第447話 恋する乙女

 ヴァレンチーナは孤児だった。

 父親の顔は見たことがない。女手一つで育ててくれた母親がいたが、その母も十歳の頃に病気で命を落とし、それからはずっと一人で生きてきた。

 頼れる親類などいなかった。だから、スリや窃盗と言った犯罪にも手を染めた。そうすることでしか、生きる術を知らなかったからだ。探索者を目指したのも自然な成り行きだったのだろう。

 学もなく、手に職もない。社会のレールから外れ、頼れる人もいない。

 そう言った人間が生きていくには、探索者になるくらいしか道がないからだ。

 探索者が荒くれ者の集まりみたいに思われているのは、そう言った側面もある。欧州では仕事に就けない難民の受け皿にもなっているし、罪を犯した人間を労役でダンジョンに送り込んでいる国もあるからだ。

 しかし、それで犯罪が増えたかと言うと……そうとも言い切れない。

 ギルドが受け皿となっているから犯罪が抑止されているという見方もあるからだ。

 理由もなく罪を犯す根っからの悪人など、そうはいない。金がなく、食うに困って犯罪に走る者がほとんどだ。ちゃんと生きていけるだけの糧を得られるのであれば、不要なリスクを冒す人間はそう多くない。

 ヴァレンチーナも、そう言った一人だった。

 生きる糧を得るためにダンジョンに潜った。それしか、どん底の生活から抜け出す術がなかったからだ。

 幸い、ヴァレンチーナにとって探索者は天職と言える職業だった。

 大きな身体に恵まれたことや、覚醒したスキルがダンジョンの探索に有用なものだったからだ。

 勿論、ずっと順風満帆だった訳ではない。装備を揃える金など最初はなかったし、頼れる仲間もいなかった。一人でダンジョンに潜り続け、何度も死ぬような目に遭いながらAランクまで登り詰めたのだ。

 ユニークスキル〈竜殺しの英雄ジークフリート〉――不死身の肉体を術者に与え、魔力と身体能力を何倍にも強化するというスキル。これがなければ、とっくにヴァレンチーナはダンジョンで命を落としていたことだろう。

 その点でも、自分は恵まれているとヴァレンチーナは思っていた。

 しかし、それでも普通の生活に憧れなかった訳ではない。学校に通って友達を作って、恋をして、愛する人と結婚して――それは母のような女性に憧れていたヴァレンチーナにとって、手を伸ばしても手に入らない日常だったからだ。

 だから、


『あなた良いわね。背が高くて目立つし、私と一緒にモデルをしてみない?』


 ローズは特別な存在だった。

 大きな身体で恐れられることはあっても、そんな風に声をかけてくれたのはローズがはじめてだったからだ。

 そんなローズと出会った時と同じくらいの衝撃を、


「はああ……シーナ様」


 いまヴァレンチーナは感じていた。

 甘い溜め息を漏らし、まるで恋する乙女のように〈楽園の主〉の名を口にする。


「こうやってアタシを抱きしめて『大丈夫か?』って、きゃっ!」


 顔を赤らめながら頬に両手をあて、くねくねと悶えるヴァレンチーナ。

 それを見て、自分はなにを見せられているのかと呆れるローズ。

 ダンジョンの街から帰ってきたと思ったら、ずっとこの調子だった。

 呆れるのも無理はない。しかし、


「まさか〈楽園の主〉が来ているなんて……」


 楽園の主が浮遊都市に来ていると思っていなかったローズの口からは、戸惑いの声が漏れる。

 なんの理由もなしに、浮遊都市に現れたとは思えないからだ。


(まさか、私たちの思惑に気付いて……)


 ありえないと断言することが出来なかった。

 相手は神に例えられる存在だ。〈楽園の主〉には未来が視えているという噂もある。

 女王の計画や自分たちの思惑が見抜かれていても不思議ではない。

 そう考えると、ローズの背中にヒヤリと冷たい汗が流れる。


「ティナ。街を〈楽園の主〉が造り変えたと言っていたわよね? それって、どういうこと?」

「あ? そのままの意味だけど? こう、なんつーか凄い力で巨大な壁を作って、あっと言う間にダンジョンを壁で覆っちまったんだよ。建物も消えて、道もあっと言う間にできちまうしよ」


