに作りかえるのだ。唯一決めた人間の首後ろを噛むことで、アルファのフェロモンを流し込み、人をオメガに変える。オメガはアルファと共に生き、獣の性である発情期を癒す。アルファは人の世の発展に役立つだろう。だが、このオメガが居なければアルファは正気が保てない。さあ、どうする? 神の力を借りるか?


 当時のアドレア国王は感謝して受け入れた。それで国が、国民が救われるならいい。できればアルファの苦行は王族や貴族に与えてください。国民にこれ以上の苦痛は与えないでください。

 この願いも聞き入れられた。人々は歓喜に沸いた。これからこの国には未来がある。夢が持てる。今が苦しくても、先が明るい。助けてくれない隣国より神様は優しい。そして全てを請け負ってくれる王族と貴族に感謝を。


 それから、貴族や王族にアルファが生まれるようになった。アルファの特徴は特別に優秀な人間。知能の高さ。身体能力の高さ。どれをとっても人間レベルではない存在。そのほとんどが十八歳を過ぎると発情期と言う獣のような時期を迎える。発情期が来ることでアルファと確定される。発情期がくると早急に番となる人間が選定された。番となる人間の後ろ首を噛む行為は、人をオメガに生まれ変わらせる神聖な儀式とされた。アルファもオメガも神の子として神聖な存在と位置付けられた。アルファのおかげで科学工業の発展が進み、乾燥地での農作物の栽培、水脈の確保、土地の緑地化、ガス燃料や鉱物エネルギーの研究などアドレアは目まぐるしく成長した。数十年でアドレアは大国になった。豊かになった。幸せだ、と国民が笑顔になった。飢えることがなくなった。


 国が発展すると、これまで見向きもしなかった周辺国から友好の親書が届くようになった。都合のいい話だ。隣国たちは知らないだろうが、周辺国の情報は全て把握している。小型偵察機器による情報収集をしているから。軍事力や国力、内政状況まで。情報は物事を進めるのに必要な武器になる。これらも全てアルファの功績。

 アドレアにとってごく少数のアルファは存在するだけで尊いものになった。そして、最高の国家秘密でもある。他国にアルファを奪われるわけにいかない。


 アドレアの成人年齢はアルファの発情時期に合わせて十八歳に下げられた。また、選ばれない人間が間違って首を噛まれないように、アドレアの正装は皮の保護帯を首に装着するよう定められた。これは、オメガになりたい人間が暴走した歴史があるから。現在はそのような事件もなく、普段の生活で首の保護帯を装着する風習は無くなっている。


 俺はアドレア国第一王子として生まれた。父王はアルファ。母はオメガとなった女性。王子は俺一人だけど、俺がアルファであることで国中が喜んだ。アルファで王子なら王位継承に何の問題もない。ただ、俺は人を好きになるという感情が乏しかった。ずば抜けて知能発達が良く、十二歳で浮遊移動車や鉱物エネルギー開発分野において百年先の発展と言われる功績を出している。大概の事はこなせてしまうし、十五歳で毎日につまらなさを感じていた。女性も男性も、全てが興味を持てない存在だった。

「ディモン殿下、そろそろ番となる人間の選定をしないといけません」

「ディモン様の発情期を乗り切るための番を」

「これまでのアルファの中でも特にご優秀なディモン様が正気を失っていくのは、国のためにも良くない事です。あなた様は次期国王なのです」

 必死で説得に来る貴族。時には父王や母も俺に見合いや顔合わせを勧める。使用人を使って色仕掛けしてくることもあった。頭にきて俺の部屋には俺以外出入り禁止を言い渡した。毎日がイライラした。嫌でも来年には十八歳。発情期、どんなものなのか。獣の性欲なんて言っても要は抜いてりゃいいんだろ? 本当に独りでは乗り切れないのか。

 経験する前は簡単に考えていた。


 十九歳の誕生日を過ぎて翌月。それが突然来た。目の前が燃え上がる衝動。全てをなぎ倒して破壊したくなる衝動。持てる力全てを使って人を食い殺したくなる衝動。その狂うような全てが性欲と重なって高ぶった。

 気が付いたら地下牢だった。地下牢の壁は破壊されて鋼鉄の檻もひしゃげていた。だれも周囲に居ない。檻の鍵は壊れていた。這いつくばって地上に出た。疲労感と全身の痛みに立てなかった。出てきた俺を見て周囲に居た兵士が悲鳴を上げて逃げ惑う。まって。助けてくれ。それ以上動けず意識を失った。


