発情期アルファ王子にクッキーをどうぞ

小池 月

第1話 リーベント国 第五王子ロイ

 自然が綺麗で豊かな国。農業が盛んで気候も安定。戦争はないけれど貴族と王族が治める国であり国内権力争いは絶え間ない。貧困や圧政がないから貴族や王族の権力争いや失脚が面白いネタとして新聞を飾る。人の不幸が貴族や国民の娯楽のひとつになっている。平和だよ。この国に住む大概の人は。権力争いに巻き込まれなければね。

 今晩の王族晩餐会を考えて、ため息をつく。


 「ロイ王子、今日も本当にお可愛らしく」

小さな嘲笑が起こる。王妃様に続いて第一公妾が声をあげる。

「本当に、まるで少女のよう。可愛らしすぎて王家の末席に居るだけで恥ですわ。ちゃんとした教育は受けていらっしゃるのかしら?」

「育て方がよろしくないのよ。王子の母としてご自覚があるのかしら? ねぇ、リアムさん?」

声をかけられて「申し訳ありません」と小さな声を出す母。ほほほ、と笑いが起きる。第二公妾の母と第五王子の僕は下を向いて小さくなって末席に座っている。僕の少女のように見せている外見はわざと。肩までの銀の髪。十五歳男子には、まず見えない。

「おい、ロイ。この女男。馬には乗れるようになったか? そうか、貧乏で馬も買えなかったか。うちの馬を一頭貸してやろうか? ちゃんと謝礼が出来るなら、な」

僕の横に座る第四王子カインがニヤニヤと蔑む目線をよこす。無言で愛想笑いを返す。テーブルの下で見えないように手の甲をつねってくる。毎回太ももや前腕、手をつねる。何でもないように、痛みに耐える。早く終われ。

「カイン、ここのところ狩りの腕を上げたようだな」

食卓の上座から国王陛下が第四王子に声を飛ばす。途端に僕の手を離し、紅潮した顔で先日の狩りの様子を意気揚々と話しだす。一番に声がかからなかった第一王子から第三王子が怖い顔をして睨んでいる。僕は下を向き、ただ手をさすっていた。痛かった。もう少しで「やめて」と声をあげてしまいそうだった。我慢できたことに、ほっと一息をついて下を向く。


 僕はこの国の第五王子ロイ。父である国王には王妃と二人の公妾がいて、王子王女が七人いる。王位継承権が第一位から三位である王妃の王子たち。そして第一公妾に二人の王女と王位継承権第四位の王子が一人。そして第二公妾の僕の母と、王位継承権が第五位の僕。僕の母は元使用人。妊娠が発覚し公妾になった。母は庶民だから身分が一番低く、公妾の居住場所である奥の宮で隅に追いやられている。それでも細々生きているのは、僕たち母子が王位に関わらない意思表示をしているから。僕は女性的な外見を保ち、権力には無欲であることを態度で示している。

王妃は侯爵家の令嬢。身分も高い。そして、第一公妾は伯爵家の令嬢。どちらもプライドが高く、仲が悪い。侯爵家と伯爵家の権力争いが根本にあるからだ。そんなバチバチ火花の散る二人から逃れるように国王が当時召使いをしていた母に手を出した。好きと言うわけではなかっただろう。ストレスからの現実逃避だ。母の妊娠が発覚すると、第二公妾となった母に国王は見向きもしなくなったそうだ。そこからは、母子家庭のような生活。王妃と第一公妾はお茶会や貴族との華やかな夜会を開催し牽制し合っているが、僕と母は静かにひっそり暮らしている。後ろ盾もないから当然だ。


 王妃と公妾の位には明確な格差がある。国王と王妃と三人の王子は王宮に居住している。公妾とその子供は離宮の「奥の宮」に暮らしている。王妃と王妃の王子たちは「奥の宮」の僕たちを汚いものを扱うように忌み嫌っている。もとが庶子の母には耐えられても、伯爵令嬢の第一公妾には耐えられない扱いのようだ。そのストレスが僕と母に向くから、顔を合わせると胃の痛む思いをする。国王が月に一回王妃と公妾と王子王女全員を集めての晩餐会を開催するが、苦痛で仕方ない。出来るだけ目立たないように簡素な正装で飾らず、自信なさげに過ごすけれど、何をしても嘲笑の対象。僕と母を蔑むときは王妃と第一公妾が息ぴったり。「二人とも気が合うじゃないか、仲良くなれるんじゃないか?」と考えてしまう。

 国王陛下は、第一王子から第四王子、王女、王妃と第一公妾にそれぞれ声をかけ日頃の様子を会話するが、僕と母には「変わりないな」の一言だけ。「はい」と応えて終わる。もう何年も陛下の顔を近くで拝見していない。でも、僕に興味がない事でほっとする。

