第644話 奇跡の代償(陸)

 今回の目的はただ一つ。王都に生まれたばかりのダンジョンと、月面都市に存在する既存のダンジョンを接続すること。その作業のために選んだのが、この王城地下にある工房だ。

 昨日まで〈緑の原典アイテール〉が安置されていた場所でもある。魔力の流れは安定していて、ここなら邪魔も入らない。まさに理想的な環境だ。それに、長く〈原典オリジン〉を封印した〈匣〉が安置されていたからか、ここだけ異常に魔力濃度が高いんだよな。これを利用しない手はない。

 俺は〈カドゥケウスの杖〉を構え、〈緑の原典アイテール〉が安置されていた台座の前に立つ。この杖には、二つの機能がある――〈拡張〉と〈統合〉。それに必要な〈原典〉は既に五つ、杖に組み込まれている。

 あとは――


全回路接続フルコネクト


 蔵の中の魔力炉と意識を繋げ、全魔力を解放するだけだ。

 これで、すべての準備が整った。


『ダンジョンコアとの接続を確認。空間座標、安定しています』


 アカシャの声が、頭の中に響く。

 魔力を解放すると、カドゥケウスに組み込まれた〈原典オリジン〉が反応を返し、杖に埋め込まれた宝玉が淡く輝き始める。そのまま杖が微かに脈動して、魔力が空間へ広がっていく。


『次に、月面都市のコアとの接続を開始します……成功。空間座標、固定完了。位相のズレ、誤差の範囲内です』


 振動が空気を揺らし、工房全体に魔力が満ちていく。

 コアとの接続も完了。いまのところは順調だ。

 さすがは、アカシャだな。工程に無駄がない。完璧な仕事だ。


『準備、完了。いつでも構築可能です』

「……アカシャ、〈演算領域リソース〉を借りるぞ」

『はい、マスター。アーカーシャシステムに接続。これより〈全知アカシャの書〉のリソースをマスターに委ねます』


 アカシャと思考が共有され、自分の中の世界が広がるのを感じる。


領域拡張エクステンション――」


 工房の構造が微かに揺らぐ。

 空間の境界が開き、終焉おわり創造はじまりを司る黄金の光が壁から天井、床面へと染み渡っていく。

 積層型の魔法陣が展開され、準備が整ったのを確認したところで――


 「統合開始インテグレーション


 命令コードを口にすると、二つのダンジョンコアが共鳴し、空間が結合していく。

 これが、ダンジョンの融合か。全身から力を吸い上げられていくのを感じる。

 念のため、先に魔力炉と接続しておいてよかった。

 いよいよ、最終段階――ゲートの生成だ。


 「構築開始クリエイション――異界の扉ダンジョンゲート


 光が走る。

 工房中央に淡く輝く空間の孔――二つのダンジョンを繋ぐゲートが静かに浮かび上がる。

 形状は安定、座標は固定済み。月面都市との空間接続、完了。

 異なる二つのダンジョンが、こうして〈統合〉されるのだった。



  ◆



 ゲートが安定したのを確認して、カドゥケウスの杖をゆっくり下ろす。

 工房中央に浮かぶ空間のあな――これが王都ダンジョンと月面都市を繋げるゲートだ。

 形状、座標ともに固定済み。空間も安定している。問題ないだろう。

 これで、異なる二つのダンジョンの〈統合〉は完了だ。

 俺はカドゥケウスを手に持ったまま、振り返る。工房の入り口に、動く気配を感じ取ったからだ。

 頭の左右から飛び出る二つの尻尾髪が、扉の陰からユラユラと揺れている。まさに頭隠して尻尾隠さず。スカジだ。作業をする前から、彼女が隠れて様子を窺っていることには気付いていた。

 他にも――


「いい加減、隠れてないで出て来たらどうだ?」


 レミルとシュヴェルトライテ。それに、魔女王も一緒だった。

 近寄ってきて、スカジが軽く頭を下げる。


「お疲れ様です。さすがは主様ですね。まさに神の奇跡と呼べる美しい魔法構築でした」

「このくらい、たいしたことじゃないさ。それより、ダンジョンの統合は完了した。このゲートを使えば、月面都市へ転移することが可能だ。そろそろお暇しようと思うけど――」

「ご安心を。既に支度は整っています。あとのことは〈商会〉に任せておけば、問題ないかと」


 ちょっと抜けているところもあるが、手際の良さはいつも通り。抜かりがない。

 スカジに忘れ物がないことを確認して、ゲートへ足を向けようとしたその時。

 工房の入り口に視線を送ると、違う気配が動いた。女魔王と、アホ毛メイドの主従コンビだ。

 魔力探知に反応があったから隠れていることには気付いていたけど、まさか付いてくる気なのか?


「一緒に来る気か?」


 問いかけると、女魔王が迷いなく答える。


「当然です。我等は主の下僕しもべ。共に往くのは自然な流れでしょう」


 返答に一切の躊躇はなかった。堂々としている。

 アホ毛メイドも小さく頷いて付け加える。


「私はリディア様の従者ですから。ご一緒するのは当然かと」


 まあ、断る理由はないけど。

 彼女がまとめた研究資料は受け取ったが、まだまだ話し足りないことがあるしな。

 いろいろと語らいたいこともあるし、俺としては願ったり叶ったりだった。

 今度こそ、とゲートを潜ろうとしたところで――引き留められる。


「その前に、封印を施されるべきかと」

「……封印?」

「はい。このゲートは、王都と月面都市――即ち、地球と月を繋ぐゲートと聞きました。だとすれば、このゲートを利用し、悪事を働く者が現れぬとも限りません。仮に使用する必要がある場合でも、王国と約定を結ぶべきです」