 それから翌日に目覚めると、国王陛下に貴族のアルファが二名傍に居た。皆ケガをしている。

「父上、そのケガは?」

「覚えてないのか。お前は一週間前発情期に陥った。その攻撃性はすさまじく、様々なものを破壊した。我々アルファが総出で取り押さえて地下牢に入れた。ディモン、可愛いディー、お願いだ。オメガを作ってくれ。二度目は、どうなるか。死人が出るかもしれん。これは神との契約なのだ。神から授かったアルファには番のオメガを。どうか国のためにもオメガを作ってくれ」

 ボロボロの父王と貴族たちに悲しい顔をさせている。自分でもあの衝動性が怖かった。思い出しても心が震える。俺は、誰も殺したくない。人を傷つけたくない。

「父上、俺はオメガを作ります。申し訳ありませんでした」

 周囲にいる人にも頭を下げる。皆、いいんだよ、と優しく許してくれた。


 それから見合いを沢山して男女問わず人に会った。でもどの人間にも心が動かない。アルファが番を見つけると犬歯が伸びてフェロモンが出るから分かるはず、と他のアルファが揃って言う。しかし、俺の犬歯は全く反応を見せていない。人によるが発情期周期が二か月から数か月おき。次の発情期はいつ来るのか。本気で焦っていた。


 気晴らしで訪れた軍部情報機関。ふと画面に映る銀髪青い目の少女が目に留まる。まだ、十歳前半ほどか? 晩餐会の様子が映されている画面を食い入るように見る。ごくりと喉が鳴る。下を向いている顔。正面から見たい。いつの間にか画面に手を伸ばしていた。

「ディモン殿下? どうか、されましたか?」

 心配した軍部情報局の職員に聞かれる。が、次の瞬間。

「頭が痛い! 苦しい」

「やめてくれ!」

 その場にいた者たちが声をあげて苦しむ。何だ?

「ディモン殿下、いけません! アルファの威圧を解いてください! 犬歯を出さないで! 人には強すぎます!」

 はっとした。舌で確認すると、上下の犬歯が伸びている。口の中に甘いような味が広がる。

「すまない! 犬歯の戻し方が分からない! 誰かほかのアルファを呼んでくれ!」

 必死で叫ぶ。電子電話で軍部の貴族アルファに連絡をする。すぐに貴族アルファが一名駆け付けた。

「殿下、落ち着いて。きっとオメガにする者が見つかったのです。今、自分が惹かれている存在が分かりますか?」

「この少女だ。誰にも渡したくないし触れさせたくもない。絶対に俺が欲しい」

「あぁ、これはリーベント国第五王子ロイ殿下ですね」

「他国の王子はオメガに出来ないのか?」

 焦って今すぐに首を噛まなくてはいけない気持ちになる。犬歯がさらに伸びている気がする。

「できます。そういった番の例もあります。まずは、この番にする者を必ず手に入れる未来を思い浮べてください。幸せですよ。番が一緒に居ることは、人生で最も尊いことです。二人で過ごす時間を考えて心を落ち着かせて」

 画面の中、下を向いている王子。儚げな彼と一緒に居られたら。そう思うだけで心がホカホカする。犬歯がもとに戻っている。画面を見入っていると、白銀の王子を隣に居た男が突き飛ばす。壁に激突する様を見て悲鳴を上げていた。画面を叩き割りそうになり、貴族アルファに止められる。

「ロイ王子は良くない環境にいるようですね。番を守るのも愛しむのもアルファの役目です。ディモン殿下が救って差し上げるべきかもしれません」

 なかなか起き上がれない白銀の王子を見つめ涙が流れた。

「俺はロイ王子をオメガにする。何としても手に入れる」

 心に感じたことのない炎が燃え上がっていた。


 リーベント国の情報を集めた。ロイを手に入れるために、側近経由でリーベント国王にアドレア国の情報を流し込む。権力争いが強い国ほど扱いやすいものはない。リーベントが焦ってロイをこちらに渡すように。巧妙に仕掛けた。

 リーベント国王とのやり取りで驚いたのがロイ王子を渡すのに渋ったこと。国王が親書で第三王子や第四王子ではどうか、王女はどうか、と交渉してきた。貴族のしがらみは避けたい旨を突き付け、軍事力をちらつかせて、やっと交渉成立した。