「まーた、お前だけ父王陛下から声かけられなかったなぁ」

横から第四王子。満足そうに笑っている。食事会の退席は位の高い順。僕と母は全員を見送る。椅子から立ってお辞儀をすると、僕より身体の大きな第四王子がドンっとわざとぶつかる。今日は壁に激突して、全身の痛みにすぐに立ち上がれなかった。慌てて僕に駆け寄る母。我慢できない小さな悲鳴をあげていた。目の前の揺れが治まるのを待つ。そんな僕を気に留める様子もなく立ち去る第一公妾母子。毎回これには困る。僕は男らしくならないように、身体を大きくしないように気を付けている。筋肉質で大きな第四王子が衝突すると、そのまま壁に激突したり食器をなぎ倒して倒れたりする。もっと鍛えろよと笑われるけれど、こちらは笑い事じゃない。青あざができるし数日痛い。

 僕の存在自体が見えないかのような第一から第三王子。嫌がらせをしてくる第四王子と二人の王女。晩餐会はとにかく大変な思いをする。心がぐっと疲弊する。


 「はぁ、終わったぁ」

「今日も、お疲れ様」

困った顔で笑う母。

「母さんはよく我慢できるよね」

「出来そうもないけれど、仕方ないのよ。陛下に奥の宮から出てはいけないと命じられているし」

「そんなの振り切って逃げちゃいたいよ」

「そうしたら、陛下の命に背いたとして罪人扱いなのよ。ロイ、あなたに苦しい思いをさせてごめんなさい」

背中に湿布薬を貼りながら項垂れる母さん。

「いいよ。母さんが逃げないなら僕もここに居るよ。こんな中に母さん一人じゃ狂っちゃう」

「おや、ロイ様。私どもが一緒ですよ。私共はずっと一緒におります」

ニコニコと背中の湿布薬を用意してくれている使用人ジョイ。六十歳になる僕たちの頼りになる執事。王妃様と第一公妾には数十名の召使がついているらしいが、僕たちには使用人三名に調理一名。この人たちは母がココに来た時からずっと一緒。信頼できる家族みたいな人たちだ。

「ありがとう。ジョイたちが居てくれて本当に助かるよ」

意地悪を受けた後は、優しさがいつもより染み入る。


 僕たちは奥の宮の一階端っこにいる。もともと低層階は使用人用のスペースだが、一部を改装して第二公妾居住スペースとして与えられた。広さは小貴族の別荘くらいあるから十分。正面玄関を通らずに専用通用口から出入りできるから気が楽だし。使用人が少ない分、母と僕も家事や掃除、なんでもする。これは母の教えでもある。

「生きる知恵と生きる力をつけるのよ。権力争いなんかどうでもいいわ。あなたは、王位なんか放棄するの。他の王子が王位を継いだ時、私たちは邪魔な存在として追放されるわ。本当は継承権放棄と公妾からの失脚を陛下に願っているのだけど、どうしても許可が下りないのよ。きっと王妃様と第一公妾様のストレス発散が私たちに向いているほうが、ご自身が楽なのよね。だから、追放された後、一般社会で上手く生きる事だけを考えるのよ」

この母の教えと共に、王宮の外の世界について沢山学んだ。国外追放されることも考えて国交のある隣国二国の通貨や常識、様々なことを学んできた。同じ隣国でも国交のないアドレア国だけは情報が手に入らない。それでも十五歳の今では、いつ放り出されても生きていけるくらいになった。

国王陛下から時々贈られる金や宝石はしっかり保管して貯蓄している。誕生日に欲しいものを問われれば「お小遣いを下さい」と言ってきた。他の王子に「品がない」「貧乏」と笑われても平気だった。生き抜くには金が必要だから。食べるにも住むにも金が要ることを僕は知っているから。こんな意地悪な王子たちが治める国には居たくない。城から追い出されたら、母と一緒に外国で暮らすんだ。雇われて働くにはきっと僕の体力が足りない。だから小さなお店をしたい。街の中で小さなお菓子売り。身体を鍛えない分、お菓子や料理は上手になった。母もお菓子作りが得意だし、一緒に店を開いて少しのお金を稼いで暮らしたい。誰にも悪口言われずに美味しくご飯を食べる。そう考えるとすごく楽しみ。僕の夢を考えると沈んだ心が楽になる。辛いのは今だけだから大丈夫。耐え抜こう。そう思える。

