第699話 魔王化(後編)

 スタジアムに併設された医務室。

 真っ白なシーツの上で、一文字朱理は静かな寝息を立てていた。

 ベッドの傍らでは、仲間たちが心配そうに彼女の寝顔を見守っている。


「目を覚ましませんね……本当に、大丈夫なのでしょうか?」


 雫が不安げに呟いた。

 椎名が朱理の胸を貫いた光景が、まだ脳裏に焼き付いて離れないからだ。

 しかし、朱理の胸には傷一つない。目の錯覚だったのだろうかと考えていると、


「心配ないよ」


 ふわりと。

 雫が腰に差していた刀から、半透明の人影が現れた。


「晴明――じゃなかった。しいなは、あの子の魂に直接干渉して、暴走した魔力を制御しただけだから。ついでに、原因になっていたものも取り除いてくれたみたいだしね。そのうち、目が覚めるはずだよ」


 現れたのは、着物姿の少女――朱姫あけひめだった。

 幼い顔立ちに着崩した着物が、不思議な色香を醸し出している。

 彼女の言葉に、雫たちは安堵の息を漏らす。


「それって、前に姫っちがやったのと同じ?」


 明日葉が尋ねると、朱姫はこくりと頷いた。

 以前、探索者学校の校門前で、朱姫が記者たちに取り憑いた呪素を祓っていたのを思い出したのだろう。


「うん、前に言ったでしょ? 呪素は人間の負の感情を糧に成長するって」

「ですが、いつ呪素に……」


 最もな疑問だった。

 街中の呪素は椎名によって祓われている。魔素溜まりも解消され、魔力中毒に侵された人々も回復の兆しを見せていた。そんななかで、どこで呪素に侵されたのかと、雫は疑問に思ったのだろう。

 なにせ、ここ数日はずっと〈無限牢獄トコシエノセカイ〉で共に過ごしていたのだ。その後、月面都市を経由して帰ってきたわけだが、その間もずっと一緒に行動しており、おかしなところは一つもなかった。

 しかし、朱姫は「不思議なことじゃないよ」と答える。


「魔素とは、魔力を消費することで生まれる世界の歪みそのもの。だから、探索者自身が魔素を発生させる原因にもなるの。そして、大きな力ほど、生じる歪みも大きくなる」

 

 その説明に、夕陽がはっとしたように呟いた。


「ユニークスキル……」

「その通りだ」


 朱姫の言葉を引き継ぐように、医務室の入り口から重々しい声が響いた。

 そこに立っていたのは、リディアだった。

 魔族の証である角を隠し、黒のブラウスにベージュのスカート。肩からストールを羽織った――以前、椎名に買ってもらった、お気に入りの私服に身を包んでいる。

 胸元に光る銀色のペンダントは、セレスティアとお揃いの、椎名が製作した魔導具だ。

 リディアは腕を組み、壁に寄りかかりながら話を続ける。


「ほとんどの場合、体内の魔素は瘴気を発生させる前に体外へと排出される。だが、ユニークスキルの場合は生じる魔素の量も桁違いだ。排出される量よりも、魂に蓄積される量の方が多くなり、徐々に身体を蝕んでいく」


 リディアは、ベッドで眠る朱理に視線を落とした。


「それが限界を迎え、ふとした感情の爆発で制御を失うと、瘴気を発生させ呪素となる。そして、魔力暴走を引き起こすのだ。それこそが、魔王化の正体よ」


 衝撃的な事実に、少女たちは息を呑む。


「御主たちは急速に力をつけたが、それは即ち、本来はじっくりと時間を掛けて強くなる過程を、省略したようなものだ。主の助けを得てな」


 彼女たちは軽い気持ちで〈無限牢獄トコシエノセカイ〉を使っていたのかもしれないが、なんの代償もなく簡単に強くなれるのであれば、苦労はない。そのことに気付いたのだろう。

 重く、暗い表情を覗かせる少女たちを見て、リディアは尋ねる。


「心当たりがあるようだな」

「えっと、実は……」


 代表して、夕陽がリディアの疑問に答えた。

 ずっと〈無限牢獄トコシエノセカイ〉に籠もって特訓を続けていたこと。納得が行くまで特訓を続け、地球の時間で凡そ三年の歳月を過ごしたことなど説明する。


「間違いなく、それが原因と見て良いだろう。其方たちは軽く考えておるようだが、あの場所は人が無闇に足を踏み入れてよい場所ではない」


 精霊がおらず、魔力もなく、時間の概念もない。〈無限牢獄トコシエノセカイ〉とは、その名の通り時空の狭間に作られた牢獄なのだと、リディアは説明する。


「不滅の存在。謂わば、神のような存在を封じるために作られた場所、それが〈無限牢獄トコシエノセカイ〉だ」


 無限牢獄トコシエノセカイの厄介なところは、知らず知らずのうちに、魂に負荷が掛かり続けることなのだと説明する。

 生じた魔素は本来であれば自然に還り、長い歳月を掛けて世界樹へと吸収されることで、再び世界に還元される。しかし、あの世界には精霊がいない。精霊がいないということは魔力が存在しないということになるが、それは即ち魔力の循環が正常に行われないということを意味していた。