 一か月後にはロイ王子が人質として来る。嬉しい! 会える。触れられる。歓喜に心が躍った。


 とにかく早く会いたくて、国境まで出迎えをした。リーベントは馬車を使用していて移動が遅い。イライラして小型偵察機の情報を確認すると、ロイが徐々にやつれていく。リーベントの送迎部隊はロイの体調を少しも気にしていない。ふざけるな! 怒りが沸き立つ。

 国境で強引にロイを受け取る。可哀そうに。熱がある。美しい顔が青ざめている。やっと会えた。俺の胸にしっかりと抱き留める。

 浮遊移動車で首都に向かいながら、車内ベッドで眠るロイを見守る。少女のような綺麗な顔。その可愛い口から「お金」「金だ、幸せだ」と何度もつぶやく声。時折母を呼ぶ。金に母。何て寝言だ。可笑しくて笑みがこぼれる。

 ロイは俺のオメガだ。

 その思いが一層強まった。


 「あ、コレも使っていい?」

「全部ロイのだ」

 キッチンを上機嫌に物色しているロイ。昨日、風呂上がりのロイがあまりにも艶めいていて抑えが効かず、うっかり強く噛んでしまった。俺のフェロモンを懸命に受け入れる様は興奮した。ロイの身体は受け入れている。けれど心はどうだろうか? ロイは城の中で閉塞した中で育ったため性の知識は乏しい。男色家の間違いは笑えたけれど、無知だから俺との接触を許しているのか、性行為の一環として受け入れているのか、いまいちわからない。できたら次の発情期はロイに受け入れて欲しい。あの衝動をひとりで耐え抜くのは辛い。ロイに全てを打ち明けることは、まだ出来ない。父王陛下から禁止されている。アルファの情報を国外に出すわけに行かない。ロイがこの国で生涯暮らす覚悟が出来たら打ち明けることになっている。

「朝ごはん作るよ。パンはいただけるのかな?」

 冷蔵庫や食材庫を一通り見終わったようだ。

「無理しなくてもいいのに」

「無理じゃない。僕がディーに作りたいんだ。これだけ優しくしてくれるお礼がしたい」

 ニッコリ笑うロイ。可愛くて、跳ねている髪を撫でまわす。

「昨日は乾かさないで寝たから跳ねてるなぁ。そろそろ切ろうかな。もう女みたいじゃなくていいか。しばらくは帰国しない、よね?」

「そうだな」

 しばらくどころか、俺はロイを返すつもりはない。

「よし! 髪をバッサリ切るぞ。男らしく、刈り上げだ!」

 ガタン、とずっこけてしまった。

「はぁ? なんで刈り上げなんだよ?」

「ずっと肩までの長めだったんだ。アドレアでは僕が好きな事をしても許してもらえる。最高だ。本当は女性のようにしたくない。逞しく、男らしい金持ちが僕の夢だ」

 いやいや、それは嫌だ。白銀の流れる美しい髪なのに。俺の好みでどうこう言えないけど。でも刈り上げは無いだろう。絶対に似合わない。今日にも髪を切りそうな勢いに焦る。

「な、ロイ。ロイはお菓子屋を開くんだろ? 資金集めに城で販売すればいい。だから、刈り上げや男らしいのはちょっと止めたほうが良いな」

「お菓子、売ってもいいのか? それはすごく嬉しい! けど、それと男らしいのがダメなのはどう関係する?」

「本を読んでみたことあるか? お菓子やケーキは可愛らしいお店が多いだろ? 来るお客も子供や女性が多いかな。売れるためにはお店の雰囲気に合わせておくほうが良い、かな?」

「あぁ、なるほど。さすがディー。確かに」

「城の理容師に髪は切ってもらおう。今は確かに女性的な髪だから。刈り上げじゃなくても短い髪は沢山あるよ」

 どんな髪がいいか、話しながら朝食をとる。パンは届けてもらい、卵料理とサラダに豆とベーコンのスープをロイが作る。パンは焼きチーズをたっぷりのせてある。最高に幸せな朝だ。

 その日は早速ロイの散髪をした。美しい髪がハラハラと落ちると残念で仕方なかったが、耳が少し出る程度の髪型になったロイは輝く美少年そのものだった。特に後ろ髪を短くしたことで良く見える細い首が美しい。俺の噛み跡がしっかり見える。本人には見えていないが、噛み跡をみて城の皆が微笑んでくれる。ロイは俺のだって印が見えて満足だ。