「はい、終わり。それにしても毎回ひどくなるわね。第四王子も身体が大きくなったのだし、もうやめて欲しいわね。ロイの骨が折れたりしたら、どうしましょう」

「本当だよ。もういい年だし、いつになったらやめてくれるのかな……」

母と二人で考え込むと、ジョイが一言。

「ロイ様、防護用ボディースーツでも買いますか?」

真剣な顔で問いかけてくる。母と顔を見合わせて笑ってしまった。そんなのを着ていたら殴ってくれと言っているようなものだ。ジョイは時々真剣で面白い。せめて、身体に緩衝材を巻き付けて、など提案されたが、細身の僕が大きく見えたら「鍛えたな。王位を狙っている」と余計に攻撃されるだろう。

「月一回の我慢だから辛抱するよ。ありがとう。今日はもう寝るよ」

背中の内出血が腫れると怖いから入浴はしないで寝室に行く。ほんと、馬に衝突されたようだよ。バカ力め。


 こんな日は自室にこもって脱走セットを手入れする。いついかなる時に追い出されてもいいようにクローゼットに忍ばせたリュック。最低限の着替えと保存食とお金。そう、金。僕の生きがい。コレがあれば夢が叶う。魔法の道具だ。僕の大好きなお金。隣国で金や宝石を換金するならいくらになるか、お店を持つならいくら必要か。今の金額だとどのくらい暮らせるか。お金で僕の将来を想像する。まだ理想とする暮らしには届かない。けど、考えるだけで幸せだ。お金さえあれば心が満たされる。痛む背中をお金の力で癒す。明日はまた隣国の情報誌を手に入れよう。脱走セットをもとの隠し場所に戻して眠る。

 お金は僕を幸せにしてくれる。

 その夜は、お金で世界の全ての幸せを買い占める夢を見た。すごくいい目覚めだった。現実もそうだといいな。


 僕が十八歳になった、ある日の王族晩餐会。本当に珍しく国王陛下から一番に声がかかった。

「ロイ、隣国アドレアに行くように」

「はい?」

「は?」

様々な驚きの声が、上がる。僕も意味が分からず陛下を見た。

「ここ数十年、アドレアの国力成長が目を見張る。特に軍事力や科学力の成長はすさまじい。アドレアは資源の少ない国。国土はあっても弱小国家として国際交流もしてこなかった。わがリーベント国は資源豊かな国家であるが、科学力や軍事力では劣る。隣国が国力を強めていることで脅威になるやもしれん。その抑止力として国交を開始する運びになった。先日、友好国としての条約を交わした。我が国からは農作物・工芸品の輸出、アドレアからは科学工学品の輸入取引、医療分野での技術提供が締結された。ただ、アドレアは科学力で農作物の育成に成功しており、我が国との交渉メリットがない。条約破棄されて困るのはわが国になる。そこで、わが国の王子を人質として送ることで親交の意を表することにした。ここまで言えば、分かるな?」

少し沈黙の後、僕と母以外は安堵の表情を浮かべて笑い出す。

「そうですわね。ロイでしたら、問題ないでしょう」

「おっしゃる通りですわ。人質になって、万が一ってことがあっても元来病弱です、構いませんって言えますものね」

口元に嫌な笑みを浮かべて飛び交う悪意の言葉。

「まって、待ってください。陛下、ロイを人質なんて、そんな……」

母の震える声が混じる。

「決定事項だ。反論は許さん」

衝撃のあまり僕は一言も言葉が出せなかった。よりによってアドレア。何も情報がない国。心臓がバクバクして、横から第四王子が嘲りの言葉を出していても何の反応も出来なかった。

 いつも僕に無関心な第一王子トーマスが「役に立てよ。アドレアは男色家の多い国だ」と残した言葉が頭から離れなかった。


 「ロイ、逃げましょう! もう反逆罪でも何でもいいわ。あなたを失いたくないのよ」

奥の宮に戻ると、母は泣いた。でも、僕は気が付いている。食事会の後から、僕たちに護衛が数名つけられている。監視されている。逃げないようにするためだ。

「母さん、ダメだよ。逃げられない。大丈夫。僕はアドレアに行くから。それより母さんが心配だよ。一緒に行こうよ」

「ロイ様、それはできません。詳細が書面で届きました」

青い顔のジョイ。震える手で紙を受け取る。スパイ行為防止のため王子一名での預かりとする旨。また、偽物である事が判明した場合、国交は断つことなど記載がある。書面を持つ手が震える。