 ヴァレンチーナの話は要領を得なかったが、ある程度は察することが出来た。

 やはり常識の通用する存在ではないのだと、ローズは確信する。

 だとすれば、このまま女王の筋書きに沿って動いていては、最悪の結果を招くかもしれない。

 正直に打ち明けるべきか? それとも――

 どうしたものかとローズが思い悩んでいると、


「それで〈楽園の主〉に会えたなら武器は頼めたのか?」

「あ……あああああああああッ!」


 忘れていたのだろう。

 クリステルに武器のことを聞かれ、思いだしたかのようにヴァレンチーナの叫び声がホテルに響くのであった。



  ◆



 助けた女性は男の俺よりも背の高い女性だったが、大きいのは身体だけで謙虚な人だった。

 怪我がなかったとはいえ、巻き込んでしまったことに変わりはない。きちんと詫びをするつもりでいたのだが、いつの間にかいなくなっていたのだ。

 まあ、結局昨日は街の改築工事に時間を取られて、一日がかりの作業だったしな。

 終わった頃には、すっかりと日が暮れて野次馬も解散していたし、こればかりは仕方がない。

 とはいえ、やはりのこのままと言う訳にはいかないだろう。


「昨日の人間を……ですか?」

「ああ、見つけたら連れてきてもらえるか?」


 なので、ヘルムヴィーゲに頼んでおく。

 この島の探索者だろうしヘルムヴィーゲに頼んでおけば、すぐに見つかるはずだ。


仲間・・がいた場合は如何いたしましょうか?」 


 ああ、探索者ならパーティーを組んでいるかもしれないしな。


「一緒に連れてきて構わない。くれぐれも丁重にな」


 一人だけ呼び出すと、変に勘繰られる可能性もあるしな。

 探索者とはいえ、相手は女性だ。そのくらいの配慮は必要だろう。

 人付き合いが苦手な癖に、随分と手慣れた対応じゃないかって?

 ふふん、俺も日々成長しているのだ。最近ちょっとマシになってきたのは、エミリアや教え子たちのお陰だと思うけど。メイドたち以外と接する機会が増えて、なんとなく距離感と言うのが分かるようになってきたのだ。

 いつまでも、人付き合いが苦手なボッチだと思ったら大間違いだ。

 それでも、ようやくスタートラインに立ったくらいだとは思っているのだが……。

 親しい相手ならともかく、それ以外の相手は緊張して口調が硬くなってしまう癖は抜けないからだ。


「少々、失礼します」


 着信音が鳴り、メイド服のポケットから取りだした携帯を確認するヘルムヴィーゲ。トワイライトがアメリカの企業と共同で開発した〈魔導式補助端末マギアギア〉とかいう携帯型の情報端末だ。

 俺も現代人なら携帯の一つくらい持っておいた方がいいのかなと思わなくもないのだが、念話も使えることだしな。自分から電話をすると言ったこともないので必要性を感じず、持っていなかった。

 いや、だってさ。一応、学生時代は携帯電話を持ってはいたんだよ。

 でも、電話帳に登録されているのは両親だけで、他に誰もいなかったんだぞ?

 電話が掛かってくることもないし、毎月の料金を払うのがバカらしくなるのも分かってもらえるはずだ。

 そう言う訳で、俺に携帯電話は不要と言う訳だ。


「話の途中に申し訳ありませんでした」


 考えごとをしている間に電話が終わったみたいで、申し訳なさそうにヘルムヴィーゲが頭を下げてくる。

 ほとんど話も終わっていたし、彼女が忙しいことは知っている。電話が掛かってきたくらいで気にするほどのことではないと思うのだが、それを言っても困らせるだけだと分かっていた。

 ヘルムヴィーゲに限らず、メイドたちは大体こんな感じだからだ。


「いや、それは構わないんだけど、どうかしたのか?」


 一応、訊いておく。

 トワイライトの仕事とかだったら説明されても分からないのだが、なんとなく俺に関係することのような気がしたからだ。

 こう見えて勘が鋭いので、こういう時の予感は結構当たるのだ。


「アクアマリンからでした。エミリア様が面会を求めておられると」


 予感は的中したようだ。

 まだ月面都市にいるものとばかりに思っていたが、浮遊都市に帰ってきているのか。エミリアならメイドたちもよく知っているし、確認を取らなくても会いに来ればいいのに律儀なことだ。


「連れてきてくれ。ああ、ついでに生徒たちも呼んでおいてくれるか?」

「畏まりました」


 丁度、教え子たちにも頼みたいことがあったしな。

 ヘルムヴィーゲが一礼して立ち去るのを確認して、カップに口をつける。


「うん、美味い」


 ヘルムヴィーゲの淹れてくれた珈琲コーヒーの香りが鼻腔をくすぐる。紅茶もいいが、やっぱり朝は珈琲こっちの方が頭がしゃっきりとする。それにの上から見える街の景色は絶景だった。

 幾層もの壁がダンジョンを覆い隠すようにそびえ立ち、その西側に街道が整備され、区画ごとに分割された街が広がっていた。拘っただけあって、我ながら機能的で美しい街並みだ。これから、この街も発展していくのだろう。

 優雅な朝の一時を楽しみながら、エミリアたちが到着するのを待つことにするのだった。




後書き

 予約投稿を設定しているつもりが、されていませんでした。

 申し訳ありません……。

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