 ロイはリーベント国から持ってきたヒラヒラした服を着るのをやめた。アドレアの男性貴族の平服。これがとても似合う。髪を短くして大きな瞳がさらに際立つようになった。それにシャープな顎のラインがよく映える。ロイの生き生きした表情を見ると心が満たされる。

「ね、ディー。これはどうかな? アドレアとリーベントの味は似ていると思う。だけどお菓子の好みは分からないから。リーベントはナッツやチョコで飾りをつけるのが主流なんだけど」

 週に二日はロイの休日を作っている。その二日はアドレアで売るためのお菓子を一生懸命考えていて、見ていて楽しい。アドレアの人に受けそうな味を研究している。それを見ながら俺はのんびり書類チェックをしている。

 コーヒーと共にテーブルに出される焼き菓子。二皿に分けてある。一つは四角いクッキーにナッツと砂糖がけトッピング。もう一皿にはナッツを練り込んであるクッキー。

「こっちがリーベント風のナッツクッキー。こっちがアドレアで受けそうかと思って塩味系にしたナッツクッキー」

「じゃ、いただきます」

 砂糖がけにしてあるナッツクッキーから食べる。クッキーがさっくりしていて美味しい。だけど、少し甘いか。子供には好まれそう。

「あぁ、これは子供が好みそうだな。もともとアドレアは木の実や砂糖が取れなくて甘い菓子が作られてこなかった。大人は好まないかもしれないな」

「砂糖やナッツは贅沢だったのか。そう思うと、今のアドレアはすごいね」

 素直な言葉に笑顔で返事をする。コーヒーで甘さを流し、ナッツ練り込みクッキーをもらう。先ほどより硬め。ザックリとした小麦感の強いクッキーに塩バター?

「あ、これ旨いな。ナッツはほのかにキャラメル?」

「あたり! よく分かったね。アドレアは塩味系好きでしょ? クッキーも塩バター味にしてみた。生地の砂糖を減らしてザックリ感を出した分、ナッツに味を入れたんだ」

「これは売れるぞ。試しに城内の者に試食してみるか?」

「本当? 食べてもらいたい! 感想を聞きたいよ」

「じゃ、ロイの初めての歩き売りだな」

「わぁ! 本当に、いいの? やった!」

 頬を染めて大喜びするロイ。ロイが笑うと心が明るくなる。椅子から立ち上がり、後ろからそっとロイを抱き締める。もう慣れてきて自然に首後ろを差し出すロイ。最近は首から甘くて蕩けるようないい匂いがするロイ。きっとオメガに目覚めている。大切な俺のロイにそっと噛み跡を残す。犬歯をくっと食い込ませると、全身をビクっと痙攣させるロイ。細く「あ~~」と声を漏らす。可愛い。心臓がドクドクと音を鳴らす。ずっと噛んでいたい。ロイのもっと奥深くに入り込みたい。身体の奥を突きあげてみたい。ロイにはまだ言えない欲望が徐々に大きくなってきている。全身の力を抜いて恍惚としているロイ。そっと口を離して首の血を舐めとる。噛んだ後は数分余韻に浸るようにロイがぼんやりする。この時間、ロイを腕の中に閉じ込めておくのが幸せ。紅潮した可愛い顔。

「あ、クッキーもう少し焼こうかな」

 膝の上で意識がはっきりしてくるロイ。

「今、どれくらい焼いた?」

 会話しながら自然と俺の腕から逃れる。この瞬間が寂しい。

「少量じゃもったいないから、多めに焼いてある。でも配るならもっと多くしたい」

 キッチンで並べられたクッキー。三十枚ずつはある。

「これくらいでいいだろ。初日だし」

「じゃ、午後に行く? どうしよう、お皿で配ったらいいかな? 緊張する」

「そうだな。こういう時は、女性の助けが必要か」

 電話で侍女を呼び出す。すぐに数名が部屋に駆け付ける。事情を話し、配布するならどの部署が良いか、いい感想をもらえそうな人たちのことや、配るための方法を検討してもらう。ふと視線を感じて横を見ると、ロイが俺をじっと見ている。何だ?