 僕には逃げ道が、ない。

「ロイ様、奥様のことは私たちがお支えします。傍を離れず、一緒におります。どうか心を強く持ってください」

ジョイと共に涙する使用人。この四名だけは信用できる。彼らの温かさに涙がこぼれた。僕は一つ聞いておきたかった。

「母を、お願いします。ねぇ、ジョイ。男食家って、なに?」



 アドレアまでの道は馬車で半月。途中宿に泊まり、時には野営をしながら進んだ。王宮から出たことのない僕には素晴らしい経験だった。だけど人質としてどんな目に合うか。今十八歳の僕は、いつまでアドレアにいるのだろう? 不安ばかりを考えて食事は喉を通らないし、慣れない馬車の揺れ。気分は最悪の道中だった。僕の気分が悪くても熱が出ても前に進むペースは変わらない。寂しさと孤独に心が折れそうだった。


 「ロイ王子殿下ご一行とお見受けいたします。ここより先はアドレア国領! 我々が身柄をお引き受けいたします!」

急に響く声。ラッパの音? だけど、僕は馬車内で座席に横になって身動きが取れなかった。食べられない事と慣れない旅での熱。身体を起こすことも出来ない。馬車の外のやり取りにぼんやり意識を保つのが精いっぱい。何だか怒鳴り声も聞こえて、ガチャリと馬車のドアが開く。外から閂をかけられて逃げられないように閉じ込められていた。頭を上げることも出来ず、人が近づくのを、ただ見ていた。

「意識はあるか?」

優しい声がする。視界が揺れてよく見えない。大きな手が僕の額を覆う。

「熱がある! だいぶ衰弱している。医療班を! ここから先はアドレアが引き受ける」

よく分からないままに、ふわりと身体が抱き上げられる。あぁ、もう固い木の座椅子から解放されるのか。良かった。そう安堵して意識を手放した。


 目が覚めたらふかふかのベッドの上だった。僕を見つめる漆黒の瞳。見たことのない男性。

「気が付いたか? 気分はどう?」

話したいけれど、声が出せない。あなたは誰? ここはアドレアですか? 言いたいことが頭に過って消えていく。

「まだ、会話する元気はないか? 聞こえていたら、手を握り返してみて」

手? あぁ、手を握られている。変なの。くすぐったくて軽く手を握り返す。ふふっと笑ってしまった。僕を見つめる黒い瞳が驚きの表情をする。「綺麗だね……」僕の口から、ぽつりと声が漏れていた。黒い瞳がキラキラしていて美しかった。でも、声になっていたのか自分で分からなかった。握っている僕の手に、黒い瞳がそっとキスをする。可笑しい。何だこれ。また笑いが漏れる。

「目が覚めて良かった。君こそ、綺麗な瞳だ」

僕の瞳が? おかしなことを言う人だ。母さんに教えてあげたいよ。青い瞳はどこにでもいるじゃないか。「眠いよ……」小さく声にしてみると眠気が波のように押し寄せる。温かい布団が久しぶりで嬉しい。

「ゆっくり寝ていい。アドレアの首都までまだ数日かかる。その間、治療しながら移動しよう」

あ、そうだ。アドレアに行かなきゃ。ウトウトしながら、大金もちになって母と暮らしている夢に酔いしれた。


 次に目が覚めたら、知らない部屋だった。豪華な部屋。ココは、一階じゃない。窓からの景色は多分三階以上ある。そっと上半身を起こす。頭がズキズキする。手で頭を押さえながら、ベッドから出る。気持ち悪い。でも、僕がいる場所を確認したい。室内には誰もいない。立ち上がり、痛む頭を押さえながら窓辺までゆっくり歩く。これだけの動きに心臓がバクバクしている。外を確認し、自分の居る場所の高さに驚いてしまった。この景色は、知らない。腰を抜かすようにその場に倒れ込む。バタン、と音がたつ。

「いかがされました!?」

急にドアが開き、室外から多分護衛の男性二人がのぞく。窓辺に居る僕を見て、無線で何か連絡している。急に怖くなる。逃げなきゃ。がむしゃらに大きな窓を開けようとした。すぐに室内にバタバタ入室する人。開かない窓に絶望して、怖くて痛む頭を抱えて丸くなった。怖い。震える僕を、誰かが抱え上げる。殺される! 驚いて身を固くする僕をそっとベッドに降ろされる。恐怖で目が開けられない。震える僕の頭をゆっくり撫でる手。あ、優しい。ふと身体の力が抜けた。