 行き場を失った魔素は、体内に留まり続ける。従来よりも遥かに早いペースで。

 そんな場所で魔法を使った特訓をすれば、確かに強くなれるかもしれないが、暴走の危険を早めることにも繋がる。特にユニークスキルのように大量の魔素を発生させる力となれば、尚更のことだ。

 魔法と違い、スキルは所持しているだけでも微量な魔素を発生させ続けるからだ。


「え? リディアさんって、あの世界で過ごしてたんですか?」

「そういえば、其方たちには話していなかったな」


 明日葉の疑問に、そう言えば自分のことを、ほとんど彼女たちに説明していなかったことをリディアは思い出す。必要性を感じなかったというのが主な理由だが、丁度良い機会だと考え、リディアは身分を明かした。

 自身が〈原初の魔王〉と呼ばれる存在であること。そして、この世界では〈神祖〉と呼ばれていること。王国に召喚されたことなどを――


「やっぱり……」


 薄々と察してはいたのだろう。

 リディアの話を聞いて、夕陽は納得した様子を見せる。


「夕陽、気付いてたの?」

「うん、薄々とだけどね。リディアさんが先生とこっちに来たのって、王国の件の後だったでしょ。だから、もしかしたら……とは思ってたんだよね」


 夕陽の説明を聞き、明日葉と他の仲間たちも納得する。

 確かによくよく振り返ってみれば、怪しいところはあった。

 むしろ、どうして今まで気付かなかったのだろうと、不思議に思えてくる。


「まあ、余の話はこのくらいで良いだろう。いまは、その娘のことよ。主の処置で、魔王化は防がれたとはいえ、しばらくは大人しくしているのが賢明であろう。自らの意志で、魔素をコントロールできるようにならなければ、同じことを繰り返すだけだ」


 厳しい口調だが、そこにはリディアなりの気遣いもあった。

 どうでもいいと思っている相手であれば、ここまで丁寧に説明したりはしない。

 そのことは夕陽たちも分かっているのか、リディアの言葉に神妙に頷く。

 そんななか、


「あの……魔王化というのは?」


 シェリルが疑問を挟む。

 先程から何度かでている魔王化という言葉が気になったのだろう。

 そんなことも知らぬのかと呆れながらも、リディアは丁寧に説明する。


「御主たちがユニークスキルと呼ぶ〈神の権能〉と対局に位置する力に、〈魔王の権能〉――ディアボロススキルと呼ばれるものがある。これらは表裏一体の存在で、神の領域へと至ったスキルが反転することで、魔王の権能へと至るのよ」

「それが、魔王化……」


 シェリルの呟きに、満足そうにリディアは頷く。


「うむ。危ないところだったのだぞ? 主が介入しなければ、その娘は魔王と化していた。そうなれば、もはや元には戻れぬ。命を奪う以外に手は無いからの」


 リディアの話を聞き、想像していた以上に危ない状況だったことを四人は悟る。


「魔王化せず、暴走することなくその膨大な魔素を自らの力として制御できる人間など、余の知る限りでも数えるほどしかおらぬ。極めて、稀な存在じゃな。ちなみに余はできるぞ。当然、主もだ」

「それじゃあ……夕陽は?」


 明日葉が、恐る恐る尋ねる。

 ユニークスキルを持つ夕陽もまた、その危険性を孕んでいるのではないか。

 仲間たちの脳裏に、同じ懸念が浮かんだ。

 だが、リディアはその心配を一笑に付した。


「心配は不要だ。その娘も、既に魔素を制御できておる」


 リディアは、〈魔女の大釜ウィッチーズ・コルドロン〉をあそこまで完璧に使いこなせている時点で、その段階はとうに超えていると説明する。その言葉に、誰もが安堵の息を漏らす。


「やっぱり、夕陽って規格外なんじゃ?」

「ううん……私の場合、どっちかというと、スキルに助けられている感じかな?」


 どういうことか分からず、首を傾げる明日葉に夕陽が説明しようとすると――


「う、ううん……」

「あかりん!」


 深い眠りから、朱理が目を覚ますのだった。

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