 さすが元魔王。発想が現実的で実務的だ。

 確かに悪用される可能性はあるか。それに、外交的な側面は見落としがちだった。

 そういうのはレギルに任せっきりで、とんと疎いからな。


「了解。ここに入れるのは俺だけにしておく」


 俺は工房の入り口に移動し、杖に魔力を集めた。

 より強固な封印とするため、〈星霊言語アストラルコード〉を用いて暗号化された封印術式を展開する。

 工房を覆い隠すように位相空間を構築し、誰も入れないように隔離結界に封じてしまえばいい。〈緑の原典アイテール〉が封じられていた〈匣〉に使われていた封印術式を参考にしたものだ。


『マスター。これは……〈無限牢獄トコシエノセカイ〉では?』


 いや、その簡易版だ。

 さすがに魔力を使い過ぎたし、いまの俺でも亜空間の構築はともかく〈無限牢獄トコシエノセカイ〉を展開するのは骨が折れる。ゲートを接続するだけなら難しくないんだけどな。まあ、〈黄金の蔵〉の再現も諦めてはいないし、近い内にリトライしようとは思っている。

 よし、これで俺が許可を与えた者しか、この工房には入れなくなった。

 封印が完了したところで、カルディアが小さく溜息を漏らす。


「こんなの……私でも解除できないわよ」


 そう言って肩をすくめた。

 ……え? そんなことないだろ。このくらい、普通じゃないか?

 封印に使った術式は〈匣〉に使われていたものを参考にしただけだし、位相空間の構築も隔離結界の応用でしかないからな。〈星霊言語アストラルコード〉が使えないと解読は無理だと思うけど、彼女ならそのくらいは出来そうだ。

 たぶん、ただの謙遜だろうと思う。


「それじゃあ、帰るか」


 俺の言葉に全員が頷き、順にゲートへと歩を進める。

 空間が静かに揺れ、星と星を結ぶ転移の光を灯すのだった。



  ◆



 王城の一角、王族専用の私室。

 調度品の数は抑えられているが、空間は整然としている。

 窓際には医療機材が並べられ、侍女と看護師が控え、医師たちが低い声で回復状況を確認していた。

 室内中央の寝台。そこには、第二王子ヴェインが横たわっていた。

 魔力欠乏症を患い、長く床に伏していた第二王子。だが、いまは肌に血色が戻り、目元にも生命の光が宿っていた。経過が良好であることは、誰の目にも見て取れる状態だった。

 ――そこに、扉を勢いよく開けて王が現れる。


「ヴェイン!」


 医師が制止する間もなく、王は寝台へ駆け寄る。

 震える手をそのまま息子の手に添え、動きを確かめる。

 その手は、温かかった。命の通った指先だった。


「すまなかった……ヴェイン……余が……余が頼りないばかりに……!」


 頬に涙が一筋流れ落ちる。

 王というより、一人の父親としての懺悔だった。

 ヴェインが目を開き、ゆっくりと王を見上げる。

 視線が揺れ、言葉を探すように唇が震える。


「……父上――」


 だが、その声が漏れる寸前に、扉が再び激しく開いた。

 侍従長が顔色を変えて駆け込んでくる。


「陛下! 神王陛下が、城内のどこにもおられません!」

「……何?」


 王の表情が引き締まり、手が僅かに震える。


「侍女によれば、部屋にはお姿がなく……忽然と、消えられていたと……」


 相手は、あの〈楽園の主〉だ。なにかあったとは思えない。

 だとすれば、自分の意志で城を出て行ったと考えるのが自然だろう。

 まだ、礼を尽くせていないのに、と王は小さく溜め息を溢す。

 王の言葉を侍従長が待つ中、今度は侍女が慌てて飛び込んできた。


「陛下っ、大変です! リディア様のお部屋に……このようなものが!」


 震える手に握られていたのは、一枚の紙。

 丁寧に折られたその便箋が、侍従長を経由して王に渡される。

 王は受け取り、すぐに目を通す。

 書き置きの紙に綴られていたのは、ごく短い一文だった。

 簡潔で、癖のない整った筆跡。

 余計な飾り気もなく、そこには確かな意志が刻まれていた。


 ―― 世話になった。我等は主と共に、この地を去る。達者でな。


 沈黙が訪れる。王は手紙を読み終えると、しばらく言葉もなく佇んでいた。

 侍女はまだ動揺が収まらず、室内には張り詰めた沈黙が流れている。

 便箋には、ごく短い言葉――それでも、王国にとっては衝撃的な内容が記されていたからだ。

 王国の最高戦力であり、守護者とも讃えられるリディアが、一枚の置き手紙を残して出奔したのだ。それも同じく守護機師の任に就いているティアレを伴って。こんなことは前代未聞だ。


「……これも、身から出た錆か。我等は見限られたのだな」


 王の声は、誰に向けたものでなく。ただ、己の無力さを噛みしめるように、静かに漏れただけだった。

 だが、すべてが失われたわけではない。寝台の傍らには、回復した息子の姿がある。息子を助けて欲しいと願ったのは自分だ。奇跡の対価――いや、代償と考えれば、当然の結果だと王は思う。


「我等が英雄は、神のもとへと参じたまでのこと! この国は神の庇護下にある。なにも心配することはないと、民に伝えよ」


 王の言葉に深々と、臣下たちは頭を垂れる。

 白の貴婦人はまだ、〈楽園の主〉がこの地を去ったことを知る由もない。

 奇跡の女王が予想した通り――貴婦人が思い描いた計画の歯車は、知らぬ間に狂い始めていた。

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