「お前、金が、好きなのか?」

突然、言葉が降ってくる。そんなの当然だ。

「もちろん。お金だけが大好きだ」

馬鹿正直に答えてしまっていた。はっと目を開けると、笑いをこらえている人。何だ、この人。目が合うと、声をあげて笑い出す。涙を浮かべる黒い瞳の男性を、見ていた。

「お前、本当にリーベントの王子かよ? 寝言が金ばっかりだったぞ」

笑いきったあとで、彼が言う。失礼な奴だ。

「リーベント国第五王子ロイ・エレア・リーベントです。あなたは?」

「あぁ、本当にロイ殿下か。面白いのが来たな。俺はアドレア第一王子ディモン・アーサー・アドレア。ディーでいいよ」

え? 何て言った? こいつが、アドレア第一王子? 王位継承権一位の王族! ばっと起き上がり、一礼をする。

「失礼しました。リーベント国第五王子ロイと申します。この度は……」

「いい。もう分かったから。ほら」

ぐいっと腕を引かれてベッドに沈み込む。大きなベッドだけど、何故彼も一緒にベッドに入るのか? 訳も分からず抵抗できない。彼の胸に抱き留められている。

「頭痛いんだろ? 少し寝ていろ。脱水とか低栄養とか起こしていて頭痛は数日残るみたいだぞ。今日はベッドの上だ。歩くのは明日から。起き上がろうとするから、今日は俺がココで見張っていてやる」

「はぁ? ちょっと、言っている意味が分かりません。僕は一人で大丈夫です」

「ダメだ。俺が今決めた。そうだ、言うこと聞いてれば、金をやろう」

カチンときた。目の前にある厚い胸板を両手でドンドンと叩く。

「ふざけるな! お前なんかに金をもらいたくない! 僕がどんな思いで金を貯めたと思っているんだ! 金だけが僕を幸せにしてくれるんだ! 金だけは意地悪をしないんだ! 夢をくれるんだ! 僕は自分で稼ぐんだよ! 母さんを助けるんだ。王宮から抜け出すんだ! 生きるために必要なんだ。どんなに笑われても、金があるから生きる希望があるんだ! バカにするな!」

いつもなら言わないような言葉が溢れていた。ついでに涙も溢れている。怒涛のような毎日で心のカバーが外れてしまったようだ。悔しさや感情的になる気持ちが抑えきれない。驚いて僕を見ながらも腕の拘束を決して緩めてくれない。抜け出せない悔しさ。

「そうか。辛かったな。俺が軽率だった。悪かった。全部、吐き出してしまえ」

すぐに謝ってくる目の前の人に心が震える。どんな意地悪も悪意も謝られたことなんてない。ただ、僕が耐えるだけだった。心が、揺れる。訳も分からず泣きに泣いた。ずっと頭を撫でる大きな優しい手。ドクドク響いてくる彼の心臓の音。心地いい。心が、温まる。満たされる何かに動かされて、逞しい彼の身体に腕を回して抱きついた。「筋肉、いいな……」また余計な言葉が漏れたような気がしたけれど眠気に勝てなかった。どこかからクスクス笑う声が聞こえていた。この笑い声は優しい笑いだ。僕が知っている嘲りの笑いじゃない。優しい笑いは、安心する。


 そこから数日は寝ていることが多かった。頭は徐々に痛みも無くなった。なぜか僕の世話を焼くアドレア第一王子のディモン殿下。ディーは僕の一つ年上。一つ違いなのにずいぶん大人っぽい。体格も大人顔負け。アドレアでは十八歳が成人だから、と笑っていた。黄色の肌に黒い瞳。短い黒い髪にきりっとした黒い眉毛が男前。数日居ると飾らないディーとすっかり仲良くなっていた。

「ね、ディー。もう大丈夫だから自分の部屋に戻りなよ」

ディーは僕の傍から離れない。夜寝るのも僕のベッド。この国の人は抱きしめるのが常識なのか、とにかく引っ付いてくる。困るのは僕だ。僕より身分の高い存在にそんなことされて、身の回りの事をしてもらっているなんて。できたら使用人にお願いしたいし、元気になれば自分で全てできる。

「ダメだ。ロイはこの国に居る間ずっとこのままだ」

「はぁ!? ディーは王位継承者だろ? それなりにやること、あるだろ?」

「あぁ。だけど、面倒だから嫌だ。全部、やめたーー」

開いた口が塞がらない。こんな王位継承者で良いのかよ? せっかく治っていた頭痛がぶり返すようだ。


 アドレア国に来て十日が過ぎると、体力は元に戻った。ディーとはいつも一緒。ディーは僕を後ろから抱きしめて、首の後ろを舐めて甘噛みする。何度もするから少し慣れて来たけれど恥ずかしい。ゾクリとして小さな声が出てしまう時もある。僕は同世代の友人が居ないからこれがスキンシップかと驚いている。お国柄なのかな。頬にキスをするのが挨拶という国もあるし。アドレアに関しては良く知らないから全てを受け入れるようにしている。