「どうかしたか?」

「何でもない。ね、ディーはこの方と販売戦略を練っていてよ。僕はこの方たちとクッキーを配る方法を相談する。コーヒーとクッキー持ってくる。二人でゆっくりして」

「はぁ?」

「はい?」

 頬を染めて意気揚々と席を立つロイ。

「おい、ロイ。ちょっと待て」

「いいから。僕、分かっている。ディー、頑張れ」

 最後のほうは俺に囁くように小声。どういうことだ? 残された俺と侍女はぽかんと目を見合わせた。ロイが「仲良くね」とコーヒーとクッキーを俺と侍女に出す。真っ赤な顔で恐縮する侍女を見て満足そうなロイ。すぐにキッチンに戻り、三名の侍女と話し合っている。時折、こちらを見て微笑む。

「これは、何か勘違いをされていると思うが」

「私もそう思います。殿下、ロイ王子殿下は何をしたいのでしょうか? 私にはさっぱり理解が出来なくて、申し訳ありません」

 恐縮しまくって立ったまま下を向いて小さくなる侍女。どうしたらいいのか。俺も困ってしまい無言になる。すると、ロイが近づいてくる。

「お二人とも、クッキーは食べてくれた?」

「あ、申し訳ありません! このようなありがたい物を、私などが殿下の前でいただくなんて、とんでもありません」

 立ったままの侍女が慌てて答える。

「そういわずに、座って、ぜひ。ほらディーの横でどうぞ」

「俺はもう食べたって」

「ディー、女性に合わせて。せっかくのチャンスじゃないか!」

 急に顔を寄せて耳元で囁くロイ。

「はぁ? ちょっと待て、ロイ!」

「私、恋人がおります。ディモン殿下との何か勘違いされていますようでしたら申し訳ありません。ディモン殿下にはロイ王子殿下が大変お似合いです。ロイ殿下以上のお相手はこの世に存在いたしません! 神の認めたお二人でございます!」

 興奮したように話しだした侍女が途中で泣きだして悲鳴のような言葉を出す。ロイが驚いて見入っている。すぐにキッチンから他の侍女が来て、「すぐに下がらせます。申し訳ありません」と連れて行く。

「いや、助かった。その者に礼を言う」

 泣きながら退室する侍女を見送った。

「ディー……」

 ロイから出る声。悲しそうな顔。きっと俺が失恋したと思っている? 勘違いしたままならそれでもいいか。今はまだアルファの事もオメガの事も言えない。

「ロイの考える通りだ。何も言うな。さぁ、クッキー作戦を実行しよう」

 ロイの背中を押してキッチンに行く。心配そうに俺を見上げるロイ。

 残った侍女たちが試食配布の案を練ってくれた。


 美しい銀製のトレーに乗せたクッキー。透明な袋に個別に入れてある。口は閉じずに開けたまま。これならその場で食べるにしても清潔に持つことが出来、運ぶ際に汚れが付くこともない。持ち帰りたいものは袋の口を閉じればポケットに入れられる。作戦としては、数日は昼休みの使用人食堂で無料配布する。数日続けたら、午後の三時から四時の時間に城の中で配り歩く。食事のタイミングで配ることで手に取ってもらい反応を見てから、小腹のすく時間でも配布し茶菓子として受け入れられるか確かめていく作戦だ。

「夢が実現しそうだ。感動で手が震える。はじめの一歩だ……」

 紅潮した顔で銀のトレーを持つロイ。俺とロイと侍女数名で使用人食堂に移動する。俺が持つと言ったのに「僕の商品だから僕が持つ」と譲らないロイ。転ばないように後ろから見守って進む。先導する侍女が時々振り返りロイを見て優しく微笑む。気持ちは分かる。まるで初めてのお使いをする子供のような様子。可愛くて顔がにやけてしまう。

「休憩中に失礼いたします。ディモン王子殿下とリーベント国ロイ王子殿下でございます」

 侍女の通る声に、広い食堂が静まり返る。ロイは、人の多さと緊張でガタガタ震えている。手に持つトレーがカタカタ音を立てている。後ろからそっとロイの手を支えロイを抱き支える。

「皆の者、休憩中にすまない。俺の番ロイ王子が作ったクッキーを試食してもらえないか? ロイの夢はお菓子屋だ。俺は全力で支えたい。皆の率直な感想が聞きたい。本日より数日、ここで試食を配る。量はそれほど多くない。皆に行き渡らなかったら申し訳ない」