 「まぁ、素晴らしいですわ」

「本当。妖精かと見間違えます」

「ロイ殿下、お綺麗でございます」

「細いお腰も中性的で目を引きますわ。少し腰帯の幅を持たせてみましょうか」

「お顔が見えるよう髪を片側だけ結い上げてみましょう」

楽しそうに僕の支度をしてくれる侍女数名。優しい言葉や態度に心がソワソワする。


今日は入国の挨拶を正式に行う。リーベントの正装を着用して王族貴族国政院への公な披露の日。細やかな金と銀の刺繍入りの正装を眺める。上掛けには宝石がいくつか装飾されている。こんなキラキラ着たことが無い。リーベントの品位を落とすな、と持たされた高価な物のひとつ。サッシュには大きなエメラルドとダイヤのブローチ。白銀の髪に銀の服。赤のサッシュ。胸元に王子の勲章ブローチをつけて完了。鏡を見て、まるで少女が男装をしたかのような出来に肩を落とす。リーベントで嘲笑されていた日々を思い出す。仕方ない。ため息をついて、ディーくらいの筋肉が欲しいと思った。

「ロイ、支度できたか?」

コンコンと支度をしている部屋のドアを叩く音。いつの間にかディーが来ていた。今日は互いに準備があるから侍女数名に支度を手伝ってもらい、ディーは自分の居室に戻っていた。

「うん。出来たよ」

返事をすると侍女がガチャリとドアを開ける。

「そっか、できれば一緒、に……」

話しながら入室してきたディーが静止する。はっと息を飲み、僕を見ている。僕はディーを見てアドレアの服装は首元まで覆うのを知った。黒い髪に黒い瞳。これはアドレアの人の特徴。正装の形はさほど変わらないけれど、首飾りと言うより皮の首ベルト? を着けている。金色に装飾された首ベルト。

「ディー、カッコいいね」

笑いかけると、真っ赤になるディー。ふと周囲の侍女を見ると顔が赤い。そうか、好きな侍女がいたのか。見惚れて赤面するなんてディーも可愛いところあるなぁ。身分違い、か。母の苦悩を思い出す。

「ディー、本気じゃないなら傷つくことになる。一時の思いなら、やめておくほうが、いい」

おせっかいだけど、他に聞こえないように小声で伝える。

「本気だ。これほど心惹かれたのは初めてだ」

僕をじっと見つめてしっかりとした返答。ぼくより二十センチ以上背の高いディーが僕を見下ろしている。強い目線だ。

「そっか」

この侍女が苦しみませんように。頬を染めていた侍女をみると、感極まるように目を潤ませていた。両思いか。良かったね。

僕をそっと抱きしめて、また首後ろを甘噛みするディー。今日は少し犬歯が当たる。侍女たちがスッと頭を下げて退出する。あれ? 行っちゃうよ? 声をかけたいのに首後ろを嚙まれると、しびれて身動きできない。独特のゾクリとする感覚にブルっと身体が震える。じっと耐えていると、そっと首から口を離すディー。

「あ、ゴメン。少し血が」

「いいよ。大丈夫」

これくらい第四王子の行為に比べたら何でもない。

「すぐ止血するはずだから」

「そうなんだ。首筋って血が止まりやすいの?」

「いや、そうじゃないけど……」

言いにくそうなディーの顔をみて、聞くのをやめておいた。そっとティッシュで拭いて、もう一度キスを落とされる。くすぐったくて笑える。

「服は汚れてない。せっかく整えていたのにごめん。とても綺麗だね」

「だよね。こんな豪華な服、実は初めて着たよ。重すぎて驚いた」

「リーベントの正装だろ? 王子なのに着ていなかったのか?」

「あ、僕は身分の低い庶民の母から生まれた王子でお金がなくて。高価なものは持っていない。いつも貧乏王子って笑われていたから。僕の着ていた正装は飾りがない黒一色のやつ。期待はずれが来て、ごめんね」

ははは、と笑うと、なぜか悲しそうなディーに抱き締められる。

「いや、ロイが来てくれて嬉しい。ロイで良かった。生涯に一度の出会いになった。来てくれて、ありがとう」

「ディーは優しいね」

優しさに心が温まる。この優しいディーの恋が叶いますように。そっと心で願った。


 その後の国王陛下への謁見、多方面への挨拶になぜかディーがエスコートをして寄り添っていた。どこに行っても「女神のように美しい王子殿下」と称賛され顔から火が出そうな思いをした。そして、「ディモン殿下の番ですか」と聞かれて嬉しそうにディーが肯定する。番って何だろう。紹介される人たちの中には、夫婦です、番です、という表現がある。見ていると、特別仲がいい関係を番と表現しているようだった。親友とか、そんな感じだろうか。ディーがそんな風に僕を思ってくれるのは嬉しい。この国の人たちは僕を優しく受け入れてくれた。意地悪な言葉も暴力もない。思っていたほど辛い生活にならないかも。

 丸一日かけて挨拶回りをして、夜の晩餐会に出席してクタクタな一日だった。ディーがいてくれて気持ちがとても楽だった。


 翌日から本格的に僕の人質生活が始まった。と言っても僕の立場は国賓として扱われた。この国の温かさが嬉しい。

まず午前は家庭教師からアドレアの歴史や文化について学習。昼はディーと食事して午後に数学や科学の学習。アドレアは驚くほど算術や科学が進んでいて全くついていけない。教科書を必死で読むことから始めている。そして夕方二時間の散歩や運動といった外での活動。これがすごく楽しい。走ればすぐに息が上がってしまうが、汗をかくのが楽しい! 護身術や剣術も教えてもらえるけど「ロイ様には向いておりません」と言われている。遠回しな言い方に笑ってしまった。外の時間はディーが一緒。

「ロイは、運動はからっきしダメだな」

「だね。僕、鍛えて身体を大きくすると王位継承を狙っているって攻撃される恐れがあって運動してこなかった。室内で静かに過ごしていた。まさかアドレアで勉強や運動をさせてもらえると思っていなかったよ。僕は今、すっごく楽しい」

芝生の上に座って汗をタオルで拭く。そのまま寝そべって草の匂いを満喫する。気持ちいい。空を見ていると、急に僕に覆いかぶさるディー。僕の頬にチュッとキスを落とす。そのまま首筋に顔をつけて匂いを嗅いでいる。くすぐったい。笑って逃げると草の上に縫い留められる。

「ディー、大きいね」

「ロイは小さくて可愛い」

「僕、こっちに居る間に逞しくなりたいな。ディーみたいになってみたい」

上になっているディーを見つめて正直に言うと、僕を解放して草の上を笑いながら転げまわる。

「冗談だろ? ロイが俺と同じサイズか! 想像できないって」

あんまり笑うから頭にきて、後ろから抱きついてやった。いつも僕にしているから仕返しだ!

「大きくなってディーを抱き締めて首を噛んでやる」

途端に形勢逆転し、芝生に縫い留められる。もう笑っていない。僕を見る目が真剣だ。

「ロイは俺を噛むな。俺がロイを噛むから」

意味が分からなくて、返事が出来ない。そのまま、ディーが近づく。触れるだけの、キス。唇にキス。身体が震えた。そうか。やっぱりディーは男食家なのか。リーベントを出る前にジョイがこっそり教えてくれたことを思い出す。

「ディー、僕の事、食べたい?」

怖くて震える声で聞く。僕の上からどいて、横に座るディー。僕も起き上がって横に座る。

「ストレートだな。直球だ……」

ディーが赤い顔をしている。覚悟を決める。

「足なら、足ならいいよ。あの、手はお菓子作りに使いたいから残してもらいたくて。足は、どうせ運動苦手だし、なくても大丈夫、かも。でも、そんなに食べる場所無いと思うんだ。肉付き良くないよ? お、美味しくない、と思うんだ」

必死で伝えながら食べないで欲しい気持ちが混ざってしまう。だらだら汗が流れる。

「は? 一体何の話だ?」

「僕、聞いてきたから。アドレアは男食家が多いんだろ? 男食家の人は、男性を食べるって。食べたい男の人にキスをするんだよね。リーベントでは人肉を食ベる文化が無いから、ちょっと怖いけど、文化の違いかな。仕方ないことだよね」

足を失うのか。考えたらやっぱり怖くて震える。心臓がバクバクする。驚いた表情で僕をじっと見ているディー。

「ちょっと、ちょっと待て。色々と間違っている。俺は、人肉を食べない」

「え? 本当に? ディーは男食家じゃない!? あぁ、良かった。良かったぁ」

あまりの安堵に涙が流れた。そんな僕を見て、吹き出して笑うディー。「そうか。男色家の色を食の字だと思ったのか」と腹を抱えている。可愛い可愛いと撫でまわされる。食べられる危険が無くなったなら笑われてもいい。安心したら僕も笑えて来た。二人して笑いあって、「じゃ、なんで口にキスしたの?」と聞き忘れてしまった。


 その週末、僕は城の客室からディーの部屋に移った。ディーが「ロイ殿下はアドレアの文化を間違えすぎている。細かく伝えていかないと国家間の認識の相違に繋がる」と国王陛下に進言した。おかげで僕が「アドレアの人に食われる」と勘違していると笑い話しになった。国王陛下にも「我々はあなたを食しませんよ」と言われてしまった。恥ずかしくて仕方なかった。そして、「ディモンと共に過ごしアドレアの文化を肌で学んでください」とご指示が出た。アドレア国の皆さんに申し訳なかった。