「リーベントの王子殿下が、お菓子屋?」

「何でまた?」

「ロイ様の手作りってことか?」

 ざわざわと声が飛ぶ。ロイは俺の腕の中で固まっている。皆にもう一声かけようかと思った時。

「あの、二種類あります。ナッツクッキーですが、リーベント国の味とアドレア国の好みにしたもの。食べ比べていただけたら大変嬉しいです」

 まだ高さの残る声で一生懸命声を出すロイ。声が震えている。それを見ていた近くに居た使用人が数名席を立ち近づく。ロイの前で頭を低くして「頂戴いたします」と手を出す。

「かしこまらずに、トレーから受け取ってくれ。さあ、皆も早く。早いモノ勝ちだぞ」

 俺の一声にワッと席を立ちよってくる人。手に取ってもらうと「ありがとうございます」「ありがとう」と頬を染めて応えるロイ。可愛い。その様子に使用人が頬を染めて見惚れる。あっという間にクッキーは無くなった。その場で食べる数名が「うまい!」「何だこれ! 食ったことない」と歓喜の声をあげている。それを聞いて目を潤ませているロイ。

「僕のお菓子、喜んでもらっている。すごい。胸がいっぱいだ……」

 空になったトレーを侍女に渡し、「それではまた明日」と声をかけて立ち去る。

「まって、ディー。僕はまだ皆の食べる様子が見たい」

「今日はもうやめとこう。食べるところを観察されるのは皆好きじゃない。毎日届けるうちに反応は分かってくるさ。焦らず、だよ」

 そっと背中を抱き支え、ゆっくりと部屋に戻る。背中に回した腕からロイの感動と興奮が伝わってきていた。愛おしくてずっと抱きしめていたかった。

 一週間、クッキーを食堂で配った。セサミや野菜、乾燥魚やベーコンまで。どうやったらクッキーになるんだ? と見入ってしまった。楽しそうに考えて一生懸命焼き上げて侍女と袋詰めをしていくロイ。キッチンから笑い声がすると俺まで楽しくなる。いつの間にか俺の居室に侍女が多く出入りするようになっていた。前のように嫌じゃなかった。ロイが楽しそうで、周囲の侍女がニコニコしていて。それを見ると心が満たされた。部屋が華やいでいる。

 食堂ではいつの間にかロイを心待ちにする使用人たち。登場するとワッと歓喜に満ちた声。その声を照れたように受け止めるロイ。このロイの笑顔を守りたい。ずっと俺の傍にいればいい。アドレア人の黒い髪の中に目立つ白銀のロイ。妖精が舞い降りたようで美しい。

「ディー、ちょっと手を貸して」

「どうした?」

「この方がお孫さんに持ち帰りしたいって。お孫さんに食べてもらうなら昨日の砂糖がけの方がいいから取ってきたいんだ。少し残してあるから」

 年配の女性が「そんな、申し訳ないです」と恐縮している。けれどロイはきっと甘い方を渡したいはずだ。今日はハーブ系のクッキーだから。

「とってくればいい?」

「行ってくれる? キッチンカウンターのパンケースに入れてある。お孫さん三人だって言うから残り全部持ってきてくれるかな?」

「オッケ―。すぐ行ってくる」

 少し離れるからロイの後ろ首にチュッとキスを落としていく。周囲の者がスッと腰を低くする。コレは周囲への威嚇とマーキング。離れるけれど俺のオメガに手を出すなよ、と。

「ちょっと、ディー」

 真っ赤になって首を手で覆うロイ。可愛い頭をポンポンと撫でて、俺の部屋に走る。侍女に行かせても良かったが、アルファの俺の脚力で走るのが一番早い。ロイには見せていないが本気を出せば馬くらいに走れる。知能も体力もアルファは本当に卓越した素晴らしい才能をもった超人だと思う。発情期さえ無ければ。

 考えてみて二回目の発情期がまだ来ていないことに気が付く。いつだろう。急に不安になる。せめて半年は来ないでくれ。ロイと信頼関係を築きたい。優しいこの時間を大切にしたい。可愛いロイに嫌われたくない。壊したくない。牢屋でさえ粉々にできてしまう衝動を思い出しゾッとする。あの獣のような衝動をロイが受け止められるのか? いつもキスをしている細い首を思い急に怖くなった。

 俺は、ロイを愛したい。一生懸命生きるために考えて行動する愛おしいロイを守りたい。俺の獣の部分はロイを傷つけないだろうか?心臓がバクバクと嫌な音を鳴らしていた。

 アルファじゃなければロイと普通の恋人になれただろうか。生きることを楽しむロイを大切にしたいのに、きっと俺のアルファの部分はロイを、苦しめる……。

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