 ディーの部屋は使用人の出入りが無くて落ち着く。必要な時は呼ぶけど、不必要に人が入るのが嫌らしい。玄関を入ると、小会議室、執務室、接客室、その奥にプライベートスペース。運ばれてくる食事をダイニングで一緒に食べる。ディーの部屋に大きなキッチンがある。僕が居た客室には無かった。ちょっと見せてもらう。料理とお菓子作り、出来るかも。

「キッチン、使わない?」

「あぁ、時々食事ココで作ってもらうこともあるけど、食事運んでもらう方が多いかな」

「じゃ、僕が使っていいかな」

「もちろん。お菓子作りもしていいよ」

「本当に?」

「そう言えば、お菓子作りしたいから手は食べないでって言っていたよな」

ブハっと思い出し笑いをされて、つい睨んでしまう。

「それはもう忘れてよ。……まだ先のことだけど、いずれ僕はリーベントを追放される。そうしたら国を出て一市民としてお菓子屋を開くつもり。生きるための術だよ。そのために金を貯めているんだ」

「それならこの国に来ればいい」

「うん。何の情報もないからアドレアは候補にしていなかったけど、ディーが治める国なら生きやすそう」

「絶対にアドレアに来い。まずは、菓子作りが上達するようにこのキッチン使って。材料は準備しとくから、俺に作ってよ」

「もちろんディーに作る。ありがとう、嬉しい。あと、良ければ食事作ろうか?」

「料理も出来るのかよ?」

「田舎料理だけど。母が庶民だからね」

「それは楽しみだ。けど、学習とか予定があるから時々で良い」

一緒に夕食を食べて美味しいと笑いあう。優しい国に優しい人達だ。


「お風呂本当に先に使っていいの?」

「うん。今日からここがロイの部屋だし、気にせず過ごして」

申し訳なく思いながらも言葉に甘える。風呂に入るとディーが使っている石鹸類がある。良い匂い。使わせてもらうと自分からディーの匂いがする。なんかくすぐったい。大きなお風呂を楽しんで湯から上がる。

あ、しまった。いつもの癖で着替えが下着だけ。さすがにパンツシャツで出たらまずいかな? でも、ディーが普段通りで良いって言っていたし、いいか、とそのままリビングに行く。

「先にゴメンね~~」

室内履きをペタペタ鳴らしてリビングに行くと、ディーが見事なまでにコーヒーをひっくり返した。

「ロイ!! 何て、なんて格好……」

「ディモン殿下! 大丈夫ですか?」

はっとする。使用人が居た。キッチンから出てきた女性が僕を見て真っ赤になる。すぐに膝をつき下を向く侍女。

「ロイ殿下、申し訳ありません」

「僕こそ、すみません! ディーだけだと思っていて…‥ブハっ」

頭から布をかぶせられて言葉が続かない。前が見えないままグイっと抱き上げられる。感覚で分かる。ディーに抱き上げられている。無言でズンズンと運ばれて、ベッドの上に降ろされる。上から僕を見るディーが、ちょっと怖い。

「あ、人がいると思わなくて。その、ごめん」

謝るけれど無言のまま、ディーは僕をじっと見ている。どうしたら、いいのだろう。ディーがゆっくり僕の首のラインをなぞる。そのまま、肩、鎖骨、腰、と手が降りていく。何だろう? そのまま肩をベッドに押し付けられて、足をするりとなぞられる。大きな手の動きがゾワゾワする。心臓がドキドキうるさい。まさか、と思ったけれどパンツ越しに僕のモノに触れてくる。固くなっているのが分かってしまう! 

「ディー、こ、怖い」

やっとの思いで一言を口にする。はっとしたように、手の動きを止めるディー。お互いに少し混乱する。ベッドから起き上がる僕を後ろから抱きしめてくる。そのまま首後ろをレロッと舐められる。じっとしていると軽い痛み。あ、いつもより強い。ぐっと歯が食い込む。堪えきれない。

「いっ、たぃ……」

声が漏れてしまった。じんわりと涙が浮かぶ。首が熱い。耳の奥でドクンドクンと拍動が聞こえる。全身がビーンとしびれて動けない。ブルブルと手が震える。不思議な高揚感。目の前がチカチカする。「フーー」とディーの荒い息が聞こえる。いつもより長く噛んでいたディーがそっと口を離す。力が入らず崩れ落ちる僕を厚い胸が抱き留める。頭の上に「ごめん」と一言が落ちてくる。まだしびれて身体が動かないけれど、一言を返す。

「いい、よ……」

そのままディーに抱きしめられて眠りに落ちた。

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